因縁オークション! この男にだけは、幻の絵を譲れない――!

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因縁オークション! この男にだけは、幻の絵を譲れない――!

「神の手を見つめる女?」  燈次(とうじ)は首をひねった。その絵画のタイトルは、聞き覚えがないものだった。  (だん)はニヤッと笑う。 「どんな絵だと思う?」 「タイトル通り、神っぽい存在の手を見る女の絵じゃないか?」 「かもなぁ」 「もったいぶるなよ」  燈次は断に軽いヘッドロックを決める。断はケラケラと笑って燈次の腕を叩き、話を続けた。 「俺もな、正解は知らねぇんだよ」 「断でも分からんことがあるのか!」  燈次は驚いて飛びあがる。窓が開いていたので、勢いあまって外に転げおちた。  燈次は改めて、自分のいる場所を眺める。彼がいる場所は、異様に広い和風の屋敷だ。庭も当然広く、草木が豊かに生い茂る。ししおどしが、池のそばでカポン、と優雅な音を立てた。  断は燈次に手を貸しながら言う。 「面白いだろ。大金持ちの俺ですら情報を掴めないんだぜ」  燈次は断に引っぱりあげられ、部屋に戻る。 「自分を簡単に大金持ちと豪語するお前のメンタリティにも驚くがな。……お前はその絵の何が気になってるんだ?」 「それを描いたのは学校の教科書にも載る、かの有名な絵を描いた画家なんだが……。その画家が描いた女の絵は、そのたった1枚だけらしい」 「女嫌いだったのか?」 「その女を愛しすぎて、他に目がいかなかったそうだ」 「執着!」 「その絵を見たものは描かれた女に惚れ、寝食を忘れてひたすらに絵を見続ける……といううわさもある」  燈次はカハ、と小さな笑い声を上げた。 「嘘くさい」 「見て確認するか?」 「持ってるのか」 「まだ。近々、ある場所でオークションがある。そこにその絵画が出品されるそうだ」 「断の財力なら容易に競りおとせるな」 「明日にはお前に見せてやれるさ」 「悪いうわさのある絵を」 「そう」  カッカッカ、と断は笑った。燈次もつられてゲラゲラ笑った。  優雅な和風の屋敷に、粗野な笑い声が響きわたる。  数日後――。 「まったく、断の奴も人が悪い」  燈次はひとり言を漏らした。 「俺の取り柄は行動力! あと誰もが振り返るルックスと善良な性格とその他すべて! つまり俺は、待てと言われて素直に従う人間ではないのだよ」  言葉通り、燈次はそのオークション会場に来ていた。断は会場の場所を伏せていたが、期待に突きうごかされた燈次は調査を終えていた。  一見すると普通の定食屋だった。まず普通に店に入る。そして店員に、合言葉を告げる。 「忘却を求めてきましたが、種まきはいつになりますか?」 「こちらへどうぞ」  案内された小部屋は地下に通じる階段があった。薄暗い照明がリアルでワクワクした。  オークション会場は定食屋よりも圧倒的に広かった。サッカーボールのコートが3つは入りそうだった。列を成す席は、列ごとに段の高さが違う。奥のステージが最も低く、そこから離れるに連れて高くなる。映画館やコンサートホールでよく見られる形状だ。  燈次は「13」という数字の書かれた札をもらう。一番乗りのつもりだったが、すでに多くの人が来ているらしい。燈次は楽しくなり、自分に割り当てられた椅子の周りをグルグル回って遊んだ。  すると、そばの席に座ろうとした人の腕に、燈次の肩が当たってしまった。  謝罪を口にしようとして、燈次は言葉を失った。身体が固まる。  頬がひくひくと痙攣するのが自分でも分かった。 「……猿川(さるかわ)、どうしてここに」 「こっちのセリフだ」 「教える義理はないが、出血大サービスといこう。俺は伝説の絵画を拝みにきた」  猿川は嫌味ったらしく、ケッと笑ってから言った。 「たぶんオレも同じ絵が目的だ」 「絵の女に恋をしたいのか? ピュアな動機だな」 「違えよ。ムカつく奴に渡すんだ」 「それで?」 「そいつが絵を手にして喜ぶ隙をついて、痛い目にあわせる」 「お前はいつまでも悪党だな」 「燈次は威勢だけ、よくなった」 「中身は幼稚なままという意味か」  燈次はわざとらしく足を開いて座り、あごを高く上げた。しかし心臓は緊張したままだ。  猿川は学生時代、燈次をいじめていた男だ。燈次を逐一からかって、燈次の反応を見て笑い者にしていた。  そのころの燈次は、猿川のその態度を、猿川なりの友情だと思っていた。  友だちだからと、嫌なことも率先して猿川のためにした。でも結局、猿川は裏で燈次を散々馬鹿にしていた。  二度とほだされるか、こんな奴に。  燈次は自分の番号が書かれた札をギュッと握りしめた。その札は、棒の先に四角いプレートがついた形をしていた。妙に重くて、光沢があって、こんなところにも金をかけるのか、と思った。  オークションが始まった。いくつかの壺や人形が出品され、何人かが落札していった。自分の目当ての物ではないのに、何故か手に汗がにじんだ。  自分の手のひらを見つめていると、フッと嘲笑が聞こえた。隣の席に座る猿川だった。燈次は奥歯を噛みしめる。何で俺はこいつと肩を並べているんだ。  ついに、この日の目玉商品の出番となった。それは例の絵画「神の手を見つめる女」だった。この場でその絵を見れるのかと期待したが、絵の前にすりガラスのついたてが置かれた。  燈次は上唇を舐める。 「簡単には見せないか。よほどすごい絵なのだな」  猿川は興味がなさそうに絵を見ていた。燈次が睨みをきかせると、猿川は冷たい視線で返してきた。猿川のほうが高身長のため、燈次は自然と見下ろされる形になる。腹の奥で怒りがわいた。  司会者がおごそかに告げる。 「本日のトリを飾るのはこちらの絵画。そのまま見るとこの絵の女に恋をしてしまいますので、間にすりガラスを置かせていただきます。ご容赦いただけますと幸いです」  ピリ、と空気が張りつめた。 「70万円から……」  司会者の言葉に被せるように、燈次の前に座る若い男が札を上げた。 「75万」  別の老人が札を上げる。 「80万」  司会者は少し楽しそう告げる。 「現在80万、80万円です。85万円の方はおりますか。85万で美しい絵画があなたのものに……」  燈次は息を飲み、思いきって札を上げた。 「85万」  猿川は横で、「へえ」と言った。 「払えるのか?」 「俺も一応、金持ちだからな」  猿川は目を細め、冷静に告げた。 「90万」  燈次は猿川の脇を肘で突く。 「貴様も払う当てがあるのか?」 「オレは1円たりとも損する気がない。払うのはこの絵を渡す相手だ」 「もしや転売か?」  司会者は歌うように言う。 「90万。現在90万円です。95万円の方はいませんか。たったそれだけで、あなたはこの絵から夢のような日々を与えられます……」  燈次が札を上げる。 「95万」  猿川が間髪入れずに上げる。 「100万」  燈次はチッと小さく舌打ちをした。嫌な桁数になった。燈次は金持ちではあるが、湯水のごとく使える金額は持っていない。彼の金銭感覚はせいぜい、庶民の感覚に10をかけた程度である。  つまり100万円は、庶民の感覚で言えば10万円。ポンと出す額としてはあまりに多い。そもそも、最初から、70万円の時点でキツかった。庶民でいえば7万円。燈次が独身で、社会人であることを差し引いても、出せと言われて何の気なく出す金額ではなかった。  じゃあ、何故ここに来たか。そんなのは、ただ絵画を「見たかった」からである。オークション会場に来れば、参加者に向けて絵が提示される。金は出さずとも見学はできる。(なお、もしついでに低額で買える良品があったら買おうかと思っていた……)  が。  計算外だったのだ。まさか、すりガラス越しに見せられるなんて。  それなのに何故、札を上げたのか? それは憎き男、猿川が隣にいるからだ。この男に目に物を見せてやろうと思い、張り切ってしまったのだ。要はライバル心だ。  しかしもう、とっくに、見栄のために出せる額ではなくなっている。だが猿川に、みじめな姿は見せたくない。 「俺は何をやっているんだ。そもそも俺は、何故この場にいるんだ」  燈次は貧乏揺すりを始めた。  そもそも。事の発端は、燈次の友人の断が、この絵の存在を教えてきたことだ。断は今日この絵を落札し、燈次に見せるという。燈次は待ちきれず、先にこの会場に見にきたわけだ。  そこまで考えて、燈次は疑問を抱いた。 「断はどこだ?」  キョロキョロと見回すが、彼の姿は見つからない。 「あいつは別の用事ができたのか?」  それを結論とするのは早計だ。大金持ちの彼なら、使用人をよこすはずだ。この中の誰かが彼の使用人かもしれない。燈次は断と長いつきあいだが、彼の使用人はあまりに多く、全員を把握することは困難だ。  燈次が考えている間にも、オークションは進んでいく。 「200万」 「300万」 「500万」 「700万」  700万の札を上げたのは、猿川だった。燈次は彼のすねを蹴る。 「貴様、ずいぶんかじりつくな」 「あの絵が必要だからな。――800万」 「誰だかに渡すため?」 「大嫌いな奴に。――1,000万」 「それは俺か?」 「買いたいなら売るぜ。――2,500万」 「俺ではないのか。相手はずいぶん金持ちのようだな。値段の上げ方が容赦ない」 「5,000万」  おぞましい額を提示する彼を見て、燈次は嫌な予感がした。 「その相手は、俺のよく知る人物か?」 「ご名答」 「もしや、断か?」 「そう思うか」  猿川は突然、妙な余裕を見せた。足を大きく開いて座りなおし、片手をポケットに入れる。自信満々な態度を見て燈次は悟った。 「お前、断をターゲットにしているのか!」  断は元々、この絵を買うつもりだった。直接買おうが、猿川経由で買おうが、同じことである。  しかし猿川は断を嫌っている。断に絵を渡す隙をついて、断を攻撃しようとしている。  友人のピンチだ。どうすれば守ってやれるのか?  燈次は手を強く握りしめた。値段は1億に達した。もう燈次にはとうてい払えない。  他の者は誰も札を上げない。猿川は優勝トロフィーでも掲げるように、自分の番号の札を掲げている。  燈次は奥歯をギリギリと噛んだ。分からないことだらけだ。唯一確かなのは、猿川が勝利を掴みとろうとしていること。 「それでは1億円で、落札――」  司会者が槌を売って結末を告げようとしたとき。 「うああああ!」  燈次は突然叫び、猿川に掴みかかった。 「何しやがる!」  猿川は吠えるが、燈次は容赦しない。彼の胸倉を掴んだまま、床に押したおす。しかし猿川は身体をくるりと回転させ、燈次の手から逃れる。  燈次も起き上がる。ふたりはにらみ合う。 「金が出せねえからって、往生際が悪いぜ」 「貴様のような極悪人に勝ちは譲らん」  燈次はフー……と長い息を吐いた。  そして素早く床にふせた。床についた腕を中心に、身体をぐるっと回す。そして燈次は回転の力を保ったまま、猿川の膝の裏をめがけ、足の爪先を叩きつける。 「ぐあ!」  猿川は叫び、バランスを崩す。体勢を整えようとするところを、燈次が素早く飛びあがり、前方に押しだした。  そのまま猿川は段を成す席を転げおち、ステージへと落下した。  彼の身体がぶつかり、すりガラスのついたてが倒れる。  司会者が悲鳴を上げる。 「ぎゃーっ!」  参加者たちも同じように声を上げた。だがすぐに、疑問の声に変わった。 「おい、絵がむき出しになったぞ」 「あの絵、おかしくないか?」 「誰もが惚れる絶世の美女が描かれていると聞いたのに……」  現れた絵に描かれていたのは、子供の落書きみたいな「へのへのもへじ」だけだった。 「どうなってんだ!」 「ひどい偽物だ」 「私の買った壺も贋作か?」 「何とか言え!」  会場は大騒ぎだ。  燈次は絵に対する関心がなくなっていた。キョロキョロと周囲を見回し、断の姿を探す。しかし彼の姿は見えない。 「あれ、猿川もどこだ」  憎き猿川の姿も見えない。混乱に乗じて姿を消したようだ。 「あいつより今は断だ。いるのか、断?」  会場の外。1階の定食屋を出てすぐの物陰で、猿川は誰かと電話をしていた。  電話口では、低い男の声が聞こえる。 「どうだった、猿。オークションの様子は?」 「散々だったぜ」 「って言うと、出された絵が偽物だったとか?」 「何で知ってんだ。てめえまさか、最初から知っててオレを!」  電話の相手はカッカッカ、と高笑いをする。 「安心しろ。本物の絵は別の会場で落札したよ。たった2億で競りおとせてラッキーだったぜ」 「ここにあるのは偽物と知った上で、オレを来させたのか。許さねえぞ、追ノ地(おいのち)(だん)!」  電話の相手――断は、ヒヒヒ、と感じの悪い声で笑う。 「がんばってくれてありがとよ」 「クソッ、何でオレがてめえみてえな悪党の使用人をしなきゃいけねえんだ」  断の声が冷静なものに変わる。 「猿川。今、屈辱を感じてるか?」 「当然だ」 「それでいい。てめぇみてぇなクソ野郎は、こうやってジワジワ、嫌な気持ちを味わえばいい」 「燈次の代わりに、復讐しようってのか。オレがあいつをいじめたから」 「よく分かってるじゃねえか」 「しかも、燈次には黙って? 意地の悪い野郎だぜ」 「褒め言葉だ」 「燈次に言ってねえのに、何で今日あいつは……」 「ん? 今、何か言ったか?」 「いや、何でもねえ」  猿川は目を細め、電話を切った。  猿川は物陰から顔を出し、定食屋の入り口を見る。ちょうど、燈次が出てくるところだった。 「追ノ地断を出しぬけるのは、燈次だけってことか……?」  猿川は地面を蹴った。彼の顔には、悔しそうな表情が浮かんでいた。
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