縛り、縛られ、囚われて~DomとSubの幸せな依存〜

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 痛む頭を抱えながらも書類仕事に没頭していると、ふいに声をかけられる。額に手を当てたままのろのろと顔を上げると、上司である内科部長が帰宅をするところだった。初老の内科部長は役職のある医師にしては珍しく温厚で面倒見の良い人物で、ここに来たばかりの頃に怜一を直接指導し、それ以来何かと気にかけてくれている。 「いえ、もう少しだけ仕事を片付けてから帰ります」  医師が定時で帰宅するなど、これも以前には考えられなかったことだ。上司からの助言でも素直に従うつもりはなかったのだが、 「今日一日、ずっと顔色が悪いですよ。ほら、もう帰りなさい」  強めの口調で窘められた途端、怜一はがたんと大きな音を立てて弾かれたように立ち上がった。 「佐々先生・・?」 「お疲れさまでした、失礼します」  荷物を乱暴に鞄に詰め込み、脱いだ白衣をクリーニングボックスに投げ込む。困惑する内科部長を残して足早に医局を後にした。  どすどすと大股で廊下を歩く怜一を、すれ違うスタッフはいぶかしげな目で見て、不自然に道をあける。もう少しで通用口というところで、突然怜一は足を止めた。というよりは止めざるを得なかった。 「ねえ聞いた?佐々先生が新人くん泣かしたらしいよ」 「えーホント?佐々先生ってさ、指示細かいし、言い方キツいよね」  角を曲がる直前で聞こえてきた噂話。思いもよらず自分の名前が出てきて、咄嗟に柱の陰に身を隠したが、これではまるで怜一が盗み聞きをしているみたいだ。 「黙ってたら、クールビューティ―って言うの?綺麗系のイケメンなのに、喋ったらただの鬼だもんね。もったいないわー」 「鬼っていうか、いかにもDomって感じしない?ナチュラルに偉そうなとことか」 「あー分かる、Domっぽい。Subに血も涙もない命令しそう」  悪かったな、血も涙もなくて。それにしても、怜一の苦悩など知らずによくもまあ随分好き勝手言ってくれるものだと思う。  病院という閉鎖的な環境では、噂話はすぐに広まる。時には、尾ひれどころか胸びれも背びれも全部くっついて、事実よりも大きな顔をして独り歩きする。だから怜一もこの程度のことは今さら腹も立たないが、話が終わるまでわざわざ隠れていてやる義理もなければ、盗み聞きを続けるほど悪趣味でもない。  強行突破をすることを決め、柱の陰から一歩前に足を踏み出す。すると突然後ろから肩を軽く叩かれた。 「しっ。こっち来て」  振り返ると、伊吹が唇の前に人差し指を立てるジェスチャーをしていた。同じく退勤するところだったらしく見慣れない私服姿で、怜一の手首を掴むとUターンをする。一言もしゃべらず別のルートを通って通用口へと進み、ようやく外に出たところで、こらえきれない様子で吹き出した。 「いやー、まさか先生がそのまま突っ込んで行くとは思わないから、俺の方が焦ったよ」  さっきよりも雨足が強まり、通用口のひさしの下にも雨が降りこんでくる。伊吹はひとしきり笑った後、憮然としたままの怜一の顔を覗き込んだ。往々にして医療従事者は職業柄パーソナルスペースが狭い傾向があるが、どうやら伊吹もそうらしい。覗き込む顔の近さに、思わず目をそらす。 「なんかごめんね、先生。さっきの話、気い悪くしちゃった?」 「別に。指示細かい、言い方キツい、偉そう。全部事実です。痛くもかゆくもない」 「それはそうなんだけど」  平然とそう言うこいつも、随分いい性格をしていると思う。 「みんな悪気はないんだよ。ただ、先生が若くてカッコいいから気になってるだけで」
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