縛り、縛られ、囚われて~DomとSubの幸せな依存〜

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「あれ、もう帰るの?来たばっかりでしょ」  お前のせいだと文句の一つも言いたくなる。怜一は複数の抑制剤を常用し、今日のようにいよいよ差し迫った状況の時だけここを訪れる。しかし知り合いに遭ってしまった以上、長居をするつもりはなかった。 「気が変わったんだ。じゃあ、失礼」  会計を済ませて立ち上がろうとした時、 「まだ、ここにいてよ。一緒に飲もう」  伊吹からの誘いを聞いて、一度上げた腰をもう一度すとんとスツールに戻す。 「え、本当にいいの?ありがと」  自分が引き留めたくせに、伊吹は不思議そうに首を傾げていた。 「いや、やっぱり帰る」  この男は危険だ、これ以上一緒にいてはいけないと、頭の中で危険信号が点滅する。 「残念。じゃあ、また明日ね」  今度は引き留められなかった。怜一は本能に従い、逃げるように店をあとにする。 「俺、グレアもコマンドも使ってなかったのになー。やっぱ、噂はあてにならないよね」  残された伊吹は、ごく小さな声でつぶやく。そして口元を歪めてかすかに笑った。 「なぜ、私にコールがなかったんですか。前から重々言っているはずだ。勤務時間外でも、私の患者に急変があれば必ず連絡をするようにと」  申し送り中の夜勤の看護師に詰め寄ると、慌ただしいはずの朝のナースステーションは一瞬にして静まり返った。  伊吹のせいで不調の原因を解消することは出来ず、寝不足のまま出勤すると担当の患者が夜間に急変し亡くなっていた。亡くなったのは昨日伊吹から退院の相談を受けた患者で、「何か様子が変」という勘があながち間違いではなかったということになる。  治療経過は順調で検査結果も異常は無く、怜一は少なくともこんなに急激に容体が悪化するとは全く予測していなかった。  何か重要な予兆を見過ごしてはいなかったか。動揺と、自分の指示が守られなかったことへの憤りで早朝の病棟に駆け込んだ。 「なぜですか。この病棟では医師の指示が共有されていないんですか?それとも、急変で間に合わないから呼ばなくてもいいと?それを判断するのは主治医の私で、君たちが判断するべきではない」 「申し訳ありません、私がそうするように指示を致しました」   声をあげたのは病棟師長だった。看護婦という呼称だった頃から病棟で働いている彼女は、柔和な物腰ながらも修羅場を潜り抜けて来た人間特有の厳しさと鋭さがある。 「奥様の希望だったんですよ。もう生きているうちには家に帰れないんだから、せめて最後の時間は心穏やかに二人で静かに過ごしたい、先生もお呼びしないで欲しいと。その希望を尊重すべきだと思いましたので」  経験豊富なベテラン師長は、それが何か問題でも?というふうに首を傾げている。 「つまり、退院の反対をした私の顔を見たくないという家族の希望を優先したと?」 「簡単に言えばそういうことになります」 「私が主治医として、患者のことを一番に考えて判断したことが間違っていると、そう言いたいのですか」 「そうではありません。例え急変しなくても、退院は難しかったと私も思いますよ」 「だったら、なぜ」 「先生は本当に患者さんとご家族に寄り添っておられましたか?」  なおも食い下がる怜一のことを、穏やかな笑顔と口調は明らかに咎めていた。 「一番近くで患者さんのことを見ている私たちの意見に、少しでも耳を傾けられましたか?それが全てです」 「・・分かりました。でも、次からは必ずコールをして下さい」
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