風のまにまに ~小国の姫は専属近衛にお熱です~

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出陣  ほんの少し前。  出来ることなら、デュラに見つかることなく宿屋の主人にだけ言付けを残して出掛けたかった。 「ここか」  赤い金魚亭のドアを開ける。 「いらっしゃい」  主人が厨房から顔を出す。グランティーヌは辺りを見渡すとデュラの姿がないことを確認し、言った。 「ご主人、わらわは今日ここに泊まることになっておるデュラの連れなのじゃが、言伝を願いたい」 「ああ、伺ってますとも。お兄さんは部屋にいるよ? なんなら直接…」 「いいのじゃ。言っておいてくれ」  駄目と言うに決まっているのだ。だったら置いて行くしかあるまい、とグランティーヌは思っていた。 「友達の家に行くから心配しないで待っててほしい、と」 「ほぅ、そりゃあいいねぇ」  まるで天気の話しでもするかのように、大した興味もなさそうな口調で、主人。この手の会話は商売人なら誰でもする、いわばあってないようなコミュニケーションだ。 「実はのぅ、撒いてもいない餌に自ら食い付いてきたのじゃ」 (そうか、釣りをしているのだな)  主人は思った。 「大物なのかい?」 (この辺に魚の釣れる川なんてあったか?)  思っていても口にはしない。商売人はいちいち細かいことにこだわっちゃいかんのだ。 「もちろんじゃ! 全てはわらわの手にかかっておる! デュ…兄上も誘いたいところだが、それより事が済んだ後でびっくりさせるほうが面白かろう?」 「なるほど、それは楽しそうだ」 (……しかし歳の離れた兄妹だなぁ)  それも家庭の事情だ。ゴシップは禁物。 「行き先は兄上も知っているが、心配されても困るので言付けだけしに来たのじゃ。直接だと怒られるかもしれんからのう」 「怒られる?」 「心配性なのじゃ、兄上は」 「そうなのかい?」 「そうなのじゃ! わらわのことが好きすぎて、片時も離れてくれぬ。しかしわらわとて兄抜きで友人と遊びたいことがあるのじゃ」 「それはそうだねぇ」 「そんなわけで、わらわは一人でゆく! 大丈夫じゃ。ちゃんと戻ってくるから。兄にはよく申し伝えてほしい」 「わかったよ、言っておこう」 (しかし、変な喋り方だな。地方から来たのか?)  呑気な主人である。  クルリ、グランティーヌが身を翻す。 「では、行ってくるぞ!」 「いってらっしゃい」  元気よく走り去る後姿を、微笑ましく見送る主人であった……。 ***** 「……と、いうわけで、妹さんは釣りに行ったんだとと思われますが?」 (何を釣りにだっ、何をっ!)  デュラは迷っていた。  もちろん、グランティーヌが川へ釣りをしに行ったのではない事くらいわかっている。が、ではどこへ行ったのだ? まさか単独で城へ殴り込んだわけではあるまい? 「ティン~……、」  うなだれるデュラ。  宿屋の主人はそんなデュラを見て、心の中で呟いた。 (確かにこれは過保護すぎるなぁ)  グランティーヌの言葉を、鵜呑みにしたのであった。 ***** 「なんですとっ?」  リース卿は声を裏返しながら国王に詰め寄った。こめかみに筋を浮かべ、それは今にもはち切れんばかりの状態である。 「グランティーヌ様がカナチスに乗り込んだですとっ?」 「そういうことらしい」  ジーアはニヤニヤ顔でデュラが送ってきた文書に目を通していた。 「陛下っ、何を笑っているのですか。これは一大事ですぞ? 早く姫を連れ戻しに参りませんとっ」 「まぁ、落ち着け、じい」 「これが落ち着いていられますかーっ」  バタバタと部屋中を歩き回る。 「言っただろう? ティンと婚約者を会わせる段取りは出来ている、と」 「……へ?」  間抜け面で、リース卿。 「まだわからんのか? ティンがカナチスへ向かうことなど、最初からわかっていたと言っているのだよ」 「わかって……いた?」 「一昨日の夜、二人でティンの結婚話をしただろう。ティンはドアの外でそれを聞いていたのだよ」 「……えええっ!」  リース卿に『ティンのことで大切な話がある』と呼び出すところから計画は始まっていたのだ。ティンは耳ざとくそれを聞いていて、二人の秘密会議をこっそり覗いていた。あの話を聞いたあとティンがとる行動は家出以外ない。そしておそらく行き先はカナチス。自らの手で婚約をぶち壊しに行くだろうことは、容易に想像できる。 「どうしてそんな大事なことを黙っていたのですかっ!」   肩をブルブルと震わせ、怒っている。このリース卿の姿を見ると、ジーアは思わず顔がほころんでしまうのであった。 「まぁ落ち着け、じい。デュラが一緒なのだし、あとは先方の双子と若いもの同士なんとかするだろう。な?」 「なんとか、って」 「じいも聞いているだろう? カナチスの双子の噂を」  フラテスのグランティーヌとカナチスの双子は、近隣の国では有名人である。もちろん、親である現国王が有名なのだから、後継ぎというだけでも話題には事欠かない。が、それ以外にも噂が立つ要素を余りあるほど備えているのだ。 「グランティーヌの無鉄砲さと噂の双子との対決だ。面白かろう?」  ケラケラケラ、無邪気にはしゃぐ父。  ぐももももっ、爆発寸前のリース卿。 「陛下っ!」  均衡を破ったのは近衛隊長のオウル。息を弾ませ走り込んでくる。 「デュラを見かけませんでしたかっ?」 「何だ、騒々しい」  リース卿が不機嫌そうにオウルに言った。 「申し訳ありません。実は昨日よりデュラの姿がなく、姫の姿もお見かけしておりません。もしや何かあったのではと…」  呼吸を整え、頭を垂れる。ジーアはデュラから送られてきた書状を差し出した。オウルは黙ってそれを受け取り、ざっと目を通した。 「デュラから……? なんと! グランティーヌ様とカナチスにいるだとっ?」  オウルが感嘆の声をあげる。 「陛下! 直ちに姫を連れ戻しすべく、近衛をカナチスへ向かわせ、」 「いいや、待てオウル」  血管がはち切れそうな勢いで迫るオウルにジーアが言う。 「そう焦るな。今グランティーヌを連れ戻したら計画は水の泡だ」 「計画……とは?」 「オウル、お前はティンの身を案じるか?」 「もちろんです!」 「じいは?」 「当然です!」  声を荒げる二人に今度は違ったトーンで、尋ねた。 「では、二人に問う。デュラと共に行動しているティンに身の危険はありうるか?」 「……それは、」  もごもごと口ごもったのはリース卿。オウルは何も言わず俯いていた。 「デュラは若いが腕は立つ。それに頭も切れる。ティンを任せるに値する人材だ。何も心配などしておらん。グランティーヌの家出も、デュラの書状も私の予見通りだ」 「陛下はこの事態を知っていたのですか?」  オウルが怒りの篭もった驚きの声をあげた。当然だ。オウルにしてみればデュラは息子同然であり、また、部下としての彼はグランティーヌの護衛という重い任務を与えられている。突然姿を消したデュラを、オウルは朝からずっと捜し歩いていたのだ。 「ん~、まぁ、何だ、知っていたというか、(はか)ったのは私だからな」  さすがにジーアもオウルからの殺気を感じ悪びれたように頭をかいた。 「実はな、私はグランティーヌに確かめて欲しいと思っていることがあるのだよ」  そして今度はわざとらしく腕など組み、深刻な顔をして二人を見る。 「確かめる? なにをです?」  訊ねる、オウル。 「事の真相を、な」  意味深な微笑を浮かべ遠い目をするだけのジーアを見、溜息をつくリース卿。オウルは一体何が起きているのか全くわからず、ただ、デュラとグランティーヌが何事もなく戻ることだけを祈っていた。  そう、二人が無事なら誰が巻き込まれようと知ったことではない、とばかりに……。
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