さぁ、悔いのない御食事を!

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 迎えた観光案内当日。私は、緊張で逃げ出したい気持ちだった。  何故ならアシスタントで草薙先輩がついてきてくれるはずだったのに、感染症にかかって急遽来れなくなったからだ。 「……はぁ」  どうして食費を経費で出すという言葉に見事釣られてしまったのか、私は。  最初はあれだけ意気込んだものの、「やはり自分じゃ無理なのでは?」という思いでいっぱいだった。  だが、逃げることは許されない。一人でもやるしかないのだ。 「八百万観光課の野上葵です! 『ヒダル神』様、よろしくお願いいたします!」    私はヒダル神が一時的に宿っている御神体(ごしんたい)の石に、腰を九〇度曲げて挨拶をした。  神は基本的に宿っている御神体から、あまり遠く離れることができないし、物に触れて、食べることもできない。そんな神様に観光を楽しんでもらうために、私たち──霊媒(れいばい)がいる。  「霊媒」とは、神仏や霊的な存在と意思疎通できる存在だ。「八百万観光課」に勤めるには、この素質がある者しか入れない。そのために万年人手不足なのだが……草薙先輩の代わりが来ない理由もこれに尽きる。  さて邪念を頭から追い払って精神を集中させて、神を自身に憑依させる「神懸(かみがか)り」の儀式を行う。無我の境地になった時、体の中に何者かが入って来る感覚がした。どうやら無事に成功したようだ。  だが次の瞬間、  ぐぐぅ~~。  私は猛烈な空腹に襲われた。神憑りをすると、霊媒と神様の感覚は共有される。と、いうことは──。 「……ヒダル神様の感じている、空腹?」  こうしている間にも手足が痺れて、動かすのが億劫になっていく。確かヒダル神に取り憑かれた際は、米粒一つでも食べればこの症状は治るはず。  私は急いでバッグからラップに包まれたおにぎりを取り出し、モグモグと頬張った。 「ふぅ。これでひとまず大丈夫かな?」  この先の観光プランとしては、美味しい料理店──和食から洋食、それこそ高級店から庶民的な店まで──を網羅できるようにしている。  だが、もしも移動中に空腹になったときのために、おにぎりを握って来ておいたのだ。 《──すまない》  すると頭の中に響く声がした。それは年老いた男性の声で。 「もしかしてヒダル神様ですか? いえいえ! 想定内のことですから、気にしないでください!」  私は気合を入れると、明るい声で取り憑いているヒダル神に告げる。  「お客様の前で、情けない姿は見せるな」。これは草薙先輩に口酸っぱく言われてきた教えだ。  めげるな、私! 記念すべき初仕事を、立派にやり遂げるんだ! 「では私が計画した『大満足確定☆食い倒れツアー』へ、ご案内いたします!!」
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