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「――っ」
陸の顔が俯く。
今まで誰が相手だろうと一度たりと目を逸らしたことない陸の瞼が、前髪の奥で伏せっていた。
「――陸! こっちを見ろ!」
そんな陸の胸倉を掴んで、湊斗は無理やりに視線を合わせる。
陸の瞳は、今にも泣き出しそうに揺れていた。
「……見るな」
今まで一度だって聞いたことのない陸の声。
それはまるで、雨の中捨てられた子犬のような……。
「こっちを見ろ、陸!」
「……っ」
「こっちを見ろっつってんだろ!!」
陸の胸倉を掴む、湊斗の分厚く硬い手のひら。
この三年間、何度この右手に殴られてきたことだろう。その痛みに、何度呻き、生を実感したことだろう。
疎ましいと思ったことは何度もあったし、湊斗の真っすぐな性格を呪ったことは数え切れない。
けれど湊斗がいなければ、陸の鬱憤の捌け口が学校内で収まることはなかっただろう。家族に虐げられ、心を荒んだ陸が喧嘩以上の悪事に手を染めることなく過ごせたのは、湊斗の存在があったからだ。
いつだって喧嘩をしかけるのは湊斗の方だったが、それによって救われていたのは陸の方だ。
――それだけではない。
陸はとうとう気が付いてしまった。
今自分の胸倉を掴む湊斗の力が、今までにないほど強いことに。
今までずっと、湊斗は手加減をしてくれていたことに……。
――ああ、何だよ。俺、こいつに甘えさせられてたってことかよ……。
そのことに気付いた途端、陸は自身に無性に腹が立った。
今まで大切なことから目を逸らし続けていた自分が猛烈に恥ずかしくなった。
このままでは目の前の湊斗に顔向けできないと、そう思った。
「――湊斗……苦し……」
「――ッ」
――次の瞬間、陸の口から出た自分の名前に、湊斗はパッと手を放した。
頭に血が昇り、つい全力で胸倉を掴んでしまった自分自身に困惑した。
と同時に、陸の口から出た”湊斗”という言葉に、驚きでいっぱいになった。
「お前……今――名前」
「呼んだよ。だって、深海って言っても全然放さなかったから」
「えっ? マジか、悪い。全然気付かなかった」
「いいって、別に。こっちこそ情けない姿見せて悪かった。俺、やるだけやってみるから」
「――!」
「確かに俺、ほんとは父親の仕事なんて手伝いたくないし、海外に行くのも嫌だと思ってた。でも今の言葉で目が覚めたっていうか……やれることはやってみようって思えたっていうか……」
「それ、本当だろうな? 無理してんじゃねーのか?」
「どうかな。――でも、俺が本気でやるって決めたら、湊斗は応援してくれるんだろ?」
「……そりゃ……まぁ……」
さっきまでの怒りが嘘のように、言葉を濁す湊斗。
きっと今頃自分の言葉が恥ずかしくなったのだろう。
陸をまっすぐ見ていたはずの湊斗の視線が左右に泳ぎ――そして……。
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