カテよ、届け

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「そんなにお腹減ってないんだけど」  尾上先生と話した翌日、調理実習室に姿を見せたの古澤の第一声はそんな言葉だった。  古澤志保は俺より少し背が高くすらりと手足が長い。それだけで速そうだなって感じがする。 「練習終わった後なのに?」  古澤は学校のロゴが入ったジャージ姿だし、さっきまで練習していたはずだ。 「別に、いつも夕食食べてないし」 「マジで?」 「適当にお菓子とか買って、それで終わり」  古澤は何でもない様に言いながら伸びをしている。尾上先生が言ってた食生活のヤバさは本当だった。健康に悪いとかより前に、それで朝まで持つのかというほうが気になるけど。 「まあいいや、肉と魚ならどっちが好き?」  じとっとした古澤の目が降り注ぐ。話聞いてた?とでも言いたげだけど、こっちだって尾上先生に頼まれてるし部の存続がかかってる。素知らぬふりして見返していると、根負けしてくれたのか古澤がため息をついた。 「……お肉」 「肉ね。じゃ、ちょっと待っててくれ」  先に作って待ってようかとも思ったけど、料理って作ってる行程自体も調味料みたいなものだから、あえて目の前で作ることにした。まずは玉ねぎをみじん切りして、レンジで温める。時短のため、温まった玉ねぎは冷凍庫で一気に冷やす。  その間に他の材料や付け合わせを準備していく。古澤の様子を見ると、一応はこっちの様子を見ながらも、あまり興味がないのか椅子に腰かけながらストレッチをしていた。すげえ柔らかい。長い脚と柔軟性。多分古澤はどんなスポーツでも器用にこなしそうな気がする。 「高校から陸上始めたんだっけ?」  粗熱のとれた玉ねぎをひき肉やナツメグなどと調味料と合わせて、ひき肉の脂が溶けださない様に手早く木べらでこねていく。 「そうだけど」 「なんで短距離にしたんだ?」 「単純そうだったから」  古澤は頭の後ろで肘を抱えて、ぐっと体を横に倒す。 「バンって鳴ったらゴールまで思いっきり走る。なんか全員部活入れみたいな空気があって面倒くさいなって思ってたけど、一番性に合ってるかなって」  こね終わったひき肉を小判型に整えて空気を抜き、温めておいたフライパンに入れる。じゅっと肉に火が入る音と香りが広がった。両面に焼き目をつけたら蓋をして蒸し焼きにする。 「それなら、意外とルールが複雑だったんじゃないか?」  付け合わせの野菜をバターでソテーしながら尋ねてみると、古澤の顔が渋くなる。 「……まあね」  短距離もシンプルに見えてルールとか気にすることは無数にある。古澤の希望には合ってなかったんじゃないかなと思ったけど、古澤はふっと表情を崩す。 「でも、走るのは嫌いじゃなかったから、別にいいかなって」  長い脚をぶらぶらとさせながら古澤は笑っていた。それは無邪気な子どものようで、キラキラしていて、思わず吸い込まれてしまいそうになる。だけどその前にタイマーが鳴って、蓋を開けると綺麗に焼けたハンバーグが顔を出した。 「ほら、できたぞ」  ハンバーグを皿に盛り付けて、肉汁でさっと作ったソースと付け合わせの野菜を添える。先に準備していたご飯とスープを合わせればハンバーグ定食の完成だった。 「いただきます」  古澤は気乗りしない表情だったけど、手を合わせてから箸をとり、ハンバーグの端の欠片みたいな部分をはむっと頬張った。 「……んまっ」  そんな声を漏らしてから、古澤は自分で驚いたように口に手を当てる。それから悔しそうな視線を投げかけてきた。あまり見てると怒られそうだから、自分の分のハンバーグを食べてみると、時短優先で作った割にはよくできていた。  机の向かい側では、お腹空いてないと言っていたはずの古澤が黙々とハンバーグを口に運んでいた。これなら、古澤の食生活の改善は思っていたよりは簡単かもしれない。 「ごちそうさま」  そう言って手を合わせた古澤の皿からハンバーグはなくなっていた。ハンバーグ“だけ”は。 「付け合わせは?」  付け合わせのにんじんとインゲンは手を付けた形跡がない。スープは完食してたけど、ご飯は半分くらい。 「ヤサイ、キライ」 「子どもかっ!」 「何とでも言えば?」  古澤はツンと俺から顔を逸らす。前言撤回、これは根気がいりそうだ。お菓子だけの夕食よりはマシだろうけど、肉ばかりでも調子を崩してしまうだろうし。色々考えることはあるけど、まずは。 「皿くれよ。残り食うから」 「……全部食べろって言わないの?」  付け合わせの残った皿を差し出しながら、古澤はきょとんとした顔で首を傾げる。 「別に。俺が頼まれたのは古澤の食生活の改善で、好き嫌いの克服じゃないから」  なんでもバランスよく食べるに越したことはないだろうけど、まずは南九州大会までの二か月間、きちんと練習後にしっかり食べてもらう必要がある。嫌いなものを無理やり食べさせて、古澤がここに来なくなる方が問題だった。 「食べたいものだけ食べりゃいいから、明日からも来いよ。まあ、そのうち古澤の方から野菜食べたいって言いだすだろうけど」  古澤が残した付け合わせを食べながら挑発するように言ってみると、古澤は立ち上がりながら挑戦的な笑みを返してきた。 「ふうん、楽しみにしてる。じゃあ、“また明日”」
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