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「……え、お雛さま?」
奈子の突然の訪問に、佳乃子の表情が曇った。
(あれ? 予想と違う反応)
優しい佳乃子は、いつ来ても迷惑そうな顔ひとつせずに迎えてくれる。
けれど雛人形のことを話した途端、渋面になった。
いつもみたいに「いいよ!」って言ってくれると思ったのに。
「あ、ごめん……大事なお雛さまだったんだね?」
暴走した自分が子どもっぽくて恥ずかしくて、耳まで熱くなる。
「ううん、そんなことないよ。……ないんだけど……」
佳乃子が歯切れ悪く答える。
しばらく考えて、佳乃子は二階の和室に来てほしいと言った。
そこにお雛さまがある、と続けて。
階段で二階に上がり、ふと思い出した。
昔、この部屋で佳乃子とひな祭りパーティーをしたことを。
「たしか七段飾りの、すごく立派なお雛さまだったよね?」
「うん。お父さんの方のおばあちゃんから譲り受けたの」
ちなみに奈子は、佳乃子の母方のいとこに当たる。
和室の小さな茶箪笥の上に、その時の写真が飾られていた。七年前、十五歳の佳乃子と五歳の奈子が写っている。
その背景に、七段飾りの雛人形があった。
幼かった奈子には「怖い」「不気味」などネガティブな印象しかなかったが、写真を見る限り、古くても衣装も小物も凝った造りだ。見るからに高価そう。
「実はね……お雛さまを飾ったの、この時が最後なの」
「あー、うちの担任の先生も言ってたよ。実家に十段飾りがあるけど、出すのも仕舞うのも大変だから、これまで数えるほどしか飾ってないって」
あはは、と奈子は笑うが、佳乃子は暗いままだった。
(どしたんだろ、佳乃子ちゃん……)
その不穏な様子に、だんだん奈子も緊張してくる。
「三年前の桃の節句……この雛人形をくれたおばあちゃんが亡くなって、弔いのつもりで久しぶりに出そうとしたんだけど」
三年前、佳乃子は、母親と押入れの上にある天袋の奥から、『内裏雛』と書かれたいくつかの箱を探し出した。
懐かしい、と思い出に浸りながら箱を開けると――
母娘の口から小さな悲鳴が出た。
「お内裏さま……男雛の方の衣装がね、ボロボロになってたの」
そう言いながら、佳乃子は押入れを開けた。
すぐ手に届くところに、『内裏雛』『三人官女』『五人囃子』『右大臣・左大臣』『仕丁』『その他小物』と書かれた和風の箱があった。
雛人形の、箱だ。
佳乃子はひとつずつ取り出し、畳の上に並べる。
「ボロボロって……?」
箱をじっと見ながら、奈子が聞く。
「冠の紐がちぎれたり、肩から右袖が取れかけてたり、手に持っていた笏が折れてたり……」
奈子は思わず写真に目を向けた。
この上品な顔立ちのお人形の、美しい装いがそんな無惨なことになったなんて。
「でも女雛の方は無事だったの。だだ、口元が何かにこすれたみたいに汚れてた」
写真の中、女雛の赤く小さな唇に目を移す。
「ネズミに食い荒らされたのかなって思ったけど……箱、見て」
佳乃子が箱を指差す。
「傷ひとつ、ついてないでしょ」
「……うん」
奈子は頷く。
……だんだん、心がざわざわしてきた。
何なんだろう、今いる場所、時間、会話、空気は。映える写真が撮りたかっただけなのに。
「すぐに箱に戻したよ。……本当は気味が悪くて捨てようとしたけど、おばあちゃんが亡くなったばかりだったから……処分は見送ろうってお母さんと決めた」
そこから三年後。
つまり、現在。
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