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「先週、久しぶりに箱を出したんだ。飾るか捨てるか、どっちか決めるために」
佳乃子の白い手が、『内裏雛』と書かれた箱に伸ばされて――触れる寸前にピタッと止まり、手を引っ込めた。
触れることを恐れたように。
奈子は、ゴクリと固唾を飲んだ。
「男雛だけじゃなくて、……女雛も」
無惨な姿になった、と佳乃子は続けた。
まるで凶暴な猫に弄ばれたように、
きらびやかな刺繍を施された衣装は破れ、
丁寧に結われた髪は乱れ、
笏や桧扇を持つ小さな手は欠け、
花の顔(かんばせ)は塗料が剥げ、ところどころ黒ずんでいた。
「……不思議なことにね、他の箱に入った三人官女や五人囃子とかは無事だったの。内裏雛だけがズタボロになった」
ふう、と佳乃子が息をつく。
「それ見た瞬間さ、似てるなって思ったんだ」
「な、何に?」
奈子はやっと声を絞り出せた。
「大学の生物学の研究室で実験用のマウス――ネズミが『共喰い』しちゃったのに」
「えっ……?」
「飢えとストレス、だったんだろうね。狭い水槽の中に何匹もみちみちに閉じ込めたんだから、仕方ないんだろうけど」
奈子の頭に、ひらめくものがあった。
何年も飾られなかった――外に出られなかった男雛と女雛。
お供えになるのだろうか、あられや白酒や菱餅は。
でもとにかく、狭い箱に閉じ込められたら、生まれるのは閉塞感、苛立ち、何より――飢餓感だ。
それらが募り、お互いを喰い合った……
「人形……なのに?」
奈子が問う。何ひとつ面白くないのに半笑いの表情になってしまった。
「人形って、魂が宿りやすいっていうよね」
そんな答えを返されたら、奈子としてはハハハと乾いた笑いを出すしかない。
重苦しい沈黙の中、佳乃子がわざとらしく声を高くした。
「なーんて、本気にしちゃった?」
「え?」
「お雛さま、持っていく? 私はいいよ」
「えぇ?」
佳乃子がイタズラっぽい笑みを浮かべた。
それを見て、奈子の全身から力が抜けた。
「もー! 佳乃子ちゃん!」
奈子は佳乃子の肩をぽかすか殴った。
なんだ。ただの冗談だったのか。
「ごめんごめん。でも、内裏雛がボロボロになったのは本当だよ。でもたぶん、経年劣化とか虫の仕業だよきっと」
笑いまじりに佳乃子が言うと、奈子はしばし考えた。
「うーん、ボロボロなのはなぁ……」
映える写真が撮りたいのに、そんなのだとホラー画像になってしまう。
「とりあえず見せてもらっていい?」
「いいよ。箱、開けようか」
許可を得て、奈子は内裏雛の箱に手を伸ばした。
その時だ。
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