ダイエッター

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――待てよ。あのとき、斉木はどこを見てた?  ゆっくりゆっくり、丁寧に思い出してみる。  本気です、と言ったとき、半笑いで見ていた視線のその先にあったのは、アキラのタヌキ腹ではなかったか。 ――いや、無理って? 男が無理じゃなくて、この腹か? この腹が原因か? 結局、アイツもデブが無理じゃねぇのかよ!!  親切にしてくれていたのは、眼中の隅に芥子粒ほどの可能性もなかったからじゃん。  そんな風に悟ったら、勝手に盛り上がっていた自分がなんだか虚しくなった。  そして、奮起した。 ――どいつもこいつも、馬鹿にしやがって、痩せて見返してやる!!  食パンをしまい、ブラックコーヒー一杯の朝食を摂って出社する。ランチもヘルシーなものがいいと、コンビニでミネラルウォーター二リットル、それからカットされたレタスを買った。  水で腹を膨らませながら、モシャモシャとレタスを咀嚼する。もちろん、ドレッシングなんて付けないし、マヨネーズはもってのほか。  青虫になった気分になるばかりで美味しくはなかったが、それもこれも馬鹿にした連中を見返してやるため。  大きな体でレタスを貪る姿は、笹を食うパンダのようだった。 「それだけで足りるの?」  デスクでレタスを食べていたら、怪訝な顔で立津が覗き込んでくる。 「ダイエット始めた」 「ふーん。無理じゃね?」  始めたばかりで頭から否定され、カチンと来た。ますます痩せてやろうと決意が固まる。  それから毎日、レタスと水だけの昼食を摂る。そうしていると、必ず立津がやってきて、目の前で買ってきた弁当を食べだす。嫌がらせ以外の何ものでもない。  店で食べてくればいいものを、わざわざ持ち帰りにしてカレーを持ち込み、アキラの目の前で広げる。  ぐぅ、とアキラの腹が鳴る。  夕飯もキャベツの葉一枚で済ませている。料理は出来ないし、葉っぱをそのまま食べるならヘルシーだろうという、どこから来たのかわからない謎の先入観の為、ここのところ、葉っぱと水、朝食のブラックコーヒーしか摂っていない。  故に、スパイシーな香りは空腹に堪える。  レタスを食べているのに、腹が満たされない。水を飲んで誤魔化した。 「それだけじゃ足りないだろ。これ食えよ」  カレーのトッピングについていた茹で卵を、アキラのレタスの上に乗せてくる。  最近は、弁当のおかずをアキラに食べさせようとしてくるのだ。 「要らん」 「遠慮するなよ」 「してないし」 「午後、持たないだろ」 「要らないって言ってるだろ!」  苛立ちに任せて、バン、と机を叩く。ダイエットを始める前は、これくらいのこと笑って断れた。なのに、ダイエットを始めてからというもの、空腹でイライラするときが多くなった。  だけれど、体重計に乗れば着実に成果が出ていた。成果が出ればやりがいを感じて、葉っぱばかりの生活が続く。  そんな折だった。仕事でミスをしたのは。 「悪い、立津。助かった」 「別に。自分の仕事をしただけなんで」  早めに気づいた立津のおかげで、大事にならなかった。 「お前さ、最近、注意力散漫じゃね?」 「そうかも」 「食ってないせいだろ」 「……食べてるよ」 「レタスだけだろ」 「キャベツも」 「葉っぱ以外を食えつってんの」 「痩せろっていったのは立津だろ」 「食うなとは言ってない」 「ふざけるな。お前が……俺が飯食ってるときに、睨んで責めてたのは、お前だろが! お前、お前が……」  頭に血が上り怒鳴ったら、クラっと来た。ろくなものを食べていないせいで、貧血を起こしただけだとアキラは軽く見ていた。  だけど、気がついたら病院のベッドの上に居た。 「あれ? 俺……」 「軽い栄養失調だってさ」 「ご迷惑おかけしました」  申し訳ない気持ちで真摯に頭を下げたつもりが、立津に睨まれる。 「迷惑だよ、本当に。俺が居たからいいものの、一人で倒れてたらどうすんだ。頭打ってたかもしれないんだぞ」 「いや、まあ、その、ごめんなさい」 「ごめんじゃねぇよ。だから、常日頃食えって言ってたんだろうが」 「痩せろって言ったのは、立津だろ」 「痩せろ、デブ」 「どっちなんだ」 「無理なダイエットなんかするからだろうが、馬鹿。適切な栄養素を摂って動け。葉っぱだけって、虫かよ。栄養足りなくて倒れるって、ちょっと考えりゃわかるだろ。  大体、アンタは極端なんだよ。ダイエット始める前は油モンばっかばかばか食って飲んで、ダイエット始めたら葉っぱだけって。頭おかしいんじゃねぇの」 「そこまで言わなくても」 「言う! 言うよ、馬鹿! 頭打って死んでたっておかしくないんだぞ、わかってんのか。  俺の婆ちゃん糖尿病患ってて、食いたいもんも食えないで死んだ。人が死ぬって大変なんだぞ。死んで数時間もしない内に葬儀屋決めて、あちこち連絡して、大好きだった人の死を悲しむ暇もなくて。葬式が終わった後に、婆ちゃんがいた空間に婆ちゃん居なくて、ただただ喪失感がすごいんだからな」 「うん……?」  立津がなんで、突然、身の上話をしだしたのか。  アキラが倒れて混乱し、救急車を呼んで付き添い、目覚めてようやく安心したからでもあるのだが。  それがわからないアキラは、立津ってお婆ちゃんっ子なんだなぁ、と呑気な感想を抱いた。
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