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このまま曲が終わらなければいいのに。
このままずっと咲と一緒に音楽を奏でていたい。
だが、無情にも曲は後奏部分に差し掛かる。
視線を交わしながら最後の一音を丁寧に伸ばし、彼女がベル部分を小さく円を宙に描くと、俺と咲の細やかな演奏会が終わった。
****
「お疲れ」
好きな女子に何て言葉を掛けていいか分からず、俺はいつも通りの挨拶を口にする。
「やっぱ『さくらのバラード』は、良い曲だよね」
そう言いながら咲の手が、さり気なく俺へと伸びてきた。
「向坂くん、そのままじっとしてて」
俺のごわついた黒髪に、そっと触れる細い指先。
鼓動が跳ねたと同時に、スッと離れていく。
咲が俺の目の前に手を差し出すと、ひとひらの桜の花弁が小さな掌の上で揺れている。
「髪についてたから」
言った瞬間、ふわりと微風が舞い、花弁が旅立つように飛んでいく。
華奢な手が下ろされようとした時、俺は咲の手首を無意識に掴んでいた。
「なぁ、咲」
「こ、向坂くん?」
「お……俺さ……」
澄んだ黒い瞳が、真っ直ぐに突き刺さり、俺も眼差しを交差させる。
もどかしい沈黙の中、次いつ会えるかも分からない咲への想いを、俺は告げようとした。
しかし、吹奏楽部の同級生から一歩上の関係を望みながらも、この関係が崩れるのを恐れた俺は、ありきたりな言葉しか出てこない。
「咲の事…………ずっと応援してるから……頑張ってトランペット奏者になれよ!」
咲は瞠目した後、ゆっくりと顔を綻ばせていく。
「ありがとう。夢を叶えるために頑張るよ。向坂くんも頑張ってね」
咲はトランペットを楽器ケースに仕舞い、一歩前に踏み出て俺に向き合った。
「高校三年間、向坂くんと一緒に楽器を演奏できて楽しかった。今日も……」
彼女がゆっくりと顔を俯かせると、意を決したように顔を上げて、俺の顔を見た。
「今日も二人で演奏できて、すごく…………嬉しかった」
咲は薄く笑みを湛えて言い残すと、俺の横を通り過ぎてゆっくりと離れていく。
「咲!」
俺はポカンとしながら彼女を呼んだが、振り返る事も無く、桜吹雪が舞う中へと消えて行った。
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