ひとひらの桜

3/5

5人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ
   このまま曲が終わらなければいいのに。  このままずっと咲と一緒に音楽を奏でていたい。  だが、無情にも曲は後奏部分に差し掛かる。  視線を交わしながら最後の一音を丁寧に伸ばし、彼女がベル部分を小さく円を宙に描くと、俺と咲の(ささ)やかな演奏会が終わった。 **** 「お疲れ」  好きな女子に何て言葉を掛けていいか分からず、俺はいつも通りの挨拶を口にする。 「やっぱ『さくらのバラード』は、良い曲だよね」  そう言いながら咲の手が、さり気なく俺へと伸びてきた。 「向坂くん、そのままじっとしてて」  俺のごわついた黒髪に、そっと触れる細い指先。  鼓動が跳ねたと同時に、スッと離れていく。  咲が俺の目の前に手を差し出すと、ひとひらの桜の花弁が小さな掌の上で揺れている。 「髪についてたから」  言った瞬間、ふわりと微風が舞い、花弁が旅立つように飛んでいく。  華奢な手が下ろされようとした時、俺は咲の手首を無意識に掴んでいた。 「なぁ、咲」 「こ、向坂くん?」 「お……俺さ……」  澄んだ黒い瞳が、真っ直ぐに突き刺さり、俺も眼差しを交差させる。  もどかしい沈黙の中、次いつ会えるかも分からない咲への想いを、俺は告げようとした。  しかし、吹奏楽部の同級生から一歩上の関係を望みながらも、この関係が崩れるのを恐れた俺は、ありきたりな言葉しか出てこない。 「咲の事…………ずっと応援してるから……頑張ってトランペット奏者になれよ!」  咲は瞠目した後、ゆっくりと顔を綻ばせていく。 「ありがとう。夢を叶えるために頑張るよ。向坂くんも頑張ってね」  咲はトランペットを楽器ケースに仕舞い、一歩前に踏み出て俺に向き合った。 「高校三年間、向坂くんと一緒に楽器を演奏できて楽しかった。今日も……」  彼女がゆっくりと顔を俯かせると、意を決したように顔を上げて、俺の顔を見た。 「今日も二人で演奏できて、すごく…………嬉しかった」  咲は薄く笑みを湛えて言い残すと、俺の横を通り過ぎてゆっくりと離れていく。 「咲!」  俺はポカンとしながら彼女を呼んだが、振り返る事も無く、桜吹雪が舞う中へと消えて行った。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加