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伝えられたのは驚くべき内容であった。
しかし、彼はそこに書いてあることを自分でも意外なほどあっさりと受け入れられた。思えば前兆はあった。最も信じがたい、もしくは信じたくなかった筋書きであったが、メルクの視点と自分のものを合わせれば、それが真実であることが多面的に理解できた。しかし村人たちに伝えたところで信じてもらえるとは思えなかったし、何より誰に伝えるのかも考えなくてはならない。
他にも驚かされたことがある。彼から投げ返された布切れの球は、毎度必ずラインの胸元に飛んできていた。
ラインは王都の中心にある大通りにたどり着く。ここまで来れば大丈夫だろう。牢獄に向かう際もここを通ったが、その光景は行きとは違うように見えた。確かに彼の言った通り、人通りこそ少ないが街で何かが起こっているわけではなく、道行く人は早足だが、衛兵などもほとんど見かけず、閑散としていてさほど張り詰めた空気でもない。
王座に座る人間と税金の取り立てが厳しくなったこと以外、この国で変わったことはほとんど無い。各家庭の財政がひっ迫されて買い物をする人が減っているが、彼らも飢えるほどではない。深刻な被害を被っているのは、せいぜい反逆を試みた衛兵と権益者たちだけ。だからこそ人々はゲンズの力を恐れるばかりで、命を張ってまで王座を取り返そうとはしない。すべてが上手く出来ていて、その手際が良すぎる。
歩いていると香ばしい匂いが漂ってくる。ラインは匂いの発生源であるその店に入ることにした。
目的の人物とはすぐに会うことができた。しかしまだ仕事中だったので一番奥の席に座り、しばらくは注文したコーヒーをすすっていた。
「お待たせ」
ラインの席に再びやってきたのはウェイトレスをしている幼馴染だった。
「突然に邪魔して悪いな、リーア」
「大丈夫よ、どうせお客さんは少なくて早上がりの予定だったから。それよりも、そっちが来てくれるなんて珍しいじゃない。用事でもあった?」
「まあな。おまえに会いに来たのにも関係がある。この後、空いているか?」
「逢瀬の約束ならしないわよ。アンヌを泣かせたくないもの」
「そういう揺さぶりは勘弁してくれ」
「分かっているわ。ラインは昔から人一倍生真面目だったものね。それこそテーネみたいに何でもそつなくこなせたわけじゃない」
「ああ、その通りだ。俺はあいつのようにはなれないから、俺なりに精一杯やるしかなかった」
「でも、そうやっていつも一生懸命だから皆ついていく。まあ、今回は怖気づいてしまったみたいだけど」
リーアにも村でのことはすでに伝わっていた。
「でもなんだか引っかかるのよね」
「引っかかるとは」
「最近毎日のようにバウムクーヘンを買いに来るうさんくさい男が、妙なことを言っているのよ。そいつを信用するかはともかく、言われてみればなんとなくおかしいかもしれないと私も思い始めてしまって」
「なんだ。俺と同じか」
ラインは顔をしかめる。そして彼はメルクとこれまで何度かやり取りしたことを説明すると、やはりリーアも同じように顔をしかめた。
「国中を散策しているとは話していたけど、まさか獄中にまで行くとは思わなかったわ」
「どうやら国王様に面会に行ったらしい。そのときに色々あって捕まったんだとよ。どうせアイツのことだから気に障ることでも言ったのだろうが」
「へえ、意外」
リーアが驚く。しかしラインには何故彼女が驚いたのか分からなかった。
「ん、何がだ」
「いや、あの人と仲良くなっているから」
「仲良くなんかねえよ」
店中に彼の声が響き、少ないながらも客たちの注目を浴びてしまう。リーアはおかしそうにくすくす笑っていた。からかわれたことは分かっていたので無視して話を進める。
「いいか。今、俺にとって信頼できる人間は少ない。だから、もしおまえがあいつらの一味だとしたら俺はもうお手上げだ」
「あいにく私にご立派な計画を立てられるような人脈はないわね。あったら街の喫茶店なんかでアルバイトに精を出していないでしょ」
「はっ、それは違いねえな」
二人は目を合わせてニヤリと笑う。
彼らは同郷で生まれ育ち、多くの時間を共に過ごしたが、それぞれ別の道を選んだ。ラインは実家の酪農家を継ぐため地元に残り、リーアはパティシエになるために王都に出てきた。そしてもう一人は幼少時代から優秀で上昇志向も強かったので、城内勤務の上級衛兵となった。
「私、面倒なことは嫌いよ。それに、もし私が何もしなかったとしても、きっとなるようになるだけだわ。メルクは国が滅びるかもしれないと言っているけど、それは大げさだと思う。さすがに自分の国を滅ぼしてしまうようなことはしないでしょ。国が滅んでしまったら自分たちが守ろうとしていたものだって、失うことになるじゃない」
「でもあいつ曰く、集団になると止まれなくなるんだとさ。一度転がりだした雪玉は周りの雪を巻き込んで大きくなり、速さも増していく。そして気づけば誰も止められなくなっている」
「この暖かい日に、その例えはいまいちね」
「癪だが俺はあいつの言っていたことは真実だと思っている」
「私は半信半疑かな。いくらこの国が滅びるようなことになったとしても、彼の損になるようなことはない。もちろん寝目覚めはあまり良くないかもしれないけど。きっと何かあるのよ、漁夫の利をかっさらうような目的が」
リーアはきっぱりと言う。どんな人でも自分のために動く。仮に人助けであっても、それは自己満足のために他ならない。
「あいつには、どこか影があるように思える」
「何よ、突然」
ラインが声を落として話しだすので、リーアは怪訝な顔をする。
「昔さ、俺らがまだガキの頃の話なんだけど」
今度こそリーアは本当に何の話かと思ったようだが、それでも黙って先を促す。
「ウチの牛が死んだんだ。それも俺が一番気に入っていて、よく一緒に遊んでいたやつだ。向こうはむしろ遊んでやっていたという気持ちだったかもな。ある時、そいつが感染病にかかった。それほど珍しいことでもないが、そうなった以上はそいつを生かしておくわけにはいかない。周りの他の牛どもに感染したら、ウチは一家揃って文無しになっちまうどころか莫大な借金をかかえることになる。だから殺処分することになった。オヤジは向こうに行ってろと言っていたけど、俺は間近でやつが息絶えるまでそばでじっと見ていた。もちろんすげえ凹んだよ。でも生活は続いていくわけで、いつまでも落ち込んでもいられない。とはいえ、それからしばらくは戸惑ったな。近所のガキどもとはしゃぎ回っているときなんかさ、俺笑ってもいいのかな、喜んでもいいのかなってすごく悩んだ」
「気持ちは分かるけど、どこかで区切りを付けないといけないでしょ。お葬式だって生きている人間のためでもあるわけだし」
「なんていうのかな、その時の俺と似たものをあの男に感じているんだ。奴は拳銃を扱うといっていたからには、それをぶっ放したことだってあるのだろう。命のやり取りだってしてきたのかもしれない」
「それこそ、気にしても仕方ないじゃない。ましてやそういうことをしているのなら、気持ちの割り切り方ぐらい心得ているでしょ」
「それはそうだろうけどよ」
二人の間に沈黙が流れる。先に口を開いたのはリーアだった。
「人間は何のために生まれてくるのでしょうね」
「いつになくリーアがおかしなことを言う。熱でも出てくるんじゃねえだろうな」
「ラインの話を聞いて思ったのよ。一度この世に生まれついてしまえば、ただ生きていくため以上にあれも欲しいこれも欲しいとキリが無いほどに欲しがって、そのためならなんだってする人もいる。でも百年も経てば、皆死んでしまって色んなものを犠牲にして得たものだって全部失うことになる。だったら、一体何のために手に入れるのかしら」
「欲しがるのは人間の本能なんだろうさ。欲望にはきっと際限がない。あるものを手に入れて、一生それだけで満足するのは、多分思う以上に簡単じゃない」
「ラインも同じ?」
「いや、俺はもっと欲望に忠実かもしれない。俺は今持っているものを失いたくないし、できるなら奪われたものや失ったものも全て取り戻してやりたい。いずれ死ぬと分かっていたところで、今を生きるしかないだろ」
「ラインはずっと変わらないよね。色んなものにぶつかってすり減って丸くなってあきらめを覚えていく私たちを救ってくれる人がいるとしたら、きっとラインみたいな人なんでしょうね」
「どうにかしてやりたいとはずっと思っていた。だが、本当は誰かが救い出せるものでもないのかもな。結局自分を救えるのは自分しかいない。俺はむしろそう思った。そしてだからこそ、歪んだ欲望に囚われて絡まっちまった泥縄を断ち切ってやるんだ」
ラインは力強く言い放った。
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