【マリオネット】

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「うーむ、美味である」  丁度先ほど通ってきた関所があった地域で飼育されているという牛の絞り乳を使用したアイスが乗った焼き立ての分厚いバウムクーヘンを、メルクはナイフとフォークで綺麗に切り分けて食べる。 「お気に召されたのでしたら光栄です」  お盆を持ったまま丁重に頭を下げたのは、先ほど店頭で話しかけていた女性。今はウェイトレスとして、白いブラウスに黒いスカートとニーソックスを着用している。店内の装飾と同様に素朴で飾り気はあまりないが、そんな店の雰囲気もメルクは気に入っていた。 「いやあ、はむ、本当に、もぐもぐ、美味しいね、ここの、うーむ、バウムクーヘンは。どんどん手が、伸びてしまうよ。リーアさん」 「食べてから話してくださって大丈夫ですよ」  リーアが笑顔を崩すことなく言う。 「それで、何をなさっているのですか?」 「何の話だっけ」 「メルクさんがなさっている仕事ですよ」  リーアは声を潜めた。 「なんでそんなに知りたがるんだい」 「いや、それはあなたが初めに言い出したことじゃない」 「まあ、それはそうなんだけどさ。でも、さっきから妙に落ち着きがない気がするし、てっきりお姉さんも反政府派の人間なのではないかと疑いたくなっちゃうよ」 「今の政権を支持している人なんているはずがありません」  メルクは試しに探りを入れてみたが、彼女はまるで臆さずハッキリとそう言ってのける。 「じゃあ、革命でも起こすのかい」 「そういう話も聞かなくもないわね」 「ふーん」  メルクはそこでまたバウムクーヘンを口に含む。アイスはバウムクーヘンの熱で溶けてしまっているが、皿に垂れたアイスもバウムクーヘンで拭きとりながら綺麗に食べきる。それから、彼は優雅な所作でコーヒーを飲んで一息ついた。 「いいのかい、仕事の方は」 「見てわかるでしょ、お客さんもほとんど入っていないから暇なのよ」  先ほどメルクが入ってから新しい客が来店することもなく、広い店内にはメルクと白髪の老夫婦と何かの商売の帰りなのかテーブルの上で紙幣や金貨を数えている男しか客はいない。ウェイトレスはリーアの他にも二人ほどいるが、特に仕事をするわけでもなく楽しそうに話し込んでいる。 「僕の仕事はですね、異能を奪い去ることなんです」  唐突に彼の放った言葉に、彼女は目を見開いた。 「異能っていうのはもしかしてゲンズの力のことを言っているの?」 「いいんですか、国王様のことを呼び捨てにしてしまって」  メルクは至ってマイペースに喋る。 「魔石の怖さを知らない人間が不用意にその力を使ってはいけない。彼らは無意識に契約を交わしていて、いつか必ず代償を払わなければならなくなる。だから出来るだけ早く撃ち抜かないといけないのさ」 「魔石? 代償? それに撃ち抜くって何よ?」  リーアにはメルクの言葉がまるで理解できない。 「水は高いところからしか流れて来ない。キミたち庶民が知らなくても何らおかしいことじゃないんだ」 「あなたはいつもそんな風な喋り方をしているのかしら。そういう人を食ったような、自分だけが何でも知っているような言い方をしていると友達を無くすわよ」  リーアが非難する。しかしメルクは「大丈夫。僕に友達はもういないから」と笑う。 「近しい人がいないからこそ、こうして身軽に動けるんだ。知らない国の知らない人たち、余計なことを考えなくて済む。人間関係が薄い方が事はスムーズに進むものさ」 「寂しい生き方ね」 「そうでもないよ、ヴァレンチノもいるからね。それに、僕が何もしなければ遅かれ早かれ悲劇は免れないし、仕方ないところもある」 「ねえ、あなたが先ほどから言っている悲劇とか代償って何なのよ」 「言っても信じてくれないだろうし、それを取り除く方法を話せば反発を受けるかもしれない。すでにこの国でも最もゲンズのことを憎んでいるであろう男から反対されたばかりだしね」 「ちょっと待って。あなた、ラインに会ったの?」 「おや、ラインの知り合いなのかい。ここからあの辺まではそう遠くなかったけど」 「ラインの家は酪農を営んでいるの。ここで出てくるアイスなんかは、彼の家の牛の乳も使っているわ」 「へえー。こんな濃厚でまろやかなアイスに使われている牛乳を、あの厳つい男が絞っているとはね」 「顔は関係ないでしょ」  リーアの顔がひきつる。 「だとすると、さっき革命をしようとする人たちの話を聞いたというのはラインからなのかな。それともキミも彼に情報を提供してるとか」  さすがにそれには彼女も答えなかった。 「何でもいいけどね、所詮僕は外から来た人間さ。でもだからこそ僕はこの国の様相にどことなく違和感を覚えているのかもしれない」 「違和感?」  メルクの無関心ぶりにはむっとした表情も見せたリーアであったが、その言葉には引っかかったらしい。 「ああ。昨日今日と各地を回っていたんだけど、どこも特に異常事態とは思えないぐらいあらゆることが滞りなく行われていた。国王が代わったところで、普通の人たちの日々の生活に劇的な変化をもたらすとは限らない。でも今回は、先行きの見えず、いつ重税が課せられるかも分からないと人々が怯え、経済が滞りかねない状況だ。この店に人が来ないのもそういう理由でしょ。ただ一方でその闇雲さゆえに、実際に行われた徴税には地域ごとにかなり差があった」 「それは当然のことじゃない。王都が経済の中心だし、地方にはそれほど貨幣は出回っていない。それでも農作物や醸造酒なんかも税の対象にはなるわけだから、額面や量としては少なくても生活はひっ迫されかねない。彼の力と横暴さを知っていれば、いつだって危惧すべきことでしょ」 「でも、今のところは大打撃を受けたわけじゃない。ゲンズとやらが国王になってからそれなりの日数が経過しているのにも関わらず、彼のやっていることはせいぜい自分が贅沢して不定期に一部の場所で税を徴収しているだけ。国政を危うくしているのは事実だが、彼のしていることは王にならないとできないことではないように思えるんだ」 「それはあなたが知らないだけよ。彼に歯向かう者は従者たちによって投獄されているから、何もなかったように振る舞われているだけ。一昨日もこの店の三軒隣に店を出している宝石商が連れていかれたわ」 「ああ、そうなんだ。それじゃあ、僕の表向きの入国目的が果たせないじゃないか。いや、むしろ居座る口実になるから好都合か。他に連れていかれた人はいるのかい」 「もちろんいるわよ。この国随一の行商人のドル、王都でカジノを運営している資産家のズルメグ、この国で唯一の炭鉱の所有者であるゲイルなんかも挙げられるわね」 「揃いに揃ってお金を持っていそうな人たちだね」 「それもそうよ。持っている人こそ気安く巻き上げられるのだから。それに彼らはその財力や人脈を使えば、国を動かすことだってできるような存在。実際、ドルとズルメグが手を組んで厳罰化の風潮にあった風営法を作らせるのを阻止したり、一部の輸入品の関税を無くしたりと影響を及ぼしている。ゲンズが警戒して然るべき人たちだわ」 「なるほどね」 「あなたが何に違和感を覚えたのかは知らないけど、ゲンズを倒せば全て解決することでしょ。それ以外に何を考える必要があるのよ」 「さあ」  メルクは肩をすくめる。 「そんなの旅人の僕に聞かれても分からないよ。でもさ」  余計なことを喋る必要がないことは分かっていた。しかしメルクは目の前の真面目そうな女性の頭の中をひっかきまわしてみるのも、そう悪いアイデアではないかもしれないと思った。 「人間社会で起きた事で、それがたった一人の人間が原因となることってまずありえないと思うよ。各人がそれぞれ持っている願望や欲求があらゆる因子を並べ立てた上で、ようやく現実に帰結していく。大河の流れを変えるにはとても一人では賄いきれない体力が必要で、その体力っていうのは人間の抱いた願いが作りだしていて、誰かが周囲に影響を及ぼすのではなく、実は周囲が誰かにそう仕向けているんじゃないかって」 「なんだか小難しい上に偉そうに言うわね」  リーアは眉をひそめる。 「偉そうなのは否定しないよ。昔から僕は偉かったからね。皆が尊敬と羨望のまなざしを向けたものさ」 「それも冗談なの?」 「もちろん」 「いまさら言うまでもないけど、あなたって見た目は悪くないのに口が台無しにするタイプなのね」 「僕の上品な話ぶりを華やかな顔が彩っているんだよ」 「この変人ぶりをあの子たちに教えてあげたいぐらいよ」 「ああ、さっきから僕のことを見ているよね。きっと僕の見てくれが良いから」 「自分で言ってしまうところがまた残念なのよね」 「自覚してないふりをする方がよっぽど嫌味で不誠実だとは思わないかい」 「それは、そうかもしれないけど」  先ほどから軽快に話していたリーアが少し言葉を詰まらせる。思った以上に、彼女は試してみる価値があるかもしれない。 「キミがさっき話してくれたことの中に、この国で起こっている騒動の真相へのヒントがあると僕は考えている」  リーアが目を見張る。人は聞きたい話しか耳に入れようとはしない。こうやって彼女が話を聞いてくれるようになるまでに、今までの過程は全て必要なものだったのだ。もちろんアイスの載ったバウムクーヘンを注文することも。 「だけどそれを証明するには僕には明らかにピースが足りていないし、僕の勘違いという可能性もある。だからもう少し調査を続けるつもりだ」  メルクはカップの中のコーヒーを全て飲み干してから立ち上がった。 「リーアさん、ラインに伝えておいてくれ。キミのやろうとしていることは失敗に終わる。成功したと思っても、それは多分見せかけだけなんだ。結局キミも盤面を一つ先に進めるための駒に過ぎなくて、良くてもせいぜい次のマリオネットにされるのがオチだろうとね」 「全く意味が分からないのだけど」 「分からなくても、このまま伝えてくれたらいいよ。あと、最近キミに近づいてきた人には、特に気を付けておいた方が良いということもね。それじゃあ、ごちそうさま。とても美味しかったよ」  メルクは明らかに支払いよりも多いチップを置いて、店を出て行く。背中に彼女の戸惑いと迷いの混じった視線を感じていた。
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