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「なんだか話してたら喉渇いてきた。それちょうだいー」
言いさま、彼女は僕が片手に持っていた缶を、プロのスリさえ目をみはるほどの鮮やかな手つきで奪い取ってゆく。そのままプルタブを開けて三度ほど喉を鳴らしているとき、僕は彼女の白い喉元に視線を吸い寄せられてしまった。
世界がどうとか生き死にがなんぞやとか、僕だって本当はどうでもよかったのかもしれない。まずは無駄に青春を浪費した自分の人生をどうにかしてみせろよ。弱虫毛虫だって幸せになりたいと思っているし、その権利がある。僕が願うことだけが罰せられるなんて、あってたまるか。
まさか花のないお花見で、そう気づかされるとは。
そんなふうに、思考が俗化へ傾いてゆきそうになった瞬間。
「あんたも飲むでしょ、これ」
彼女が鼻先に突き出したのは、さっき僕から奪っていた缶だった。お茶が入っていますよ……と全力でアピールする緑色が、缶を握る彼女の指の隙間からちらりと見え隠れしている。
「いや、僕は――」
「だったらなんで、さっきまでわざわざ握り締めてたのよ。一人で飲むためにくすねてきたんでしょ。――ま、あたしが口つけたやつじゃ嫌だってんなら、新しいの持ってきてあげてもいいけど?」
言い終えた瞬間の、彼女の嗤うような眼差しが僕の胸を突き刺す。
どうせそんな度胸ないんだもんね、あんたは。お花見も女性経験も童貞なわけだし、間接キスだけでも三日は眠れないくらい初心なんでしょうね。あんたがガキみたいに籠城してるちっぽけな世界なんて、あたしが全部ぶっ壊してやる。
もちろん彼女の唇がそのように動いたわけでは全くないのだが、今まさにそう言い放たれ、試されているような感覚を味わった。
今日は既に、手痛い失敗をしたばかりだ。いまさら傷痕がひとつ増えたところで、泣いて悲しむほどのことではない。なんならいっそ死んでやりたい。死ぬべきなのはあんな寝ぼけた挨拶をしたこのサークルの代表ではなく、きっと僕だったのだ。
「飲むよ」
僕は彼女から缶を奪い取ると、躊躇なく飲み口に自分の唇を重ねる。飲み口の溝に残った潤いが生々しい。
そのことに完全に意識が向くより先に、勢いよく缶の中身を喉に流し込んだ。
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