桜花爛漫

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 ケケケ、と笑っている佐々木先生に向かって、ちょっと軽口を叩いてみる。 「佐々木先生ってわたしのことよく見てるんですね」  すると彼は、笑いを収めてわたしを真っ直ぐ見てきた。その目は死んだ魚ではなく、しっかりとわたしを映していて、なぜだかドキッとした。 「そりゃ、新見先生のこと気になってるんで」  そよ風がうなじを触る。 「え……」 「おにぎり、もらってもいい?」  発言を深掘りするつもりはないらしい。本気なのか冗談なのか判別のつかない顔でおにぎりを狙われた。どんな顔で答えればいいのか分からず、口を真一文字に結んでコクリと頷く。 「具、なに入ってんの?」 「……鮭、昆布、梅です」 「食べてからのお楽しみか……じゃあ、これで」  佐々木先生は3つ並んでいるおにぎりの真ん中を取った。さきほど桜の花びらが舞い落ちてきたやつだ。自分でもそれの具がなんだったか覚えていない。  おにぎりといっても一口サイズなので、佐々木先生は桜の花びらごと口の中に放り込んだ。それスパイスじゃないんですけど、と言えなかった。佐々木先生はモグモグ、と口を動かして目を空に向けた。何味か確認しているのだろう。しばらく咀嚼していたが、突然顔をゆがませ、こもった声で「うっ」と発した。 「梅らったぁぁぁ! しゅっぺぇぇぇっ!」  顔の中心に眉も口も集めて、手と足をバタつかせた。初めて見る表情に、何かが腹の底から沸き上がってくる。佐々木先生の様子はさながら感情のぶつけ方が分からない赤ちゃんみたいで、気づけばわたしは「ぶはっ」とふき出していた。 「あーっはっは! ちょ、佐々木先生っ! 何ですか、その顔っ! あははははっ」  面白すぎておなかを抱えて笑ってしまった。ひさびさにこんなに笑っている気がする。ツボに入ったようで、笑いやめようと思うのに壊れたように笑いが止まらない。しまいには涙まで出てきてしまって、自分で困ってしまった。  絶対引かれる。『なんでこんな笑ってんのコイツ。関わるんじゃなかった』って思われる。早く止めないと。 「……っ……ご、ごめんなさいっ……今、今、止めますからっ」  止めなきゃと思えば思うほど笑いが込み上げてくる。脳裏に佐々木先生の変顔が浮かび、なかなか消えてくれない。  どれだけ笑っていただろう。流している涙が悲しみの涙に変わりかけた。ようやく笑いが収まってきた。ゆっくりと深呼吸して笑いも涙も止める。腹筋が痛い。目元をぬぐって恐る恐る佐々木先生を見ると、彼は歯を見せて笑いながら、わたしを指差した。 「桜花爛漫」 「え?」 「やっと笑った顔が見れた。ずーっと眉間にしわ寄せてたからさ」 「あ……」 「新見先生の笑顔、この桜と一緒で桜花爛漫だね」  佐々木先生が見上げるから、つられてわたしも桜を見上げた。薄ピンク色の桜は太陽の光を浴びて、枝とともに生き生きしている。ときおり吹く風にゆらりと揺られ、薄い雲と太陽がチラチラ見えた。  ただ眩しい、と思った。 「よしっ。じゃ、花咲か爺さんになったところで邪魔者は消えますかな」  佐々木先生が立ち上がる。うにょっと180センチが立つものだから、納豆のご当地キャラクターが伸びたように見えた。 「玉子焼きとおにぎりと笑顔、ごちそうさまでした」  佐々木先生は白衣のポケットに手を突っ込んで、校舎に入っていった。わたしは言葉を発さずに佐々木先生の消えた方向をじっと見ていた。  静かになった空間に、わたしひとりしかいない。苦手だと思っていた先生は、思ったよりもフランクで話しやすい人だった。文系と理系なんて相容れないと思っていた先入観がどこかへ旅立つ。  春の風が頬を撫で、そのまま胸にストンと落ちた。 『だったらなおさら誰かとしたいね、花見』  ひとりぼっちには慣れていた。誰かとじゃれ合うなんて性格ではなくて、いつもなんでもひとりでこなして生きてきた。ひとりだったら気を使う必要もなくて、自分のペースでお弁当を食べて、自分のペースで桜を愛でられた。 「…………」  頭上でさらさらと桜同士が擦れ合う音がする。今この空間には、わたしひとりしかいない。望んでいたひとり。それなのに、目は校舎から離れない。  ――確かに誰かと一緒の方が楽しいかもしれない。 「それにしてもあの顔は……」  人の顔を見て大笑いしてしまったことを心の中で詫びながらも、思い出してしまってまってスイカの種を飛ばすような口になる。  吹き出しながら、地面に描かれた構造式が目に入った。桜の花びらが何枚か降り注いでいて、馴染みのない式なのに僅かな親近感がわく。 『新見先生の笑顔、この桜と一緒で桜花爛漫だね』  そんなことを言われたのは人生で初めてだ。やっぱり変な先生だな。  平らげた弁当箱を弁当袋に入れようとして、佐々木先生にもらった棒付きキャンディがあることを思い出した。食べたくなって、飴の部分を覆っている包みを取って口に入れる。 「……さくら味だ」  目で見ていた桜が、口の中で香った。甘さが鼻を抜けて、全身で春を感じる。  残りの仕事、さっさと片付けよう。  化学準備室にお邪魔して、ビーカーに入れたコーヒーをご馳走してもらうために。 END.
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