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第一章 ifが欲しい
廻る
あぁ……また。
テレビは数日前からコンセントすらささっておらず、窓は閉めたまま。カーテンだって開いちゃいない。
――何時だろう。
寝返りをうった先に投げられたままの携帯を指先で引き寄せて、サブ画面だけを点灯させた。
二十三時五十五分。
表示された時の悪さに気が沈む。メールが届いているらしいが、携帯を開け閉めするのも煩わしい。
あと五分。
考えるのが嫌で目を閉じるけれど、寝ようとすればするほど眠気は飛ぶ。
あと三分くらいか。
日付の変わるその瞬間を目にしたくなくて、だけどこのままでは不安で、せめて意識を逸らそうとメールを開いた。当然、右上の数字は視界から消して。
――テレビみてる!? あの演出すごくね!?
年末恒例の音楽番組に、今年は数年ぶりにMASAが出た。オレは彼が好きだから、当たり前に観ていると思われているのだろう。残念ながら家の中は携帯から洩れる灯りだけ。無音だ。今日は寝ていたことにして、明日返事を返そうとまた俯せた。
再び部屋が闇に包まれたとき、遠くからボーン……という重い音が聞こえた。
――あぁ、また生きてしまった。
こうして、年が明けた。
また一年生きていたのか。そしてまた、始まるのか。また今年も苛々と、込み上げてくる苦いものとで、精神崩壊寸前の状態で元旦を過ごす。
――今年こそはうちに来いよ!! 母ちゃん今年はすき焼きやるっつってるから!!
十数時間前に受け取ったメールを思いだしてワラッタ。よくもまぁ、こんなオレを誘えるものだ。毎年、なんだかんだで断っていること、知っているだろうに。
でもさ。今年はこれでも迷ったんだ。行ってみるか、そう思ったんだよ。
結局行かなかったのはオレが弱いから。お前の、そのぬくぬくした家で過ごすことが、暖かな空気が。オレからすれば吐くほど辛いんだ。
元旦特有のざわつきから耳を塞ぎ、オレはさらに小さく丸まった。浅い眠りの中、恐らく初夢だろう夢は、数年ぶりに悪夢でない、なんの意味もなさないくだらないものだった。それがとてつもなくうれしんだって、分かってくれる人間はいるのだろうか。
昼過ぎにのそのそとベッドから抜け出してベランダに向かう。ひんやりした床が足の裏の感覚を奪った。一昨日から干したままのタオルとパンツを手に取り空を仰いだ。
うん。いい天気。
朝露で多少湿った洗濯物。他はその場に残したまま部屋に戻った。夕方に取り込めばいいや。
元旦は風呂に入らない。そう言っていたのは誰だったか。思い出しかけてやめた。いらない記憶だ。熱いシャワーを被ったら、昨日からの憂鬱さが飛んだ。
「散歩にでも行くか」
傷んで細くなった髪の毛が鏡の中で揺れている。いいかげんに温風をあてながら呟いた。
散歩道
携帯電話と財布、それに鍵は靴箱の上か。赤いジャケットに袖をとおしながら玄関へ向かう。
「やべ、さみぃ」
マンションから徒歩五分のところにちょっとした海岸がある。ここへ越してきたばかりの頃は、オレはここを湖だと思っていた。
小さな内海。湖と海の違いって何だろう。専門的な知識はないけれど、まあこれはとにかく海らしい。
砂浜も申し訳程度にしかついていないけれど、県が自然公園に指定しているらしく、砂浜の横は一段(オレの膝上くらいか)高い場所に遊歩道が造られている。木々もきれいに整列して植えられ、数メートルおきにベンチも設置してあった。まだ端まで歩いて行ったことはないが、長い散歩道だ。
オレはほぼ毎日ここへ来ては、結構な時間を過ごす。何をするわけではない。空を眺めたり、海を見つめたり、昼寝したり、カメラを持ってくるときもある。明るくてきれいな場所だが、この時間はじいさんばあさんばかりで、オレは気兼ねなく静かに羽を伸ばせるんだ。
今日は特に元日だからか、人がいない。
オレはいつものように、指定席である銀杏の木の根元に腰をおろした。オレがいつも座るからだろう。ここだけ草が生えていない。茶色い土は固く、部屋の床並みに冷たかったけれど、静かなこの景色の温度としては最適で、そのまま小さな波を眺めていた。
「……じゃねぇかよ」
「……はぁ!? お前が……」
――んっ……さむっ。
いつの間に眠っていたのだろうか。オレは遠くから聞こえてきた声に起こされた。
「お前が歩いていくなんていうからっ」
「お前こそ、ナンパしながら神社に向かうっつってただろうがよ」
振り返り幹から顔を覗かせると、二、三人の男がこちらに向かってくるのが見えた。タメくらいか。賑やかな連中だ。――今は人に会いたくない。
寒空の下、同じ姿勢でいた体は膝を伸ばすだけでも違和感があった。その上、突然立ち上がったものだから軽くふらつく。それでもやつらから一刻も早く離れたい。
オレは体に勢いをつけ木の幹から手を離すと、早足で海とは逆側の住宅街へ繋がるわき道へと向かった。
「ん。携帯おとしたぜー」
「あ。ほんとだ。おーい、お兄さーん! 落とし物ですよー!」
遊歩道を横切った辺りで、後ろの連中が騒がしくなった。
――怖い、怖いっ!! 大きな声を出さないでっ!!
何を言っているかなんて気にする余裕など今のオレにはない。人の声を受け付けられないんだ。だからこそテレビだってもう何日もつけていなかった。
「お兄さん?」
「……っ!?」
「あ。……すみません」
無我夢中で足を進めていたのに、突然手首を掴まれ心臓が跳ね上がる。強制的に足を止められて振り返ると、そこには眉を下げ苦笑いを浮かべた男が立っていた。
「えっと……」
驚きのあまり男を凝視していると、男は気まずそうに口を開いた。
「驚かせたみたいですみません。一応大きな声で声はかけてたんですけど、気づいてないようだったので……」
そう言って男はゆっくりオレの腕を握り直した。上向きにされたオレのてのひらに乗せられたのは、
「ケータイ……」
黒地にシルバーのラインが入ったオレの携帯電話だった。
「後ろのポケットから落ちるとこをあいつらが見たんです」
そう言って今度こそ腕を離した男は、自分の後ろを見やった。
男に倣いそちらを向けば、長身の男が二人、こちらに向けて手をヒラヒラさせていた。オレはそれに会釈を返す。
顔を戻せば優しく微笑む男と目があった。
身長はオレとそんなに変わらないように見えるのに、なぜだろう、相手が自分よりだいぶ大きく感じる。年齢だって同じくらいに見えるのに。オレは黙って相手を観察した。
――なんだろう。落ち着いた雰囲気のせいかな。優しい目をして、口角も自然と上がったままだ……。
そこまで考えて、オレはようやく今の状況を思い出した。
――オレ、お礼まだ言ってないじゃん!
何も言わずにガン見など、いくらなんでも失礼だ。オレは息を吸い込み、『オレ』らしいテンションに持っていった。
「すみませんでした。ご親切にありがとうございます。助かりました」
男の目を見ながら笑顔でハキハキと言葉を発し、頭を下げる。当然頭を上げたあとも目を合わせて微笑んだ。
「いいえ、どういたしまして」
男も微笑んでくれたのを見届けて、オレは、「では」と小さく頭を下げた。
――へへっ。親切な人に出逢ったな。
住宅街に出てからもオレはなんだかご機嫌で、混雑しているコンビニで唐揚げを買って家に戻った。五日ぶりにテレビのニュース番組を流してみた。
縁(えにし)
毎年正月は県外の祖父母の家で過ごす。海外に暮らす両親に急な都合が出来なければ、今年もそうするのが当然だった。
冬休みに入る前、確かに赤西が初詣の話をしていた。普段の会話の延長のようなものをそのときは軽く流していた。だから今日昼すぎに赤西がうちに押し掛けてきたときには驚いた。しかも頼の車で行くのかと思いきや、歩いて行くと言う。何でも帰省中の頼の姉さんが福袋を買いに行くのに使っているらしい。まぁあの人のことだ。夕方までは戻ってこないだろう。
いくつかの偶然が重なり、俺は今年、男三人で近くの神社に参拝に向かっていた。この地域では護国神社が有名ではあるが徒歩では少し遠い。
「くっそー、さみい!」
「歩いていくっつったのはお前だろ!」
「はあー!?」
前を歩く赤西と頼の言い合いを聞きながら、俺は左手の海を眺めていた。数年前に整えられた遊歩道を歩くのも、随分と久しぶりだった。吹きつける風は冷たく痛みを伴うが、控え目な太陽の光を反射した水面はきらきらと美しかった。
「ん。携帯おとしたぜー」
「あ。ほんとだ。おーい、お兄さーん! 落とし物ですよー!」
それまで小学生のようなじゃれあいをしていた二人が突然立ち止まる。つられて前方を見れば、なにやら急いでいる様子の少年が髪をなびかせながら遠ざかっていく。
――きれいだ。
色素が薄いのだろうか。髪の毛が透き通って見えた。
「聞こえなかったのかな」
「貸して」
「え? 透琉?」
気がつけば俺は、吸い寄せられるように彼から目を離すこともないまま、赤西の手から小さなものを奪い、少年を追っていた。
近づけば近づくほど、少年の華奢さが目に入る。中学生のような、背は伸びてきたけど筋肉や骨格が追い付いていない、そんな印象を受けた。思わず掴んだ手首だって、俺の指が回ってしまっている。
だが振り返った彼の顔は幼さを残しつつも中学生には見えない、俺より一つ二つ年下それくらいだった。
整ったきれいな顔をしている。造りがきれいな分、俺を見て怯えた眼が酷く悲しく見えた。
そんなに驚かせただろうか。
離れた場所でこちらを窺っている強面の頼ならともかく、俺は第一印象であまり苦労したことはない。頼曰く『害の無さそうな顔』だ。安心させるためにゆっくり優しく話しかけるが、怯えた眼を向けたまま反応がない。携帯を握らせて暫くすると、突然彼はハッとしたように姿勢を正した。
やっと声を発した彼は、人好きのする笑顔と話し方の子だった。さっきまでの怯えた眼はどこにもない。まるで別人だ。
ニコッと笑った彼の小さな背中が見えなくなるまで、俺はその場から動けなかった。視界の端にはきらきらと光の筋が跳ねていた。
友の恋
久しぶりのテレビはやっぱり煩わしくて、CMに入った瞬間に消した。空になったコンビニの袋をカサカサ畳み、唐揚げと一緒に買ったパスタの容器も流しに持っていく。久しぶりによく食べた。
ベッドに戻れば黒い携帯が着信を知らせていた。一瞬迷ってからオレは通話ボタンを押した。
「あっけおめー」
「あけおめ郁ちゃん! 明日みんなで初詣いかね?」
「おっマジで? 行く行く! 何時よ」
「飯も食おうぜ。十一時に学校前な」
――ふぅ。十一時か。飯くって御詣りして、十四時前には帰れるか。
これはオレの悪い癖。行く前から帰宅時間を計算する。息抜きできる時間を計算している。
別に純也が嫌いな訳ではないし、嫌いどころか一番一緒にいるし、遊ぶのも楽しい。毎年のように年越し家に誘ってくれるのだって感謝してる。
でも、苦しいんだよ、純也。
電話を切って数分後、純也から届いたメールを見てオレの気分はまた落ちた。
「……今まで二年間愛されたんだ。充分だろ」
――やっぱりユキとは別れることになったよ。オレから別れたんだ。辛いわぁ。
ユキさんというのは純也の(元)彼女で、フリーターをしている今二十五歳くらいの美人さんだ。明るくて人懐っこくて、人見知りのオレでもすぐに打ち解けた。純也とはお似合いのカップルだった。でも、純也は意外とお固いところがあるから、年上のユキさんがフリーターだということがひっかかっていたり、ユキさんとしても純也が口うるさかったりで先月一度別れている。ヨリを戻したと聞いていた けれど結局は別れたんだな。
普通こういうときには失恋した友人を慰めたりするものなのかな。前回はさすがに純也の落ち込みが酷くて、気分転換なんかに付き合ったりしたけれど、今回はどうすればよいのだろう。
オレにはこういったときの身の振り方が分からない。恋愛レベルは限りなくゼロに近いし、生まれてこのかた、大切な人がいたことがないから。
――あの人なら。
右手にある携帯を弄っていると、昼間出逢った優しい目が浮かんだ。あの人ならそういうものも、落ち着いて対処できるんだろうか。少なくとも、オレのように意地の悪いことは思わないだろう。
――純也ごめんな。オレ、お前がたまに妬ましくてしょうがない。みんなに愛されて、常に人に囲まれて、愛されて当たり前のお前が妬ましいよ。でもさ、同じくらいお前が好きなんだ。友だちでいたいんだよ。
次の日、待ち合わせ場所には純也しかいなかった。他のやつらはいつもギリギリか遅刻だから気にしない。
「おっはよ、郁ちゃん。今年もよろー」
「こちらこそよろぴくー」
緩い新年の挨拶をお互いにして、階段に腰掛けた。
しばらくは他愛ない話をしていたが、
「オレ年末年始辛かったのよー。別れたの二十九日とかだからね」
とおもむろに純也が話しはじめた。
――きたっ。
オレは一瞬身構えたものの、
「そぉなんだ~。まぁオレも体調崩してずっと寝てたんだけどね。最悪ですわ」と、返していた。
「うわ、まじで? 郁ちゃんって毎年この時期ダウンするよな。去年もだったろ」
純也が呆れたようにオレをみる。
――オレは最低だ。
波の音はまだ
――気持ち悪い。
オレは予定通り十四時にはみんなと別れた。実際、年末から体調の悪さは続いている。毎年のことなのだけど、今年はいつもより一か月早くそれがやってきたから病院で薬を貰った。
自律神経。
原因が分からない体調の悪さだから、自律神経失調症と判断されたのだと思う。わざわざ医者には言わないが、精神不安定からきているのだろうから、あながち外れちゃいないのだろう。
オレは今日も銀杏の木に凭れ掛かっていた。
静かだ。このまま……。
「あれ……大丈夫ですか」
風の音しかしなかったのに、違う音が混ざってきた。頭上から声がする。
「飲み物買ってきましょうか」
心配そうな声はもしかしなくともオレに向けられているのか。ゆっくり頭をあげると、黒い柔らかい瞳と目があった。
「あれ、君昨日の……。大丈夫? 具合悪いの?」
男が膝に手をつき上体を屈めたことで、瞳が近づいた。
目を合わせたまま首を横に動かす。ちょこっと動いただけなのに、ズキンズキンと頭が痛い。
大丈夫じゃない。動けない。放っといて、しゃべるのもきついんだ。
「辛そうだね。少し待ってて」
男はそう言ってどこかへ去っていった。
オレはそっと胸を撫で下ろす。頭が痛すぎて明るい郁ちゃんになれないんだもん。だから誰も近づかないで。
そんなオレの気持ちなんかまるっと無視して、細くなったオレの目の前にぬっ、と何かが現れた。
「飲める?」
「な、に……?」
「ん。ホットのお茶。一応冷たい水も買って来たんだけど、どっちがいいかな」
「……」
今の何? は、明らかに違ったと思う。お茶ってことくらいは見りゃ分かるもん。口を開けたままのオレにはお構いなしで、男はペットボトルのキャップを開けながら微笑んで「はい、どうぞ」なんて言っている。
――あ、この人の髪、なんだか蒼い。黒染めしてんのかな。黒っていうより深い蒼だ。
オレが手を伸ばすまでこの人はこのままでいるつもりなのであれば、それはそれで迷惑をかける。
「……すみません」
指先に触れたペットボトルは熱くて、思わず体が揺れる。オレはジャケットの袖を伸ばして握り直した。
「どう? 落ち着いたかな」
水分を摂って十分もすれば、頭痛のピークは越えていた。うん、もう笑える。
「はい、ありがとうございました」
「そっか、病院いかなくていい?」
オレが笑えば、背中に添えられていた熱もホッとしたような顔と一緒に離れていった。
――もう少しこのまま。
そう思って苦笑した。赤の他人にここまでしてもらって、まだ側にいて欲しいなんてどうかしている。いや、赤の他人だからこそ、今だけ側にいて欲しい。普段のオレを知らないんだ。無理してテンションをあげなくていい。
◇
浅かった呼吸も深く正常に戻ってきたようだ。背中の強張りもとれてきた。
「病院行かなくていい?」
問いかけながらも立ち上がるために手を離せば、下から向けられるすがるような目線に捕らわれ、胸が跳ねた。相手はどこからどうみても男だというのに、俺は反射的に抱きしめたい衝動に駆られた。
――いやいや、ここで抱きしめたら俺不審者だ。男の上目遣いに反応するなよ。
彼の雰囲気から病院に行かないであろうことは伝わってきた。体調も落ち着いたのだから、俺はもうここを去るべきだ。そう思うのに動けない。
「じゃあここでもう少し休もうか」
意思に逆らう足の代わりに動いたのは、口だった。驚いた。勝手に言葉が出てきたんだ。今度は体もすんなり動き、彼のすぐとなりに腰を下ろした。
彼も小さく、「……ん」と頷いた。
ただ黙っているのもソワソワしてしまい、俺は一方的に話しかけた。質問攻めに近かったように思う。名前は? 年は? どこの学校?
一つ一つの質問に、彼は小さな声で、だけどしっかり答えてくれた。
「何ニヤニヤしてんだよ」
あれからしばらく話をして、――と言っても、郁弥くんは相槌を打つか質問に答えるかのいずれかだったけれど、気づけばぐっと寒くなっていた。体調が悪い人間を寒空の下に引き留めてしまった罪悪感と、まだ帰したくない欲で、途中まで送らせてもらった。
家まで送るつもりだったのだけど、さすがに警戒されたのだろう、「買い物して帰るから」とやんわり断られた。
前日と同じ赤いコートを見送って、ほんのり温かい気持ちで帰ってきたのだ。だがそれはドアの前で行儀悪くしゃがみこむ頼のせいで溜息に変わった。
「ご機嫌じゃん」
「頼、お前何しに来たんだよ」
「あぁ? クソババァがチビと一緒にうるせんだよ。ったく正月終わったんだから、さっさと旦那んとこに帰りゃいいのに」
「うちに来なくても、他のとこにいけばいいだろ」
幼馴染みの頼はすこぶる顔が良い。体格もいいし男の俺から見ても惚れ惚れする外見だ。しかし天は二物を与えずと言うように、こいつはあまりモテない。性格もまぁそこそこだし、かっこいいと騒がれることは多いのだが、いつも不機嫌そうに見える面構えのせいで告白されるまでに至らなかった。
「あぁん? 透琉クンは大切な幼馴染みに新年早々ニャンニャンしてきなさいっていうのかよ。宿賃の替わりに体を売りなさいと。鬼畜だねぇ」
「はぁー。別にそんなこと言ってないだろ」
こいつはたまにこうやって俺の家を避難所として使う。
「俺のことはいんだよ。お前機嫌いいよな」
「あぁ。昨日の子とまた会ったんだ」
「昨日の子? なんだよ、お前ちゃっかりナンパしてんじゃねぇか。俺らにはみっともない真似すんな言っておいてよ」
頼は不機嫌を隠さないままソファに陣取った。
「ナンパ? 違うよ。ほら、昨日の携帯の子」
「携帯……」
頼はしばらく静止していたが、やがて思い出したらしく膝をたてて、
「あぁ、あのちっこいやつ」
と、体勢を変えた。
「そっ。あの子。中学生かとも思ったんだけど、タメだった。上月郁弥くんっていうんだってさ」
夕食を作り終わるまでの三十分、俺はひたすら郁弥くんのことを話していた。そんな俺の背中を、頼は相変わらずのニヤニヤ顔で眺めていた。
願望
眠るときには頭をよしよしってしてほしい。寂しいときはぎゅってして。おでこにキスして欲しい。そしていつも温かいぬくもりで包んでもらうんだ。
――可笑しいよな。夜ひとりで考えることは、居もしない誰かを求めた妄想。十九の男が何言ってんだって感じだけど、本気で誰かのぬくもりを求めているんだ。
昨日新学期が始まって、放課後ムリヤリ合コンに参加させられたけど、あの女の子たちでは無理。男どもは「レベル高くね?」なんてはしゃいでいて、オレも合わせて終始笑ってはいたけれど、正直帰りたかった。
「上月くんって彼女いるの?」
「あ、ダメダメ。こいつはやめてた方がいいよ」
「え、純也さんひどいっ!」
「だって郁ちゃん、続いて二か月だから。しかも別れた理由もワケ分からんし、めんどくさいよー」
四人の中で一番かわいかった子は、最初オレといい感じで話していたのにバカの一言でそれもなくなった。お前、オレの何を知ってんだよ。別れた理由なんて、本当のことを言ったらヒクくせに。
「あはは! もう、純也さんたら傷つくわぁ。んー、オレ不精だから連絡とか週一とか。だから相手に不満が溜まるみたいなんだよねー」
「えームリぃ。普通に毎日するよねぇー」
普通ってなんだ。同意しているまわりもわけが分からない。
「えー、まじでぇ? 毎日とかオレ無理だぁ」
「そこは本気で好きな人ができれば変わるんじゃない? ラ・ブ・で」
「ラブパワーってやつっすか」
「そっ、ラブぱわぁ~!」
「いぇーい! ラブぱわぁー!」
一通り騒いで、カラオケのしょっぱいポテトをつまみながらオレはお決まりのいいわけをしていた。返ってくるのだって、お決まりの答え。
――本当に好きじゃなかったんじゃないか。本当に好きな人が現れれば変わる。
じゃあ、好きってなに? オレは好きだと思ったから付き合っていたんだよ。オレの好きは普通の好きと違うのか。
「上月くんの好きなタイプはズバリっ!」
「メールとか電話とかしつこくない方がいいな。彼女できたからって一人の時間減らしたくないし」
「げっ。なんか冷たいこと言ってるし」
――じゃあなんて言えばいいんだよ。
黙ってぎゅってしてくれる人、なんて言ってもオレのキャラじゃないじゃん。
『オレ』はいつも笑顔で、ちょっと体は弱いけど明るくて、要領よくて、だけど恋愛面は難あり、なんだから。
学校が始まったことで、年末年始の引きこもりモードから活動モードに切り替わった。とはいえ、高校時代に植えついた遅刻グセは健在で。それでも、バイトは入社以来ずっと無遅刻だ。
緑色のエプロンを着けてレジに入る。
オレが五月からバイトしているのは、奥様方御用達のスーパー。そこでチェッカーをしている。ひたすらレジを打ち、たまに品だしや、鮮度チェックに入る。
「上月くん、昨日から新しい子入ったから紹介するよ」
社員さんに呼ばれて品だしの手を止めれば、小柄な男が先輩の後ろに立っていた。
……うしっ。オレの方が背高いっ。
密かにガッツポーズをとっていると、新入りさんが頭を下げた。
「赤西はじめです。よろしくお願いします!」
「あっ。上月郁弥です。こちらこそよろしくお願いします」
オレも頭を下げてにっこり笑う。
その後は、赤西は研修に、オレは業務に戻ったため、絡むことはなかった。
「あれ、ない……」
半額シールの貼られた唐揚げと、売り出しのカップ麺を買って、さあ家に帰ろうとしたところで、オレは忘れ物に気がついた。出てきたばかりの更衣室に戻り、そこで数時間ぶりに赤西に会った。
「お疲れ様です。いまあがりですか?」
「はい。上月さんもっすか」
「いや、オレはとっくにあがってたんですけど、忘れ物しちゃって」
ロッカーに乱暴にかけていたエプロンのポケットをがさごそすれば、お目当てのものはすぐに見つかった。
「上月さんておいくつなんすか?」
「ん~、十九」
「え、マジッスか。俺も十九。大学一年」
見られないうちにと、エプロンから抜き取ったものを急いでジャケットのポケットへと移しかえた。
「あ、じゃあ敬語やめねっ。オレいままでまわりがみんな年上でさ、タメ欲しかったんだよね。仲良くしてよ」
「サンキュー。よかったぁー。俺敬語苦手なんだって。よろしくな、上月」
よかった。バイト八か月目にして友だちゲットだ。従業員とは上手くやっているけれど、高校生や社会人の人たちとはどうしても壁を感じてしまうんだよな。
家に帰ったオレは、赤西のことを思い出していた。
気持ち悪いだろうか。いつからかオレは人に出逢うと、その人は恋愛対象になるか無意識に見てしまうクセがついていた。
どんだけ飢えているんだ。品定めのようで相手には失礼だし、しかも赤西は男だ。
……でも欲しいんだ。オレを愛してぎゅってしてくれる人。性別なんてどうだっていいから、オレを唯一だと、オレの存在を認めてくれる人。
生まれてこのかた抱きしめられた記憶もない今のオレは、誰からも『唯一』として愛されてないから。生きていても虚しくて苦しくて。この人のために生きてきたんだって、欲しい。
もし、もし、オレを抱きしめてくれる人が現れたら、救われる気がするんだ。
お願いします。オレに愛をください。もしを現実にしてください。
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