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第二章 縁結び
祈りを捧げる
願いごと
祈りなさい。さすれば叶う。
吉のおみくじは、木に結びつけず財布の中にしまっている。
叶うって書いてあるんだ。なんとなく手元に置いておきたくて、純也たちが自分の分をくくりつけるなか、オレはこれをてのひらで暖めていた。
一月も半月が過ぎ、街も人も新年祭りから日常のそれに戻った。
今日の授業は昼から。今から学校に行くには早いし、だけど家にいても寒いだけだと、オレはいつもの場所へ向かった。
恵方巻き予約受付中と書かれたチラシを尻の下に敷く。霜が降りたらしい散歩道は昼近くになっても湿っていた。コンビニで買ってきた肉まんを取り出しどっかりと座って息を吐く。
……タレ入ってねーし。
「こんにちは。今日は体調いいの?」
でっかい口を開けて肉まんを頬張ったところで柔らかな声を掛けられた。そのままの格好で斜め上を見れば思った通りの人がいた。
「……ふぉふぉふぁ」
「ふふ……俺はそんな変な名前じゃないよ郁弥くん」
男でオレを君づけするのはひとりしかいない。今年縁があるらしい透琉だ。
「こないだはどうも……」
ひとまず肉まんから口を離し頭だけ下げたオレに、透琉は相変わらずの笑みを見せた。
「透琉って奥様キラーでしょ」
「なにそれ、急に」
クスクス笑う透琉は絶対にマダムキラーだ。〇〇王子の部類だ。
「横座っていい?」
と聞いてきた透琉に、ビニール袋を敷いてやった。
「郁弥くんって一日中ここにいるの?」
「まさか。今日はたまたまこの時間が空いてたから。来るのは二時から夕方にかけてが多いかな」
「へぇ。この木がお気に入りなの? こないだ会ったのもここだった気がする」
ほらこれ、と地面から盛り出した根を指差す。
「へぇ。同じような木ばかりなのに気づいたんだ」
「まぁね。っていっても確信はないんだけど、こんなに根っこが飛び出してるのも珍しいかなって」
確かに、この辺の銀杏にしては珍しいか。
「好きなの、ここ?」
透琉はこないだから質問ばっかりだ。名前から始まり住んでいる場所、年齢、学校、よく聞く音楽、好きな食べ物、嫌いな食べ物。
透琉の横はどこか居心地がいいから許したけれど、あれが別のやつだったらキレていた。体調が悪いのにあれはない。せめてハイか、イイエで答えられるものにすべきだ。
「透琉はオレにそんなに興味あるの?」
冗談混じりに溜息を吐けば、ほんの一瞬だけど透琉の空気が揺れた気がした。
「ほんとだね。……興味あるんだろうね」
――ドクン……
「へっ……」
てっきり冗談が返ってくると思っていたから、動揺してしまった。……なんだか、さ、口説かれてるみたいだ……。
――カァァ……
そう思ったら急に頭に血が上って。それまで寒かったから、自分がどれだけ赤くなったかもよく分かって、急いで俯いたけれど間に合わなかった。
「ハハッ。郁弥くん真っ赤なんだけど」
誰のせいだよ。キラースマイルでオレをからかいながら、透琉の手がオレの頭を二回叩いた。その叩き方が優しくて、余計に心臓が煩くなった。
その日の授業はなんだかふわふわした気分で身が入らなかった。先生に見つからないようにパソコン横にこっそり置いた携帯、そればかりを気にしていた。
結局待っていたものが来たのは寝る前だったのだけれども。
――今度飯いこう。
……やっぱり口説かれている気分だ。昼間を思い出して、自分で頭をぽんぽん撫でた。
◇
正直動揺した。
「透琉はオレにそんなに興味あるの?」
郁弥くんだって冗談で言っていることは分かったし、俺も冗談で返せばよかったのに、だけどそのときの俺は、知られてはいけないことがバレた、そんな感覚で焦った。
確かに指摘されてみれば、俺は郁弥くんのことをなぜだか知りたくて、先日もいろいろ聞いて。自己紹介にしては充分なほど聞き出したのに(誕生日なんて普通初対面に近い男に訊かない)、それでも次から次に言葉が出てくる。
「ほんとだね。……興味あるんだろうね」
「へっ……」
俺は郁弥くんを見つめながら真面目に答えていた。
当然郁弥くんも呆気にとられていて、男に興味あるなんて言われたら、「へっ」ともなる。素直な反応と見開いた目が可愛くて俺は笑ってしまった。みるみるうちに郁弥くんは赤くなって、しかもそれを隠すようにわざとらしく肉まんの包装を俯きながら折り畳んでいる。
――かわいい。
無意識のうちに俺の手は彼に触れようとしていた。手が頭に近づいたとき、郁弥くんの肩が一瞬揺れたのも無視してポンポンっと軽く叩いた。
「ねぇ、アドレス教えてよ」
次の約束を取り付けたかったけれど、友だち未満の今の関係ではハードルが高くてメルアドを交換した。自分からアドレスを聞いたのは初めてかもしれない。
電波とともに
あれからほぼ毎日透琉とメールをしている。メールも苦手だったオレにしては奇跡に近い。
――大学の近くにパスタの店ができてたんだけど、郁弥くんパスタすきだったよね。
オレには『透琉』って呼ばせるくせに、オレのことはいまだにくんづけだ。それにしても透琉はオレが言ったことをよく聞いている。そんなことオレ話したっけ、ということまで覚えているのだから。
――うん、パスタ超好き。どこにあるの
――よし。じゃあ一緒に食いにいこう
オレはそれに楽しみにしてるとだけ返して、昨日のメールは終わりだ。透琉からの返信もないはずだ。
前に付き合っていた子は、こっちが二、三通のやり取りで終了させたくても、一つの話が終われば次、とやたら長引かせた。オレとメールしたいと思ってくれるのは素直にありがたいが、オレから発信することが少ないと、相手が怒り嫌な空気になったりで、以来メールは苦手だ。
その点、透琉はいい。オレのタイミングでやり取りしても、次の日にはまたメールが来る。なんだかオレのペースを認めてくれている気がして嬉しかった。
バイトの休憩時間は赤西と過ごす。その間に透琉にメール返信したりして、携帯に触る頻度が明らかに増えた。昼間、純也にも「彼女か」なんてからかわれた。
――いいなぁ。透琉みたいな恋人なら理想かもしれない。
まだ透琉の一部分しか知らないくせに勝手なことを考えた。まぁ、あんないい人だったら彼女持ちだろうが、相手は幸せだろう。
「ねぇねぇ郁弥! 今日帰り飯行かねぇ」
コーヒーの空き缶をくるくる回しながら赤西は言った。
「飯? いいね。何食べる?」
オレも元気よく返事をして携帯を閉じる。
「俺気になる店があってさ、最近できたパスタ屋があんだよね」
「あ、オレパスタ超好き!」
そう叫んでから何かが引っ掛かった。オレ、つい最近も同じこと言わなかったっけ。
「大学からすぐだし、こっからもそんな遠くないしどうよ」
……大学近くのパスタ。……透琉だ!
そう辿り着くと、
「あ、でもゴメンっ! オレ昨日もパスタだったんだ。今日は他でもいい?」
と、嘘をついていた。
「二日続けてはきついかぁー。よしっじゃあ肉食おうぜ! 焼肉久しぶりだー」
別に今日赤西とパスタ行って、日曜に透琉とまた行っても良かったのだ。パスタなら毎日毎食食べても飽きないくらい好きなのだから。だけど、初めてその店に行くならば透琉と一緒がいいと思ったんだ。
ちなみにオレの昨日の晩飯は佐藤家で焼肉だった。連日の焼肉はオレの胃を攻撃しまくった。
結び糸
自分がこんなにマメだったなんて知らなかった。真っ赤な顔の郁弥くんからアドレスを聞き出して、それから毎日メールを送っている。
キョドキョドしながらも携帯をかざした彼の顔が忘れられない。俺のシルバーの携帯と、彼の黒い携帯電話。赤外線を交換する間お互い無言で、俯き加減の郁弥くんの耳がやっぱり赤くて笑った。
「透琉、いくぞ」
ノートをとりながら思い出し笑いをしていると、頼と赤西はすでに荷物を纏めていた。急いでペンをしまい教室を出る。
「今日は先輩ん店行こうぜ」
食堂に足を向ければ赤西が俺たちを呼び止めた。
「あぁ? スパゲッティか」
「パスタだよ、パスタ!」
「どっちでも一緒だろうが、うるせぇ」
言い合いながらも、頼も異存はないらしく校舎の外へと歩いていく。
「わり、俺は購買いくわ」
二人の背中に声をかけると、赤西の眉が上がった。
「……」
無言で睨んでくる赤西に、なんだと首を傾げて言葉を促す。頼もダルそうに片膝を曲げて赤西を見下ろした。
「ちぇー。俺、先輩の店断られたの二人目だぜ」
「なんだよ、誰か他のやつ誘ったのかよ」
頼が鼻で笑えば赤西が頷く。
「やめとけよ。あいつの店じゃ女口説くなんてムリだろ」
「ちげーし。バイト先のダチだよ。なに、透琉も昨日パスタ食ったとか?」
ちなみに先輩とは、俺と頼の通っていた高校の不良グループの中心人物の一人だ。赤西とも面識があるらしい。ふて腐れた様子の赤西が歩き始めたことで、俺たちも移動する。
「ハハ、違うよ。今度人とそこ行く約束してるんだよね」
「ちぇっ。モテ男くんめ。透琉こそ、先輩にムードぶち壊されてしまえ」
なんだか勘違いされていたようだが、購買が近付いたため二人とはそこで別れた。赤西がバイトの友人について話すでかい声はしばらく聞こえていた。
日曜日。大学の場所が分からないと言う郁弥くんと十二時に駅で待ち合わせた。うちの大学は駅からバスで十分の場所にある。学生はだいたい歩きか自転車だ。クリスマスに頼のおばちゃんから貰ったマフラーを巻いて駅に向かう。今日は比較的気温が暖かいからか、いつもより人が多い。
腕時計を見れば約束の五分前で、信号の向こう側に赤いコートを見つけ、俺は自然と笑顔になった。
「郁弥くん」
横断歩道を渡り終えたところで待っていれば、彼は驚いたように顔を上げた。一瞬でそれは笑顔に変わり、
「透琉も今来たんだ」
と、はにかんだ。
二人で人の流れに乗り、駅のバス乗り場に行ったが、日曜日の今日は思ったよりも昼の便が少ない。
「今行ったばかりだね」
「うわ、ごめん。バスの時間まで調べてなかった。どうしようか」
「天気いいし、歩こうぜ」
彼を見れば、俺より少し高めの声が返ってきた。細くて茶色い髪がピアノ線のようにきらきら透けていた。
あう道、あわない道
オレが歩こうと言ったのには、わけがあった。勿論、申し訳なさそうな透琉を安心させるためでもあるが、バス停に溜まった人の量にうんざりしたからだ。次のバスが来るまでの間、このざわざわした場所に立ってないといけないなんて、オレにはムリだ。
そう思って徒歩を選んだのに……。
――ギャハハハハ。
――ありがとうございましたぁー。
――うわぁーん、ママぁー。
「……」
帰りたい。オトが頭の中をぐるぐる廻って、視界も狭い。
だんだん足が重く、気分も落ちてきた。そんな下降気味のオレに気づかず、透琉は楽しそうに話を続ける。回りが騒がしい分、透琉の声も若干でかくなっている。それがさらにオレを憂鬱にした。それでも、初めて一緒に遊ぶのだし、普段の透琉は好きなのだ。オレは努めて明るい『オレ』でいた。
「郁弥くんは買い物とかする?」
一際賑やかな女子高生グループとすれ違い、その空気に気圧されていたときに透琉が話しかけるものだから、反応が遅れてしまった。
「あ? ……あぁ、うん。オレ洋服好きだから」
それでも普通に返したオレは、ポーカーフェイスの達人だ。
「どんな合わせかたしようかなとか考えるの楽しいよねー」
透琉は? と、聞き返そうとして仰ぎ見た彼の顔は笑顔が消えていた。
……えっ。なんで。オレの答え間違ってた?
急いで受け答えを思い返すが、おかしなところはなかったはずだ。
――どうしよう、どうしよう。ナンデナンデ……?
心の中はパニックだ。周りは祝日の人混み、騒音。目の前には真顔の透琉。必死に上げた口角を保ちながらも、泣きそうだ。怖い。
いよいよ頭痛が始まったとき、透琉の目が細くなった。だけど何が彼の機嫌を損ねたのかが分からない。
「郁弥くん」
静かに、そして初めて聞く若干低い声で名前を呼ばれ肩が跳ねる。怖い、コワイ……。
「体調悪いならムリしちゃだめでしょ」
「……へ?」
――は? 体調?
分からないと間抜けな声を出せば、透琉は困ったという顔を作った。そして、もと来た方向へ体を反転させる。
「パスタは今度にして、今日は帰ろう」
足を進める透琉を見たら、ついに涙が出てきた。いや、ここで泣いたらウザいから。二度と会ってくれなくなるから。止まれ、止まれっ!
力一杯眼を瞑って涙を地面に落としたけれど、次から次へと溢れてくるし、透琉にかける言葉も分からないし、オレのすぐ脇を人が絶え間なく往き来するし、ごまかせないほど、オレは泣いていた。
ついてこないオレに気がついた透琉が振り返って小走りにオレの前に戻って来て、何かを言おうとしたようだったけれど、何も言わずにただ眼を見開いた。それからオレの手首を握ってメインストリート横の路地へと引っ張る。
……最悪だ。体調悪いとこ見られたり、今日なんて会って二十分で帰ることになった挙げ句、泣いてしまった。考えれば考えるほど新しい涙が溢れてくる。
透琉はオレを路地のベンチに座らせると、自分はその前にしゃがんだ。下から見上げられればこの醜い顔を隠す術はない。
「郁弥くん、そんなにきついの? いつから? 朝から?」
透琉はオレが具合悪くて泣いていると思っているのか。あぁこの顔を見るのは二度目だ。こないだは背中を擦ってくれたのだっけ。今も眉をさげて心配そうにしている。
「ちがっ……っ……」
「タクシー呼ぶから、ねっ」
首を振っても伝わらない。違うのに。オレ、パスタ楽しみにしていたのに。
「……ぅ……っ……帰る……って……とお、るがっ……からっ」
つっかえつっかえの言葉を、透琉は聞こうとしてくれた。成人に近い男の涙混じりの声なんて面倒だろうに。
「俺が? ん、もう一回」
「とぉる、がっ……ふぇっ……帰るなんて、いぅからっ……!」
「ごめんね。言い方きつかった? でも、今日は帰ろう。良くなったら教えてよ。また来ればいいから、ね?」
透琉はオレの手を握りながら、まるで言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
だからっ、違うのにっ!
透琉が優しければ優しいほど苛々してきて、もうどうにでもなれという気分になってくる。
「パスタ、行きたぃっ……オレッ、行きたい、帰りたくないっ……っ……ふぅ……っ」
これじゃ駄々捏ねるガキだ。泣き止むまで側にいてくれた透琉は心底お人好しだと思う。
「……」
「……」
泣けばスッキリしたけれど、後のことを考えたならば絶対に泣くべきじゃあなかった。恥ずかしさと情けなさとどう思われたかという恐怖で顔を上げることが出来ない
この路地は、小さな飲食店が並んでいる。昼時の人も増えてきた。
――てかオレ、こんなとこで泣き喚いてたわけ?
冷静になれば周りも見えてくる。向かいの店の窓は正面にあるし、この赤塗りの可愛らしいベンチは後ろのワッフル専門店のものだし、店に入っていく女の子たちの視線が痛い。
「えっと……ごめんなさい」
居たたまれなくなって、とりあえず謝った。無言が怖い。でもまぁ嫌われても仕方ないし、ここはちゃんと謝ってさよならか……。
容易に浮かぶ将来に落ち込んでいたら、透琉の肩が小刻みに震え始めた。包まれた手から振動が伝わってくる。
「えっ、透琉……?」
気になって呼びかければ、透琉は「よいしょ」と立ち上がった。「うわっ。足痺れた」なんて笑っている。今度は何がおかしいのか。さっきまで怒っていて、心配していて、多分呆れられて、今は笑っている。ヤバい、混乱してきた。
戸惑うオレの横に腰かけた透琉は、オレの頬に右手を添えてきた。遠くから「キャァ」という高い声が聞こえたが、オレはそれどころではない。
だって、オレを見つめる透琉の目が怒ってなかったから。優しかったから。批難の色なんて全くなかったんだ。
「ふふっ。こんなに泣く子久しぶりにみたよ」
透琉は笑いながら手を退かした。
「さて、行きますか」
「えっ」
「ふふっ。んな不安そうな顔しないの。行きたいんでしょ、パスタ」
そしていたずらっぽくウインクすると、オレにも立つように促した。初めて見る透琉のやんちゃそうな表情にまたしてもオレは赤面してしまった。
忘れてた。この人マダムキラーだったんだ。
それにしても調子が狂う。これだけ迷惑をかけたのに、まだ一緒にいてくれるのか。気がつけばオレは、人混みが苦手なこと、騒音が苦手なこと、特に今日のような祝日の街は苦手で、平日以外は出歩かないことなどを話していた。面倒な人間だと思われるのが嫌で、誰にも言わずにいたのに、きっとマダムキラー透琉に絆されたんだ。
「おかしいよな。ちょっと人が多いだけで、知らない人が必要以上近くにいるだけでパニックになるんだ」
自嘲気味な言葉に対しても、透琉は優しかった。
「人にはあう道、あわない道があるんだよ。郁弥くんの場合は人混みがあわない。でもあの海岸沿いの道は波長があうでしょ。ちゃんと自分であう道を見つけてるんだから、大丈夫だよ」
「うん……」
この人の隣はなんだろう、やっぱり安心する。
パスタはまじで美味しかった。ランチタイムだったこともあり客は多かったけれど、透琉の計らいで隅の席に座ることができた。ちょうど観葉植物が目隠しになっていて視覚的にもストレスを感じない。
「触れられたくないことだったらごめんね」
「うん」
そう前置きをした透琉はなんだか真剣で、オレはフォークを置いた。なんだろうと透琉と目を合わせば、急に透琉が手を伸ばしてきた。それはオレに届く前に離れていったけど。
「人に触られるの苦手?」
確信しているだろう声音にオレは苦笑いで答えた。今日だけで、オレが隠してきたこといくつバレただろうか。食事を再開した透琉の皿の上はすでに半分がなくなっていて、オレも追いつくために口を動かす。
「ゆっくり食べなよ、とらないから。ほら」
「んぐ。付いてるの?」
穏やかに微笑む透琉がナプキンを差し出す。乱暴に口を拭えば、満足したのか、透琉はバジルのパスタに視線を戻した。
恥ずかしい。なんだか子ども扱いされている。自分のカルボナーラに意識を集中させていれば、
「頭触るとき、一瞬怯えたようになるからさ。さっきも撫でちゃってごめんね」
と、透琉が言った。
確かに頭を触られるのは怖い。反射的に殴られると思うから。こういうのをトラウマって言うのだろう。だけど。
「透琉なら、いい……」
かなり小さく呟いたのに、透琉にはしっかり聞こえたらしい。
「ありがとう」
本当に嬉しそうに笑っていたから。
それから透琉の知り合いらしい、一見どこぞのヤンキーにしか見えないオーナーから、カラメルプリンをサービスしてもらい店をあとにした。
携帯ショップの前で「機種変更したいなあ」と洩らしたオレを「じゃあ、ちょっと見ていこうか」と強引に店内に入れ、人が近づくたびにオレを庇おうとする透琉がおかしくて、「お前は彼氏か」と突っ込んだ。「じゃあ郁弥くんは彼女だね」なんて返されてまたまた赤面したところをからかわれた。
帰り道は、人通りの少ない一本外れた通りを歩いた。長時間外にいたのに、なんだか心が穏やかだった。
歩み寄る
「……きょうはみっともないとこをみせてごめん……っと」
就寝前に携帯をポチポチしながら、数時間前を思い出していた。我ながらあれはない。それでも透琉に触れられた左の頬はまだ感覚を覚えているし、透琉の声だって残っている。
――やばい。オレ、透琉ともっと一緒にいたい。
次の日、もしかしたらもうメールしてくれないかも、と思っていたけれど、それは気鬱に終わった。何事もなかったかのような普段通りの文面に、あぁ本当に昨日のことは気にしてないのだなと胸を撫で下ろした。
「いらっしゃいませ……おっ、遠堂の連れじゃねぇか。よく来たな」
カランカランと扉を開ければ、エプロンを腰に巻いたヤンキーが出迎えてくれた。
「奥の席空いてるぜ」
小さく会釈をしてこないだと同じ席に座る。平日なだけに店内も人はまばらで落ち着く。オレはいましがた購入してきた新しい携帯を取り出した。
――これなんかどう?
そう言って透琉に手渡されたのは赤い携帯だ。
――郁弥くんって赤ってイメージなんだよね。いや、俺の勝手なイメージなんだけど。
――赤いコートをいつも着てるからかな。
オレはCMを見て携帯を買い替えようと思ったときから、オレンジ色の新種が欲しかった。手元の赤い携帯を見つめる。オレが選んだのは、透琉が「うん、ぴったり」と笑った赤の型落ちだった。
「ほら、エビのクリームパスタ。スープはサービスだ」
十分ほどで注文したものが出てきた。コンソメスープつきで。この人が作ったんだよな、と思わず疑いたくなるほど盛り付けも配膳もきれいで、しかもやっぱり美味しい。
ただめちゃめちゃ量が多いことがネックだ。あなたの胃袋と他人の胃袋一緒にするなよな、と思ったけれど、会計のときにレジ横の席を見たら一般的なそれの量だった。きっと言わなかったけれどこれもサービスだったのだろう。
食の細いオレにはクラクラするほど大盛りだったけど、頑張って食べた。美味しくてもったいないし、スープのサービスが嬉しかったし、それに残しでもしたら胸ぐらを掴まれそうだ。
新しい携帯に、美味しいごはんに、優しいヤンキー。気分の良かったオレは歌なんか口ずさんでいた。帰りは激しい通り雨にやられたけれど、それすらもおかしくてオレの気分を盛り上げた。
それがドン底に落とされるのは数十分後。
郵便受けに入っていた白くて細長い封筒。中身を見てもいないのに、ここまで不快になるなんて、毎度感心する。
案の定体調の悪くなったオレは、せっかくの昼飯を全て吐き戻してしまった。
――邪魔しないでくれよ。せっかく持ち直したのに……。
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