第二章 縁結び - 2

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第二章 縁結び - 2

片想い 「おぅオメーラか」  昼間のピークも過ぎた店内で、悠々と足を組んでいた伸二さんは客がいないことをいいことにだらだらとした空気を垂れ流していた。 「誰もいねぇすね」  回りを見渡しつつ頼がおよそ敬語とは思えない言葉を吐きながら伸二さんにコンビニ袋を手渡している。 「おぅ悪ぃな。お礼にコーヒー淹れるから座れや」  俺たちがここへ来たのは他でもない、伸二さんに「バターがきれた。買ってこい」とメールでパシられたからで、無視していたら今度は「ディナータイムに間に合わなかったら殺す」ときた。そんな自分勝手な理由で殺されちゃ堪らない。頼に送られたメールだったのになぜか俺たちまで付き合わされたのだ。  コーヒーの匂いが立ち始めた頃、それまで頼と会話していた伸二さんが俺の名を呼んだ。 「そういや遠堂。オメェの連れ、さっきまで来てたぜ」 「え? そうなんですか」 「おぅ。メシ食ったらすぐ帰ったけどな」  俺がここへ来るのは二度目だから、連れとは確実に郁弥くんのことだ。あれから会っていないが、遠くのここまで足を運べるくらいだから元気なのだろう。 「ゲェー。マジで女と来たのかよ。先輩、どんな子でした? かわいい?」  勘違いしたままの赤西がカウンターに身を乗り出している。伸二さんはニタニタしながら「あぁ、可愛かったな。目真っ赤に腫らしてな」と答えた。  頼と赤西が驚いた顔で俺を見つめる。お前何したんだよ、そんな表情だ。  赤西がまだ騒ぎそうだったが、スーツを着たサラリーマンが入ってきたことでおとなしくなった。伸二さんも接客に戻り、俺たちは忙しくなる前に失礼することにした。  可愛かったかどうかは分からない。ただ、泣き続ける郁弥くんはなんだか哀しくて。嗚咽を耐えるかのように唇を噛み締める姿は苦しかった。まるで泣くことを否定するかのように。  彼が華奢なことも悲痛さに拍車をかけた。肩幅、腰に太もも、男にしては細くて、なにより俯いたときに現れる後ろ首のラインが女の子を思わせた。  母性本能とはこんな感じだろうか。友人に対して母性本能は働くのか。そもそも男に母性本能はあるのか。しょうもないことを考えつつも、指先は日課になっている郁弥くんへのメール文を作成した。  ――夕方雨凄かったね。今日フラワー行ったんだってね。伸二さんに聞いたよ。  だけど、いくら待ってもこのメールに返事が返ってくることはなかった。 毒  人差し指と親指の先も先、切り揃えた短いツメで封筒をつまみ、物が散乱した横幅五十センチほどの靴箱の上に放った。一秒でも早く視界から外したくて、上から手袋も投げてそれを隠す。  ――いつもいつもいつもっっ! 「くそっ……」  どんなに楽しい気分でも、幸せを感じていても、年に数回来るコレのせいでまた鬱状態だ。  吐きすぎた口の中は酸っぽくて。それがまた惨めで虚しくなる。  ――なぁ、もう解放してくれよ。あんたの望み通りオレは目の前から消えただろう。それとも、まだ生きていることが不満なのか。  もう吐くものは何もない。胃液でおかしくなった口内を濯ぎ、濡れたタオルも洗面台に置いてようやく部屋に入る。携帯の電源を落とそうとして新着メールに気がついた。透琉か純也だろう。内容も確認されないそのメールはクローズ音とともに闇に飲まれていった。  消えたい。昼間、あの気分のまま消えることができていたらどんなによかったか。玄関からの禍々しいものを感じながらもオレはいつもより六時間も早く布団に潜り込んだ。  ――死にたい。コロシテ。ダレかオレを殺して。  ――これで……っ、痛いよ……っ、痛いっ……ふぅぅ……っ。  ――イヤだっ、なんでっなんでぇっ……。  ピピピピッ、ピピピピッ……  ……最悪だ。電子音で起きたオレはまさに朝から最悪な気分。  またあの夢だ。電車と空が出てきて、オレはひたすら逃げ続ける。生き延びるために他人も騙しながら自分も騙しながら。アイツから逃げる。アイツの握る鋭利な包丁が目ん玉に向かって降り下ろされ……。  そこで終了。続きは見たことないし想像したくもない。  去年の初夢はコレだった。笑いしか出ない。一富士二鷹三茄子、全くかすらないどころか悪夢も悪夢。目が覚めたオレは、コップ一杯の水すらも吐いて、喉は渇いているし腹だって若干空いてるのに胃がなにも受け付けない。  水が飲めないということは薬も飲めない。朝飯は仕方ないから諦めて学校へ向かった。  オレが通っているのは、デザインの専門学校。最寄り駅からは少し距離があるが線路沿いにある。オフィスビルに囲まれているものだから、スーツの大人たちと奇抜なファッションの学生とで、全く混ざりあわない。  うちの学校は服装なんかも規定がないし、どちらかといえば派手なおしゃれさんが多い。オレはきれいめ可愛い系が好きで、いつも着ている赤いジャケットも実は女の子向けだったりする。買うのは超恥ずかしかったけれどどうしても気になって、何度もディスプレイを遠目に見ていたところに声をかけてくれたそのショップのイケメン店員と仲良くなった。 「郁ちゃん、それ毒だよね……」 「んあ?」  オレのスケッチブックをひょいと覗きこんだ純也が苦笑している。  今日から新しい作品に入ったというのに、オレは先程から全く駄目だった。課題は炭酸飲料水のパッケージであるはずなのに、爽快さとは程遠いオレの鉛筆は、にっがい青汁のパッケージにしてもNGだろう、ドロドロしたものを描いている。  意識を友人の髪型やイケメン店員のショップに持っていったりしていたが、やっぱり駄目だ。気づけば白い封筒が浮かぶのだから。  ――確かに毒だ。常習性のある麻薬。 「なんだ上月、もう煮詰まってんのか」  ヒゲを生やした講師がオレたちの席にまわってきた。パーカーにスニーカー、首から下げた名札がなければ学生と見分けはつかない。それでも彼は立派な社会人で、フリーのイラストレーターだ。副業でデザインの講師をしている。 「うわ、上月おまえ、ジュース飲んだことあんのか?」  眉を寄せた白石はオレのスケッチブックをペンで弾いた。 「あるし」  唇を尖らせて呟けば、押し殺した笑いが聞こえてきた。 「まぁ、資料集めて来な」  オレの髪をぐしゃぐしゃかき混ぜて、白石は自分の席に戻っていった。頭に触れられたとき、思わず大袈裟に息を飲んだが白石は何も言わなかった。頭に直接触っていたんだから気がついただろう。  資料集めという名の外出をしようと席を立てば、純也も財布を持ってついてきた。 「コンビニ行くんだろ。俺も行く」 「はいよ」  ひとりで頭を冷やしたかったんだけどな。 「おい、上月! 俺、コーヒーな。微糖!」 「え、パシるのっ?」  ひらひら手を振る白石にお使いまで頼まれた俺は、純也と校舎裏のコンビニに向かった。  飲み物コーナーで炭酸飲料水を探し、容器のかたち、デザイン、ロゴなどを見ていく。 「白石ってまじ郁ちゃん気に入ってるよな」  買い物を終えたらしい純也が、含み笑いをしつつ近づいてくる姿がガラス扉に映った。 「普通でしょ」  振り返らずに答えれば、純也は「いやいや、おまえを見る目は他と違うからね。俺には分かる」と首を横に振った。「白石なら男からみてもかっこいいし、性格いいし、うん。安心して郁ちゃんをお嫁に出せるわ」とのたまった。 「なんだよ、純也。オレに男と付き合えって言ってんの?」  茶化すようにとなりに立った純也の肩を小突く。別に同性愛に偏見はないし、ギュってしてくれるならなんでもいい。今日みたいな不安な日や、淋しいときに抱きしめてくれれば……そう考えるとオレって受け身だよなぁと思う。抱きしめたいのではなく、抱きしめて欲しいのだから。  オレたちは一通り飲料水を見て、白石の缶コーヒーを買い教室に戻った。 「ん」  パソコンで作業中だった白石にコーヒーを差し出す。受け取った白石は嬉しそうに目尻にシワを寄せた。 「ありゃ。そんなに飲みたかったの? 早く帰ってくればよかったね」 「ホットにしてくれたんだ」 「え? いつも温かいの飲んでなかったっけ?」 「あぁ。よく知ってるな、サンキュ」  五百円をオレに握らせると、白石はまたすぐに作業に戻ってしまった。 「なっ? あの目、おまえのこと好きだって」 「どの目だよ」  席に戻った俺に耳打ちしてきた純也をあしらって鉛筆を握る。  オレは新しいページにロゴを作りながら、今朝方読んだ一文を思い出していた。  ――美味しいものでも食べてください。  たった一行の文字と、一万円が二枚。そして白い封筒。  分からない。なぜいまさらこんなことするのか。罪滅ぼしのつもりなのか。やめてくれ。放っといてくれ。  ――毒が回る。 「白石、ねぇ」  純也は冗談で言ったに過ぎないのに、白石が恋人だったら、と想像しているオレがいる。  淋しい、淋しい、淋しい。  怖い、怖い、怖い。  この感情を消してくれる人なんているのだろうか。もしもこの先、オレを愛してくれる人が現れなかったら、オレはずっとひとりだ。  友だちの中には、今の時点でお付き合い五年目とかそういうやつもいるのに、オレはまともに誰かと付き合えたこともなくて。もって二か月、うち一か月は別れを切り出すタイミングをはかっていたとかマジあり得ない。  オレは一生ひとりなんじゃないかと、ふとした瞬間に思うんだ。一生ひとりなのであれば、生きていても仕方ないのではないかって。独身を否定する訳ではない。十人十色の生き方があって当たり前だ。だけど、産まれてこの方誰からも愛されたことのないオレはなんのために生きている?  例えば、オレが明日死んで、一時的に悲しんでくれる友人はいたとしても(実際悲しんでくれるだろうが)、しばらくすれば死んだことが当たり前に受け入れられるだろう。二日なのか一か月なのか知らないが、オレがいなくても支障はない。なぜならオレは、誰かの唯一ではないから。  ――アンタが生きていたって百害あっても一利もない。社会のためにもアンタなんかいない方がいい。なんで生きてんの。  小学生だったオレはこうやって『百害あって一利なし』を覚えた。  もしも今の状態が続くならば、確かに無駄に二酸化炭素を排出して温暖化を進めるよりも、いらないものはいらないものらしくすべきなのだろうか。  でもオレは諦めきれないんだ。死ぬ前に一度でいい、一瞬でいいから愛されてみたいんだよ。     ◇  郁弥くんと連絡がとれなくなって丸三日、しきりに携帯を気にする俺の姿は頼を苛々させているようだった。 「メールが返って来ないんだよね」 「あ? そりゃフラれたんだろうよ」  端から相談を聞く気のない頼は、しごくつまらなそうに文庫本を閉じる。 「フラれた?」  郁弥くんは確かにかわいいけれど男だ。そう思うのに、頼の一言は確かにショックで、返しに時間がかかった。 「……ご期待に沿えず申し訳ないけど、女の子じゃないから。っていうか、何でもすぐ色恋沙汰に持っていこうとするのやめろよな」  誰が好き好んで、学生だらけの図書館でしかも男同士で恋愛相談などするものか。若干ムッとしていると、机を挟んで斜め向かいに座った頼が姿勢を正した。 「はっ? じゃあお前、ヤローからメールが来ねぇって悩んでんのかよ」 「あぁ。ほら、前に話しただろ。郁弥くん」  突然食いついてきた頼にひきつつも、話を進めるために肯定すし彼の名を出せば、覚えていたのだろう、小さく「あぁ」と唸った。 「へえ。まだ交流してたのかよ。それに驚いたわ」  確かに、あのような出逢いだったのだから一回限りのやり取りで終わったって不思議ではない。社交辞令で「今日はどうも」「こちらこそ」「またいつか会いましょう」、それっきりで良かったのだ。実際、俺のメモリーには、一、二回しか使わなかったアドレスが数個存在する。  でも、それは嫌だった。彼に対する「また会いたい」は、その場限りのものではなく本心だったのだから。そしてそれは今も変わらない。 恋結び  一週間も経てばオレの生活も元に戻った。ごはんを食べ、テレビを見、クラスのやつらとカラオケにも行った。アレはいつものように無かったことにして、テレビ台の下の封印箱(菓子の空き箱)に隠した。  目下の悩みは、『メールの返信はいつまでが有効か』だ。  相手が親しいやつなら「返事遅くなってゴメンっ」と出せるのだが、透琉の場合そこに当てはまらない上に、内容が今更だ。何よりもすでに忘れられている可能性もある。毎日メールをしていたしそれはないだろう、とも思うのだが、実際どうなのだろう。  メール作成画面を出しては消し、出しては消し時間だけが過ぎていく。  ――透琉からもメール来ないしさ、このまま自然消滅か。……なんだかなぁ。  その日、久しぶりに晴れ間が覗いたものだから、オレはカメラを持って散歩道を歩いていた。説明書とか難しいことは嫌いだから読んでもいないし、好きなものを自分のイメージ通りに撮れればいいと思っているから腕はよくない。それでも好きで、バイト代を貯めてデジタル一眼レフを買ったのが半年前。それからちょくちょく使っている。  ――カシャッ  この瞬間が好きだ。頭が冴えていく。シャッターを切りながら辿り着いたオレの指定席には、水色マフラーの先客がいた。 「えっ? 透琉」  フィルター越しに見えたのは、朝から思い浮かべていたその人で、タイミングのよさに笑いが洩れた。 「久しぶり」  優しい表情の彼はオレを忘れてなんかいなかった(後日このときの事を話したら「俺まだ若いからね」と笑顔で凄まれた)。それだけでホッとしてしまい、あとはスラスラと言葉が出てきた。 「メール、ごめん。忙しくて返せなかった」 「いいよ、倒れてんじゃないかって心配したけど元気そうでよかった」  透琉はオレの手をとると隣に座らせた。それから写真を見たいと言う透琉にカメラを渡し、オレはたまに出る透琉の質問に答えていった。オレがぼうっとしているうちに、透琉は百枚以上あった画像全てに目を通したらしい。 「え、もしかして全部見たの?」 「あ、ごめん」 「いや、そうじゃなくって、苦行じゃなかった?」 「あははは。なにそれ?」 「だって、人の趣味をひたすら見せられるってきつくない?」 「ああ、うちのじいちゃんの俳句聞かされるのは確かにきついけど。まあ、興味があればそうじゃないんじゃない? 面白かったよ」 「あ、……そう」 「ん、何か落ちたよ」  透琉の物言いには何だか照れてしまう。俯きながらカメラを受け取ろうと姿勢を変えた際に、オレのジーンズの尻から落ちたそれを、透琉が拾おうとした。 「あっ」  それが何か知っているオレは慌てて自分で取ろうとしたけど間に合わなかった。  ――ヤバい、恥ずかしい! 「えっとっ、ウケるだろ? それさ」 「かわいいね」 「……はっ?」  透琉の手の中にあるものは『恋結び』と刺繍された御守りで、オレが今年の初詣に行ったときにこっそりと買ったものだった。恥ずかしいから、目敏く見つけた純也にもウケ狙いの為に、と言ったし、透琉にもそう言うつもりだったのに……。 「こんなの売ってんだ。俺さ、交通安全買ったけど、こんなだよ。じいちゃんの車にぶら下がってそうじゃない?」  恋結びをオレに返した透琉は、財布から朱色の御守りを出した。 「……笑わないの?」  オレは、本気で恋人が欲しくてこれを買ったんだ。女子高生でもあるまいし、気持ち悪くないのだろうか。透琉を窺うも、特に嘲りの様子はない。交通安全をしまった透琉は「なんで」と答えた。 「恋結びかぁ……。いい恋できるといいね」  ――カァァ  本当にそう思ってくれているのだろう。透琉の目は慈愛に満ちていて、恥ずかしいなどと思っていたオレが恥ずかしくなった。 「御利益あったら俺にも教えてよ」  オレは小さく頷いた。
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