悪役令嬢物語が魂に刻まれている

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 ほんの少し、席を離れて戻ってきたらすでに事件の後。  びりびりに破かれた教科書。水に濡れた鞄。机の上に花を活けた花瓶でもあれば完璧だっただろうか。 (悪役令嬢物語名物「日本の小中学校レベルのいじめ」……! 王侯貴族のいじめにしてはスケールがちゃちだと思っていたけど、実際やられると胃にくる……!)  入学して数日、生徒たちとは必要最小限の会話しか交わさず、目立たぬようにいつも隅の席に座るようにしていたというのに。  気付いたときにはすでに、公爵令嬢セレスティーヌのいじめの標的にされていた。  理由は、出自。  街場で育って、最近貴族に引き取られただけの平民という事情が知れ渡っていて、ご令嬢方からはいっせいにそっぽを向かれていたのだ。  その状況で、アルテミシアはぴんときた。  ここで男に助けを求めてはいかん、と。 (婚約者たちが平民出身の同級生をいじめているとあらば、正義感の強いご令息方々が私の味方になってくれるかもしれない。席を離れるときは教科書を守ってくれて、お昼は一緒にランチを食べて、女子トイレの個室に押し込まれてバケツの水をかけられないように、トイレの前で出待ちまでしてくれたりして……!)  それはそれで楽そうだなと思うものの、アルテミシアの前世が叫んでいる。とんだ地雷女だ、と。  さらに、婚約者がいる状態でその行動を選ぶ男たちなのだとしたら、やっぱり思慮が足りないとしか思えない。そんな男を頼って良いものかと。  良くない。  少なくともアルテミシアが男でその立場だったら、いじめられている側を守るより先に、いじめている側を潰しに行く。卒業の式典まで待って婚約破棄を宣言するのではなく、気付いて証拠を掴んだらその場で潰す。いじめの断罪は、恋愛とは無関係でも成り立つのだから。 「あらぁ、汚い教科書。それになんだか臭いわ。平民の匂いがする」  破かれた教科書を手に黙り込んでいたアルテミシアのそばで、声が上がった。  ちらっと目を向けると、どこぞのご令嬢である。  よく手入れされた焦げ茶色の髪に緑色の瞳で、前世でいうところのアイドルのように可愛らしい。  名前はたしかデイジー。その他にも三名。  セレスティーヌはといえば、少し離れたところで、横目でアルテミシアを見ながら口元に笑みを浮かべていた。  ははぁなるほど、とアルテミシアはひとり頷く。 (自分では手をくださず、取り巻きにすべてを任せて高みの見物。こんなに入学早々いじめを始めるなんて、セレスティーヌの中に転生者(ひと)はいないの? というか「婚約者に近づかれてむかついた」でもなく、純粋にただただ平民由来の子爵令嬢が気に入らないだけでいじめを始めたってこと? この国きってのお金持ちが集まって、日本の小中学生が考えつくスケールの小さいいじめを? あなたたち、権力の使い方間違えているでしょう?)  教育の敗北ね、としみじみしながらアルテミシアは教科書を目の前のデイジーの鼻先につきつける。 「平民の匂いってどういう匂い?」 「やだぁ。あなたと口をきくわけがないでしょう。汚いの、近づけないでくださらない?」  嫌味ったらしく笑いながら、教科書を叩き落とされる。ぱさり、と乾いた音が響いた直後。  アルテミシアは握りしめた鉄拳を振りかざした。 (反撃されないと高をくくっているのも、いまのうちだけよ!)  はっきりと喧嘩を売られたからには、躊躇なく買うまで。  その思いで、相手の頬に拳をめりこませようとした。  そこで、時が止まった。  * * *
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