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皿の上のものをひとつずつ食べていく。うん、美味しい。温野菜のサラダを口にした時、僅かに胸に不快感が沸いた。
「……これ」
「うん?」
私の食事をじっと見つめていた王太子が青い瞳を真っすぐに私へ向けた。
「……味、じゃないわ」
彩りのいい温野菜サラダは癖のない野菜ばかり。けれど、そこに使われたドレッシングの味が、なんだか胸にモヤモヤと嫌な気持ちを思い出させた。
「味じゃない?」
「はい。私、このサラダが……ドレッシングが苦手なのだと思います。でも、味が苦手だからではないわ」
――思い出だ。
ドレッシングの味で、嫌な思い出が蘇るのだ。
あの晴れた日に、美しい池のほとりで今みたいに食事をしていた。素晴らしく美しい日に、大好きな人と共にする食事。
久しぶりに会った彼は、以前より少し背が伸びて声も変わっていた。初めはなんだか恥ずかしくて照れ臭かったけれど、少しずつ話をして一緒に過ごして、また同じように笑いあった。庭を散策して領地の街を一緒に歩いて、王都のこと、学校のこと、可愛がっている馬のこと……夜もずっと一緒に過ごし、たくさん話をした。
時間が開いてもすぐに埋められる、私たちの関係。
『ルディ、今日は何をしようか』
日の光が眩しい朝のガゼボで、そう言って笑う彼。
それに応えようと笑顔を向けると、突然、彼の表情がごっそりと抜け落ちた。
そして次の瞬間、口から真っ赤な血を吐き出しテーブルクロスを掴んだまま床に倒れた。クロスと共に床に散らばり割れるお皿、グラス。
他人事のように遠くに聞こえる私の悲鳴、彼の服を染め上げる真っ赤な血――。
「――ルドヴィカ!」
名前を呼ばれハッと意識が引き戻された。
目の前に青い顔をした王太子の顔がある。いつの間にか床の上で王太子の腕の中にいる私。
「わ、わたし……?」
「大丈夫だ、大丈夫。ゆっくり息をして」
私を抱き締める逞しい腕が微かに震えている。抱き締められた腕の中で聞こえる王太子の心臓の音、冷えた私の指先。見上げて私を抱き締めるその人の顔を見ると、不安げに揺れる真っ青な瞳と目が合った。
『エドアルド様! エドアルド様しっかりして! 誰か、誰か来て! エドアルド様!』
遠くに誰かの声が聞こえた。必死に呼ぶのは、彼の名前。
「……エドアルド、さま……」
「……っ、思い出した……?」
あの日、久しぶりに王弟殿下の屋敷を訪れていたエドアルドは、私の目の前で血を吐き倒れた。食事に混ぜられた毒で、その後十日間ほど生死を彷徨った。
苦しむエドアルドの傍で必死に叫んだ私。意識がもうろうとしていたエドアルドに声を掛け続けた私。
「エディ……」
あの日食べた食事の味を、あの、エドアルドを染めた真っ赤な血の色を、私はよく覚えている――。
*
「――そんな理由で嫌いだなんて知らなかった」
エドアルドは私を膝の上に抱きかかえたまま、ベンチに腰掛け池を見つめていた。記憶が蘇った際に気を失っただけなのだけれど、エドアルドは私を離そうとしなかった。
なので今も彼の気が済むまでと思い、大人しく膝の上で抱かれている。なんだか猫になった気分だ。膝の上は思ったよりも落ち着く。
「エドアルド様は味なんて覚えていないでしょうから」
「それどころではなかったからね」
眉尻を下げ笑う彼は、ゆったりと私の髪を梳く。その手つきにうっとりと目を瞑ると、ちゅっと額に口付けが降って来た。
「嫌なことを思い出させてしまって、すまなかった」
「でも、名前を思い出せたでしょう?」
「うん」
嬉しそうに微笑むエドアルドはぎゅうっと私を抱き締めて、すりすりと私の首に額を擦りつける。
「……嬉しいよ、ルディ」
思い出したのはエドアルドの名前とその日のことだけ。それ以外は相変わらずぽっかりと記憶に穴が開いたように、何も思い出せていない。
けれど、あの日の思い出と共に思い出せた、私が彼に抱いていた気持ち。
(私、本当にこの方が好きだったんだわ……)
エドアルドが倒れ苦しむ姿に、心が引き裂かれそうだった私。生きてほしいと願い、必死に手を握り呼び続けた名前。不安に押しつぶされそうだった日々。
ずっと呼びたかった彼の名前。
「エドアルド様……エディ」
そうやって名前を呼ぶと、顔を上げたエドアルドが私の顎を捉え、優しく、柔らかく唇を合わせた。その柔らかさに答えるように私も彼の口付けに応えた。
胸に溢れる気持ち、想い。名前を呼びたかった理由。
これは、愛おしさという気持ちだ。私は彼が、愛おしくて仕方なかったのだ。
私たちはそのまま、陽の光を遮るガゼボの下で抱き合い続けた。
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