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王太子はこてんと首を傾げて私の顔を横から覗き込んだ。黒い髪がさらりと流れて、その向こうの青い瞳がじっと私を見つめる。
この瞳に見つめられると何故か落ち着かない。
「君は公爵領からの帰り、馬車を停めるように言って馬車を降りた。一緒に侍女も付いて下りたんだが、一歩、道端から草むらへ足を踏み入れた君は振り返り、道端にいた者全員を魔法陣で王城へ移動させたんだ」
「な、何故そんなことを?」
「それは私も知りたい」
王太子は上から握りしめていた私の手を開放すると、指を絡ませ繋ぎ直す。ぎゅうっと力を入れられて、思わず王太子から距離を取るように背中を仰け反らせた。
「みんなを帰らせてまで、君は一人で何がしたかったのかな? 誰かに会うつもりだった? 周囲に知られちゃいけないような人? それは誰?」
「な、何のことだか……」
「私の知らない君の秘密がある?」
ぐいぐいと迫ってくる王太子から逃げるようにソファの端へ移動しようとすると、王太子はどんどん距離を詰め、ついに私は逃げ場を失った。身体をぴったりと付けて、王太子は顔を寄せてくる。
「君と私がどんな関係だったか覚えている?」
「い、いいえ」
「私たちは互いを必要とし、敬い、尊重し、尊敬し合っていた。そして、愛し合っていた」
「あ、あい……?」
「そうだよ、こんな風に」
王太子のご尊顔がどんどん近づいてくる。もう背後に逃げ場はない。
「ち、近い近い近い!」
「ぶふっ! 声に出てるよルディ」
吹き出して身体を揺らし笑う王太子の胸を、ぐっと押し返しながら顔を背けると、チュッと頬に口付けを受けた。
「!?」
「これくらいは許して」
い、今、口付けした!?
「そっ、そういうことは結婚してからするものです……!」
「どうしてそういうことは覚えてるのかな。でも、私たちはしていたよ?」
「覚えていません!」
「……本当に?」
微かに肌が触れる距離で呟く声が、吐息になって頬に触れる。ぞくぞくと背筋が痺れて、何故かこの先にまだ何かが続くと心の奥で感じている。
「顔が赤いよ、ルディ」
「で、殿下が近いからです!」
「……殿下?」
突然、ひやりと空気が冷えた気がした。
「……私の名前も分からない?」
な、なんか怒ってる!?
分からないに決まってる、自分の名前だって分からなかったのに!
「わ、分かりません!」
「それは駄目だ。思い出して」
「無茶言わないで下さい……!」
私の腰に腕を回しグイっと引き寄せる王太子の声が低い。未だ近い距離に慣れなくて顔を背けているのに、更に身体が密着しては益々身動きが取れない。横を向き耳を差し出すような格好の私に、王太子は唇で私の耳に触れ、低く声を落として吹き込む様に話す。
「ルディ? 私の名前を呼んで」
「そんなこと言われても!」
(耳元でそんなに低い声で話さないで欲しい! あと、もうちょっと離れてほしい!)
周囲の人もみんな、殿下と呼んでいた。名前のヒントもなかった。ああ、診療所でちゃんと新聞を読んでおけばよかった!
「ではお仕置きだ」
「えっ!? ン……ッ!?」
大きな手で顎を捉えられ殿下の方を向かされると、目の前に迫る青い瞳がギラリと光った。
――私は、この瞳を知っている。
何かが自分の中で光った気がしたけれど、それが何か分かる前に唇を強く塞がれた。
「……っ!」
王太子の熱い唇は、何度も私の下唇を食み吸い上げた。その動きに翻弄されているうちにいつの間にか押し倒され、大きな身体の下敷きになる。息苦しくなって顔を背け息を吸おうと口を開くと、ぬるりと口内に侵入してくる何か。
「んあ……っ!」
「鼻で息をして」
私のではない分厚い舌が口内を這い回る。歯茎を舐め歯列をなぞり、上顎まで伸びてくる舌から逃げる私の舌はすぐに捕らわれ、扱かれた。
「ん、あっ」
この刺激を知っている。
王太子の舌に自ら舌を絡めると、舌先同士を擦り合わせじゅるっと水音を立てて吸い上げられた。
――気持ちいい。
押し返していたはずの手は、まるで強請るように王太子の上着を掴みしがみ付いている。大きな掌にドレスの上から身体を撫でまわされ、その気持ちよさに合わせた唇から甘い声が小さく漏れる。身体の中心に熱が溜まって、思わず脚をもぞりと動かすと、ふっと息を吐いて王太子が唇を離した。
唇が触れる距離で私の顔を覗き込む、王太子の青い瞳が細められる。
「気持ちいい?」
その低い声に小さく頷くと、ちゅっと音を立てて口付けを落とし、意地悪そうに口端を上げた。
ああ、私、この表情を知っている。知っているわ。
「私の名前は?」
王太子はそう囁きながら私の腰を何度も撫で、そのままゆったりと手を降ろしていく。太腿を何度も往復し、ずり上がったドレスの裾から手を侵入させて、絹の靴下の上から私の太腿を指でなぞった。その刺激のもどかしさに逃げるように腰を捩ると、掌が後ろに回り私のお尻を掴んだ。
「ぁっ!」
「ルディ、呼んで。……俺の名前を」
大きな掌は私のお尻を掴み、捏ねるように揉みしだいた。下着の上からでも感じる掌の熱さに、私の身体も熱を帯びる。
――コンコン
決して大きくはないノックの音が、室内に響いた。
「殿下、報告がございます」
その声に、朦朧としていた意識が急に覚醒した。視線を落とすと見える、露わになった自分の太腿、這わされた大きな掌。
「……っ!」
叫びそうになるのを唇を噛んで堪え、思いっきり王太子の胸を押し返した。
不意をつかれたのか、王太子はあっさりとその身体を私から離した。私の顔を見て目を丸くし、そして眉尻を下げ「残念」と私の捲れ上がったスカートをさっと直して、私の手を取り身体を起こしてくれた。
「邪魔が入っちゃったな」
「なな、なにを……!」
「続きはまた後で」
私を起こし引き寄せてそう耳元で囁く王太子の胸を、もう一度押し返す。
「つっ、続きなんてありません!」
キッと睨みつけると嬉しそうに破顔して、私の手を持ち上げ指先に口付けを落とす。
顔が熱いしなんだか視界がじんわり滲む。恐らくひどい顔をしているであろう私の頬を、柔らかく瞳を細めた王太子が指でそっと撫でた。
「部屋に案内させよう。君の好きな風呂も用意させたから、今日はゆっくり休んで」
囁くようにそう言うと、王太子は何事もなかったような涼しい顔で、扉の外に控えていた人物と共に去っていった。
残された私は一人呆然と、侍女が迎えに来るまでソファに座ったまま動けなかった。
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