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初夏の陽射しがやわらかい通勤電車で、おばさんは憂鬱であった。こんな「おばさん」に憂鬱などゆるされるのであろうかと思う余裕もなく憂鬱であった。
そもそも「おばさん」とは?『珍明解事典第四版』には、混み具合が微妙な電車に乗ると同時に「そこ私のやで」と座席を予約するかのごとく数メートル先から叫ぶ、知っているワードを聴取するやいなや他人のせせらぎのような会話にためらいなく割り込む、スーパーでお一人様ひとつ限りの商品を服装そのままに何度も買いに行く、などが挙げられている。おばさんはそういうことはおおよそしないタイプではあったものの、広義においては立派に成熟したおばさんであった。
ことの発端は、昨夜の勧誘電話である。「お年頃ですし、メイクアップ・シャドウはいかがでしょう?」うら若い男の声だった。メイクアップ・シャドウとは、自らの影を剥がし加工し再び戻す美容施術法である。保険は効かないが審美性はきわめて高いらしいと、つい先日職場でも話題になったばかりだった。
幼少期からさまざまな理不尽を黙々と受容しつづけてきたおばさんであったが、唯一馴染めないものがあった。自分の影である。他の子のに比べて私のは存在感がなさすぎる。物心ついたときからその思いにとらわれていた。
しかし、一方でおばさんは地道にこつこつ築いてきた「足るを知る」暮らしも愛していた。なかなか湯の出ないシャワー、露地物の野菜を入れるとよごれる布製エコバッグ、使い古しのタオルを雑巾におろす瞬間でさえも。
悶々と電車に揺られること一時間、職場の最寄駅で電車の扉が開いたとき、おばさんははっきりと悟った。私はくっきりとした輪郭の影を求めているのだ、と。欲しいものを諦めたくない!とも。
数カ月後、おばさんはステージに立った。肩甲骨をぐっと引いてできる窪みを、直接見ることはない。だが、「キレてるー!」とのかけ声に、自分の確かな影の存在をおばさんは感じていた。あふれる光とともに。鍛え上げた背中をくるりとまわして、おばさんは白い歯を見せて笑った。
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