傭兵の外科医は身代わり人形に禁断の恋をする

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8b445671-f2fc-45e6-a8e5-eef9e832f1c6  彼女と初めて会ったのは何年前だったか。  ()せこけて薄汚れた小さな身体に、手入れされていない翡翠(ひすい)色の長い髪、やけに大きな(すみれ)色の瞳。  俺の目の前で彼女は、患者の腕の傷に手を(かざ)す。  傷は彼女の身体の同じ部位に現れた。  話に聞いたことはある。  身代わり人形(サクリファイス)と呼ばれる一族。  他の人間の傷や病を自らの身体に引き受ける。  痛覚(つうかく)(ひど)く未発達で痛みはほとんど感じないとか。  大人しい性質から奴隷(どれい)のように売り買いされている。  実在したんだな。  この珍しい少女は、俺が勤める傭兵(ようへい)組織の(あるじ)が買って来たらしい。  医者である俺に面倒を見ろと言う。  年齢的に娘と言っても(おさな)過ぎる彼女。  名前も無いと言う少女に俺は、クラル(治療)と名付けた。 ◆  職場はまるで戦場だった。  怪我をした荒くれ者共が次から次へと。  狭い部屋は常に人で(あふ)れていた。  だがクラルが来てからというもの、部屋は静まり返った。  今まで負傷した傭兵は完治するまで次の仕事へは行かれなかったが、今は違う。  代わりにクラルは常に満身創痍(まんしんそうい)だった。  数十人居る傭兵たちの傷を全て受け入れているんだ。  無事な部分を探す方が難しい。  彼女は泣き言ひとつ言わず、大人しく俺の治療を受けていた。  俺も事務的に作業をする。  情が移ったら耐えられなくなる。  クラルのおかげで傭兵業は大繁盛。  俺の給料も上がった。 「ねぇ、ウィル」  いつものように包帯を取り替えていると、クラルが話しかけて来る。  珍しいこともあるもんだ。 「何だ」 「ウィルは女の人に興味が無いの?」  何を言い出すかと思えば。  傭兵連中が俺のことを色々詮索(せんさく)して来るのは今に始まったことじゃないが。  俺がまともに答えないからってコイツを使うとは。 「おまえには関係ない」 「そうね」  それで会話は終わった。  愛する人は居た。  だが結ばれなかった。  それだけの話だ。 ◆  クラルは賢い娘だった。  俺に文字を習い覚えると自分から本を読むようになった。  分からないことがあると俺に質問する。  実に真面目な生徒だった。  いつしか彼女に知識を与えることが俺の楽しみになっていた。 「ねぇ、ウィル」 「ん?」  午後のティータイム。  クラルが一冊の本を手に歩み寄って来る。 「この人たちは何をしているの?」 「見せてみろ」  それは成人向けの恋愛小説だった。  何でクラルがこんなものを。  彼女が指し示した部分は、いわゆる濡れ場だ。  純粋なクラルには理解が出来ないらしい。 「……分からなくても問題ない」 「ウィルにも分からないの?」 「おまえにはまだ早い」 「子供扱いしないで」  不満そうに言う様が子供だ。 「絵本でも読んでろ」 「だから子供扱いしないで」  クラルの口にクッキーを押し付ける。  彼女は素直に食べて笑顔になった。 「子供というか動物だな」 「何か言った?」 「いや。これは俺が預かる」  そう言って本を取り上げる。  後になって傭兵の一人が取り返しに来た。  待機部屋のテーブルに置いていたらクラルが勝手に持って行ってしまったらしい。  俺は彼に厳重注意してからクラルの保護者として謝り、本を返却した。 ◆  この国は豊かだ。  気候や資源に恵まれ海の幸も山の幸も豊富。  だから他国から狙われ争いが絶えない。  王は若く好戦的(こうせんてき)な性格だから売られた喧嘩は全て買う。  おかげで傭兵業は好調だ。  夏の初めの頃。  俺は何故か王宮に呼び出された。  始まりは一通の手紙。  差出人の無いそれは、王の側近からだった。 『誰にも(さと)られないよう王宮へ来い』  しがない民間の医者、それも下賎(げせん)の者と差別される外科医に何の用事がある。  近くに優秀な御典医(ごてんい)が居る筈だが。  無視しようと思ったが、興味が湧いた。  冷やかし半分で王宮へと向かう。 ◆ 「身代わり人形を献上(けんじょう)せよ」  王宮の塔に案内された途端(とたん)、俺より若い男が偉そうに言い放った。  身代わり人形。クラルのことだ。  奴の存在は極秘だったが、何処かから漏れたらしい。 「身代わり人形?」 「惚けるな。あの翡翠色の髪の娘だ」 「あぁ、アレか。アレは俺のじゃない。話なら組織の上の人間に」  帰ろうとすると二人の番兵が槍を交差させ出口を(ふさ)ぐ。  なるほど。「イエス」と言うまで帰す気は無いか。 「アレを何に使う」 「貴殿(きでん)には関わり無いことだ」 「それもそうだ」 「(いく)ら欲しいのだ」  金で動く男だと思われているのは腹立たしかったが、俺は法外な額を提示した。  偉そうな男は渋い顔をしたものの、とりあえず俺が持ち帰れるだけの銀貨を寄越(よこ)した。 「アイツも年頃の娘なんで。きちんと身支度させて贈らせて貰う」  門へと向かう途中、何人もの祈祷師(きとうし)とすれ違った。  微かに聞こえた言葉を繋ぎ合わせる。 「……王は不治の病」  なるほど。それでクラルを欲しがっているのか。  王の命とクラルの命。  その価値は天秤(てんびん)にかけるまでも無い。 ◆  クラルの実年齢は分からない。  分からないが身体の発育具合から13歳くらいか。  身代わり能力以外は普通の少女だ。  非力で、か弱くて。  職場に戻ったのは深夜だった。  まっすぐ帰る気にはなれず、酒場で時間を潰した。  クラルは起きて俺の帰りを待っていた。 「……寝てなかったのか」 「えぇ。ウィルが心配だったから」 「心配される年齢じゃない。さっさと寝ろ」 「どこへ行ったの?」  本当のことを言う必要は無かった。  適当に誤魔化(ごまか)すことも出来た。  なのに俺は。 「王宮に行った」 「王宮に?どうして?」  言ってしまった。 「おまえを売りに」  クラルは黙った。  傷つけたかもしれない。  いや、傷つけただろう。  泣かれると思った。  それなのに。 「うれしい」  そう言ってクラルは微笑んだ。  王に買われて贅沢な暮らしが出来るとでも思ったのか?  あんな連中、俺たちのことは虫ケラとしか思っていないんだぞ。 「……死ぬことになるぞ」 「それでもいいの」  何が良いんだ。 「命が惜しくないのか?」 「死ぬのは怖いわ。でも」 「でも?」  クラルは幸せそうに笑う。 「王様の役に立って死ねるなんて、とても名誉(めいよ)なことだもの」  ……何だ。この感情は。  無知への怒り?いや、違う。  これは嫉妬(しっと)だ。  (みにく)独占欲(どくせんよく)だ。 「……ウィル?」  俺の中で何かが切れた。  その夜、俺は。  大きな過ちを犯した。 ◆  俺は何をしている。  腹が焼けるように痛い。  矢による傷は内臓まで達している。  痛みで意識が途切れそうだ。 「……ウィル。ウィル!しっかりして!」 「……声が大きい。奴らに見つかる」  深い森の中。俺たちは岩陰に身を(ひそ)めていた。  あの日の夜。俺はクラルを連れて都を出た。  彼女を王に渡したくなかった。  自分だけのものにしておきたかった。  逃げ出した俺は重罪人として国中に指名手配された。  ひと月近く逃げ回ったのに。  国境を目前にして捕まりそうになり森に逃げ込んだ時、奴らの放った矢が脇腹に命中してしまった。  ご丁寧に毒まで塗ってあったらしい。  視界が歪む。  ここで終わりか。俺の人生も。  クラルを残して()くのは心配だった。  俺が死に彼女が此処に(とど)まれば、すぐ追っ手に捕まるだろう。  そして王の身代わりになり命を落とす。 「待っていて。今、助けるから」  クラルは俺の傷口に手を翳した。  傷を自分に移そうとしている。  俺はその手を、わざと乱暴に払い除けた。 「触るな……化け物め」 「……ウィル?」 「おまえみたいな化け物、助けるんじゃなかった。おまえのせいで俺の人生は台無しだ」 「どうしたの?ウィル。私のこと愛してるって……。結婚しようって」 「嘘に決まってるだろ?」 「うそ……?」 「誰がおまえみたいな貧相(ひんそう)なガキに本気になる。自惚(うぬぼ)れるな」  クラルの大きな目から綺麗な涙が(こぼ)れ落ちる。  腹の傷より心が痛んだ。 「……さっさと失せろ。二度と俺に関わるな」  クラルはゆっくり立ち上がる。  そして森の奥へ消えて行った。  どうか無事に逃げ切ってくれ。  そう願いながら俺は、静かに意識を失った。 ◆  顔に落ちた水滴の感覚で目を覚ます。  どうやらまだ俺は生きているらしい。  傷の痛みは消えていた。  手で触れて確認すると、傷口も消えていた。  俺はすぐに起き上がり周囲を見回す。  人の気配は無い。  クラルは。追っ手は。  何処へ消えた。  遠くの町の教会から聞こえて来る鐘の音。  止むことなく響き続けている。  俺は雨の中を都へと走る。  嫌な予感がした。  久々に足を踏み入れた都は暗く沈んでいた。  やはり王が崩御(ほうぎょ)したのだ。  鳴り止まない教会の鐘の音はそれを国中に伝える手段。  王が亡くなったとするとクラルは捕まらなかったということだ。  少し安堵(あんど)する。  だが問題は消え去った俺の傷だ。  クラルは自分の身体に俺の傷を移したはず。  あれだけの深手だ。  助からないだろう。  死んだのか?クラルは。  彼女を連れて逃げた俺の判断は間違っていたかもしれない。 「俺のせいだ……」  最後の言葉が悔やまれる。  何故あんな酷い嘘をついた。  心から愛していると、何故言わなかった。  最期に泣かせてしまった。  俺は最低な男だ。  こんな俺をクラルは助けた。  どんな気持ちだったのだろう。  都には居られない。  此処は思い出が深過ぎる。  俺は失意のまま南へと向かった。 ◆  母の生まれ故郷である山間の村。  そこで俺は小さな診療所を開いた。  死ぬことも考えなかった訳では無い。  俺が死んだらクラルが救われない。  そう考えて生きる道を選んだ。  今まで医者の居なかった村の人々からとても感謝された。  この村に来て八年。  心の傷も癒えた頃。  幼い娘を連れた男性が診療所を訪れた。  村の人間ではなく旅の途中に立ち寄ったらしい。  娘は肺を(わずら)っていた。  ここの設備と薬ではどうにも出来ないと告げると、彼は落胆(らくたん)していた。 「都に行けば良い医者が居る。設備も整っているし一度診て貰うと良い」 「都……ですか。都にはどんな病も怪我も引き受けてくれる身代わり人形が居ると聞きました」  俺は診断書を書く手を止める。  男性は不安そうに俺の顔を見ていた。 「……先生。どうかしましたか?」 「……いや。それは昔の話だ。今はもう居ない」 「そうなんですか?」 「彼女は八年前に死んだ」  俺が殺したようなものだ。 「おかしいな」  男性は首を傾げている。  何がおかしいのだろうか。 「何日か前に宿で会った青年がね。都で身代わり人形に病を治して貰ったって言ってたんですよ」 「昔の話じゃないのか?」 「いえ。ついひと月程前らしいです」  クラル以外に身代わり人形が居ても不思議では無い。  また誰かが買って来て商売をしているのだろう。  それからしばらくして。  ポストに一通の手紙が届いていた。  差出人は以前に所属していた都の傭兵組織の主。  何も言わずに都を去った俺の居場所が何故分かったのか不思議だった。  俺のせいで彼らに迷惑がかかった可能性はある。  一度、()びに行くべきか。  白い封筒の中には白い便箋(びんせん)が二枚。  ずっと俺の行方を探していたと書いてあった。  そして戻って来いと。  少し迷ったが都に戻ることは出来ないと思った。  クラルと過ごした、あの場所には。  二枚目の便箋は違う筆跡だった。  見覚えのある(つたな)い文字で(つづ)られていたのは、他の人間が知る筈の無い事実。  俺は簡単に荷物を(まと)めると、隣近所にしばらく留守にすると告げ街場(まちば)へ走る。  すぐに馬車を手配し都へと向かった。  馬車の中で何度も手紙を読み返す。  早く。もっと早く。  都に着いたのは翌日の昼前だった。  相変わらず賑やかな街。  しかし、かつての職場周辺は静まり返っていた。  王が変わり戦も減った。  商売あがったりだろう。  (きし)む木製のドアを開く。  中には数人の傭兵。  その中に場違いな雰囲気の幼い少女が居た。  翡翠色の髪に白い肌。  菫色の瞳が俺を映す。  受付カウンターに目を移せば、驚いた様子の女性。  言葉を失う俺に彼女は、満面の笑みで言う。 「おかえりなさい。ウィル」 「……ただいま。クラル」  確かにクラルだった。  大人になっているが面影はそのままだ。  カウンター越しに抱き締める。  周囲から茶化(ちゃか)すような声が上がった。 「先生は女に興味無いと思ってたが、ヤることヤッてたんだな。見直したぜ」 「でも子供みたいな歳の女を(はら)ませて居なくなるなんて犯罪だよな」 「違いねぇ!」  武骨(ぶこつ)な男たちの大音量の笑い声の中。  クラルに瓜二つの少女が不思議そうに見上げて来る。 「おかあさん。この人だぁれ?」 「この人はね。あなたのお父さん」 「……おとうさん?」 「お母さんが大好きな人よ」  八年前。俺が矢傷で気を失った後。  クラルは戻り俺の傷を自分に移した。  それから、わざと追っ手に捕まり王の元へ連れて行かれた。  そして身体の傷を側近の男に移したと言う。  傷は他者から受け取るだけだと思っていた。  逆も出来るのか。  それは一族の(おきて)で禁じられている行為だとクラルは小さな声で言う。  でも生き延びる為には仕方なかったと。 「どうして王ではなく側近に移した」 「王様に死なれたら約束して貰えないと思ったの」 「約束?」 「もうウィルと私に構わない、って。約束してくれないならあなたを同じ目に()わせて殺すって言ったの」  なるほど。目の前で苦しみのたうち回る側近の姿に怯えた王は条件を飲んだ。  同じ死ぬなら安らかにと願うのが人間というものだ。  そうして生き延びたクラルは都で俺の帰りを待っていたと言う。 「私一人なら死んでも構わないと思っていたわ。でもね。私のお腹にはこの子が居た。だから生きたかったの」  あの日。  俺はクラルと一夜を共にした。  もちろん彼女の気持ちを確認した上で行為に及んだ。  愛しいてる、結婚しようと言ったのも(いつわ)らざる本心だ。  逃げ切ることが出来たら家族になろうと思っていた。 「……すまなかった」 「どうして謝るの?」 「いや、だって最低だろ俺は」  俺のした行為は許されることでは無い。  連中の言う通り犯罪者だ。 「ウィルは後悔しているの?」 「それは……」 「私は後悔していないわ。幸せだもの」  クラルと娘の面倒は組織が見てくれていたらしい。  感謝してもし切れない。  俺の居場所はあの父娘から伝わったようだ。  クラルは今でも身代わり人形として暮らしていた。  成長し力を増したクラル。  治癒力(ちゆりょく)(そな)わり多くの人の病や怪我を受け入れている。 「……もう俺の治療は必要無いな」  喜ばしいことだが何だか寂しかった。  クラルは都で自分の居場所を見つけていた。  俺は、医者を必要としている村の人々を見捨てることも出来ない。  家族三人で共に暮らしたいが。  俺の我儘(わがまま)で連れて行く訳には行かない。  迷いを察したように、クラルは言う。 「私はどこにでも行くわ。ウィルと一緒なら、どこへでも」  それは八年前。  都を出ようと言った俺にクラルが返した言葉と同じだった。  あの時は離した小さな手。  どれ程、悔やんだことか。  もう二度と離さない。  この先何があっても。  誰にも渡さない。  命が尽きるまで。 「……クラル」 「なぁに?」 「俺の妻になってくれ」  あの時は言えなかった言葉。  今更かと思ったが言いたかった。  クラルは返事の代わりに口付けをする。  (かな)わないと思った。  俺は彼女に恋をする。  これまでも、これからも。 【 完 】
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