転生のツキ 編 1

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転生のツキ 編 1

★名前の読み方★ 熱田麗 あつたみゆ 熱田悟 あつたさとる 小堤あさみ こづつみあさみ 小堤都 こづつみみやこ ―――――――――――――――――――――  県道三二号に面した一軒家はこれでも建ててから五年、何の手入れもしていない。大手建設会社の商品で、汚れが取れやすい外壁にしたのが正解だった。この家は五年ほど前、息子が小学校に入ってすぐのときに売れ残りを買った中古のもの。アクセスは悪いし隣は空き家だが、買い物などは車一台で何とかなる程度。小学校の近くまで行けば大抵のものは手に入るし、近頃はインターネットというものもあるから気にならなかった。 「到着です」  数年前に衝動買いした車のサイドブレーキをかけて、麗は言った。助手席に座る息子の悟はシートベルトを外している。 軽自動車をそのまま大きくしたような車は背が高く、乗り降りも楽にできる。だんだんと陽も長くなってきて要らなくなってきたが、オプションだったLEDとかいう明るいヘッドライトも重宝していた。  悟は小学六年生としては落ち着いたというか、ちょっと大人びた方だと思う。さながら映画の主人公みたいな感じで、芯があって影響されにくくクール。でも子どもじゃないわけじゃないから、時々甘えたそうにすることもある。それもだいぶ減ってきたが。  大井川が流れ、四方を山に囲まれたこの辺りはお世辞にも都会とはいえない。かろうじて町、といった具合か。小学校は悟の通う最寄りの小学校で徒歩一時間ほどかかってしまうため、仕事の行き帰りに麗が車で送っていた。  風呂から出て、夕飯を食べ終わると、悟はテレビの番組表を見たが面白いものがなかったのかすぐに部屋に行ってしまった。二階のこども部屋は五畳で、ベッドとデスクを置くと残りのスペースはさほど広くないが、悟は満足しているようだった。またいつものように漫画を読んだりしているのだろう。  麗は玄関まで戻って水筒を取りに行った。仕事の時に自分で持っていく水筒と、悟が学校に持っていっている水筒。麗は自分の水筒をシンクに放り、悟の水筒のカバーを取る。 「……なにこれ」  麗は水筒を見て驚きの声をあげた。  朝、準備した時にはなかった大きなへこみがある。ペットボトルを踏み潰したみたいなへこみ。 「悟、これ、どうした?」  部屋にいる悟に訊いても、「落とした」と冷たく言いながら明日提出するであろう日記を書いているだけだった。  片付けも終わり、水筒の件であれはなんなんだろうともやもやしながらも、戸締りだけして悟の部屋とちょうど反対のところにある自分の部屋に向かう。  悟はまだ寝ていないようだが、ドア越しに「早く寝なね」とだけ言った。十二歳の男の子、思春期というには早い気もするがなにがあるかわからない。先月の懇談会でも親たちは“覚悟”していると語った。  麗はパジャマの上にカーディガンを羽織り、デスクに座ってパソコンを開く。麗は普段弁当屋でパートをする傍ら、ウェブライターという仕事もフリーで請け負っている。収入はそこまで多くないし、仕事だって細々したものだが、お小遣い稼ぎ程度には役立ってくれている。  今回の仕事は、小説の考察をしているサイトの文章二万文字。 これを月末までに納品しなければならない。まずクライアントから送られてきた資料と、今回紹介する小説に目を通す。小説として結構面白かったが、明日もパートがあることを考えて、記事の構成だけ考えてその日は寝ることにした。  ざあざあと降り注ぐ雨音で、麗は目を覚ました。まだ目覚ましも鳴っていない。最悪。この時間じゃ二度目は無謀だと判断して体を起こす。これまでだましだましやってきたが、四〇を手前にした身体は正直だった。  昨晩散らかした記事の草稿をまとめて机に仕舞い、カーテンを開ける。  だれも居ないのをいいことに欠伸をして腹を掻きながら階段を降りる。テレビをつけ、学校関連の書類に目を通す。 来月にもプールの授業が始まるらしい。   「悟!悟起きて!」  六時半、悟を叩き起こすのが麗のルーティン。誰に似たのか寝起きの悪い悟は降りてくるまで三〇分くらいかかるから、六時半には起こしておくのが正解。悟はむにゃむにゃ何かを言っているが、全然聞き取れない。こいつ起きてねぇな、と思って声を張る。 「月夜に釜を抜かれる、だよ!」  麗の言葉に少し遅れて、渋々起き上がる悟。  麗は独自のルールで教育を進めていた。   時々こうしてことわざを使って、「ちょっと意味の違う言葉」を言ってみせる。悟には電子辞書を持たせているから、気になったらすぐに調べて間違いを訂正する。 これが一連の流れだ。ちなみに、四年生のときに初めて出したこの慣用句はいつの間にかおはようの代わりになっていた。パブロフの犬とは中々恐ろしいものだ。  トイレに行って、着替えて、悟がリビングにくる頃がちょうど七時。  食事中にそれとなく、水筒の件を尋ねてみたが悟の返事は変わらなかった。 「ごちそうさま」  悟は冷たいが、礼儀はちゃんとしている。 最近会話は少なくなってきたが、麗の子育ては今のところ失敗ではないよう。 席を立って、自室に戻った悟は、すぐに降りてきて靴を履いた。出ようとする悟を追いかける。車のキーを握り、取り敢えずロックを解いた。 「お母さんもうちょっとかかるから、車で待ってて、二分で行く」  主婦にとって、少なくとも麗にとって時間は命だ。麗は鞄に携帯と財布、ペットボトルを仕舞い、メイクと髪をチェックする。戸締りをしながら二階に上がり、あらかじめ決めてある服に着替える。 悟の水筒を片手に玄関を出て、車に潜り込んだ。 「水筒、忘れてる」  悟は返事もせず、シートベルトをしながら片手間に代わりの水筒を受け取るだけ。  麗はラジオの周波数を合わせた。アクセルを踏んで車を発進させながら、横目に悟を見続ける。 小学校高学年ともなると、帰ってきても遊びに行くことがあるし授業時間そのものも長くなって親がじっくり見ていられる時間が少ない。 この先中学に上がればもっとその時間は減る。だから小さな変化を見逃さないよう、普段から注意しておくのは大事だと感じていた。 「いってらっしゃい、頑張れ!」  麗が元気よく言っても返事はない。 反抗期は自分にもあったし、そこまでいかなくとも何となく親を離したい気持ちはわかる。  別れ際、悟の顔を見る。 喜怒哀楽など微塵も感じさせない面持ちだが、別段暗くもない。普段から静かな子だし、問題はない。  飲食店ではないから、昼どきでも混むことはない弁当屋で、麗はひたすら弁当を並べていた。さっき悟を預けた学校からほど近い弁当屋で、麗はパートで働いている。建物や設備は保健所の指導でやっと最新のものになったが、店主は九〇歳近い女性で、手作りの総菜と炊きたての白米が詰まった昔ながらの弁当は割高ではあるが、人気のある店だった。以前は商店街に店を構えていたらしいが、再開発で一〇年ほど前に店を移したという。    「いらっしゃいませ」 「麗〜!唐揚げ弁当二つ貰っていい?」 「いまから揚げなきゃだけど」 「待つよ」  一時過ぎに来店した客はクラスメイトの母親であり麗の高校の同級生でもある小堤あさみだった。悟と同じクラスの女の子の母で、三重弁がまだ抜けていない。 「そういえば聞いた?」 「なにを?」   レジ打ちを終え、二〇〇〇円ぶんくらいの世間話はしようとショーケースに肘をついた麗にあさみが言った。あさみの唐突に始まる話は面白いのだが脈絡がなくて何が何だかごっちゃになる。娘に遺伝しなかったのが不幸中の幸いとかいって結局なおしていない。 「転校生よ転校生。悟くんから聞いてないの?」 「まあ……あんま学校の事とか話してくんないからね」  あさみ曰く、六月の半ばくらいに千葉の方から転校生の男の子が来たらしい。  麗やあさみがそうであるように田舎といっても車一台あればなんとかなる土地、都市部からの転入は珍しいことではない。 実際悟が小学校に入ってからの数年間、しょっちゅう誰が来た誰がいなくなったとかいう話を耳にした。 「でその子が何?」  麗は仕事中にぱちゃくちゃ話すだけなのもと思い申し訳程度に雑巾でショーケースを拭きながら尋ねた。歩く週刊誌の異名を持つ噂好きのあさみがこうも嬉しそうに話すという事はただのよくいる転入生じゃないだろう。 「よく分からない子らしいのよ。いう事やる事不思議というか……まあ都の意見ではあるんだけどさ」  都というのはあさみの娘。母娘で名前をしりとりにしたいという彼女らしい理由で名付けられた。  夏の新城にやってきた、不思議な少年。  悟はうまくやっていけるだろうか。 「ただいまー」  家に帰ると、悟は部屋にいた。  昔から物書きをするのが好きだった悟は既に宿題を済ませ、また小説を書いているようだった。以前読んだことがあるが、悟の文章力には目を見張るものがある。 本を読むのも書くのも自分から好きでやっているが、いざとなったら仕事にでもできそうな実力。  麗は悟の部屋から水筒を回収し、階段を降りた。   階段を降りてから台所に行くには、玄関を通る必要がある。 その時、視界の隅に白いものを見つけて立ち止まった。  新聞受けに、何か入っている。  取り出してみると、斜めのクセ字で「さとるくんへ」と書かれた手紙だった。封筒にすら入れられておらず、雨に濡れたのかところどころふやけているが、丁寧にイラストまでついた手紙だ。でも肝心の内容は、アルファベットと数字の羅列で読めたものではなかった。  麗は悟が夕飯に降りてきたときにでも渡そうと、それをダイニングテーブルに置いた。 「お母さん、これ見た?」  夕飯だよ、と自慢の大声で叫んだ麗に、降りてきた悟はそう尋ねた。 「見たけど、それなあに?」   と答えると、悟は表情筋を緩めて 「こないだ授業でやった暗号化」  と言った。 「暗号?なんで?」 「学活でやった」 「ふっう〜ん……最近の学校は面白いことすんだね」  麗の質問の返答にはなっていないが、麗に読み取れたのは差出人らしき”かわなみあすか"の文字と悟の名前だけだった。まあ小学生 なら教わったもので遊んでもおかしくないかと妙に納得した麗はそのまま席についた。  洗濯物を仕舞ったのは、十一時を過ぎてからだった。悟は十時半くらいに眠いといって寝てしまった。周りの同級生の親の話を聞く限りは悟は寝るのが早い方らしいが、麗はもっと遅いの?と思う。  麗は今日も悟の部屋のドア前で耳をそばだてる。今日はしんとしていた。ゆっくり扉を開けると、悟はスースーと寝息を立てていた。いつも通り、見慣れた柔らかい寝顔だ。 「お母さん」  悟が言った。寝言にしてははっきりしていたから振り向いたら、悟は顔をこちらに向けずに微笑んでいた。 「生まれかわっても僕は僕にしかなれないのかな」  小さな声で、麗の顔は見ずに続ける悟。  麗はその質問の意味がわからなかった。  生まれかわる、輪廻転生ということだろうか。近頃はそういったアニメやゲームが流行っているが、悟は現実離れしたフィクションが好きではないはずだった。 「なんでそんなこというの?」  麗は悟に質問で返した。意味が解らない、というよりは話題をそらしたいという意思表示だ。 「ねえなんになれるかな。鳥かな、宇宙人かな」  悟は麗の言葉なんてまるで聞いていないようで話し出す。その声は静かで平坦。  何の感情もない、ロボットみたいな声だった。  あの後悟になんと言ったかは覚えていない。  上の空で曖昧な言い訳をして部屋を出た麗は、リビングにあるテレビの電源を点けた。  レコーダーを起動し、録画リストを漁る。アニメがいくつかあったが、 調べてみると転生が関わってくるものではない。部屋にいくつか本はあるが、どうしても麗には悟が転生ものを好むとは思えなかった。  転生、生まれかわりはその性質上、"消失"を前提とする。 人間において消失とは即ち死だ。悟はそれが苦手だった。  ネットニュースで、 精神状態が不安定な子に転生という言葉を触れさせてはいけないのは、死んだら楽しい世界があると思い込ませて自殺させる恐れがあるからだとあった。  悟が自殺に追い込まれるほど疲弊しているとは考えにくいが、多感な時期、可能性はゼロじゃない。  翌朝、起きてすぐに、麗は悟の部屋を覗いた。 まだ寝ているが、変わったところはない。  朝刊には、今週中にも最高気温が三五度を超えるだろうと書いてあった。今年は梅雨が長く、七月も半ばが近づいている今日も雨だったが、晴れの日はかなり暑い。  朝食をいつも通り食べ、いつも通り悟を送り、仕事に行こうと車のシフトレバーを握って、麗はその手を離した。  悟の横に、ひときわ目立つ靴を履いた男の子がいる。見たことのない子だ。傘をさしていない。悟は笑っていた。 「いらっしゃいませ。雨やんだんですか?」  この日もたいした賑わいは見せない昼前の弁当屋に、一人の男性客がやってきた。初めて見る顔だった。 「ええ、さっき急に」  麗が店の中から外を見た感じ降っているかと思ったが、よく見たら水たまりはしんとしている。  男性客が帰ってから、麗は店先に旗を出した。曇天は重いが、さっきまで雨が降っていたとは思えないほどにからっとした風が吹いている。  帰り際、車に乗り込んだ悟はなぜか体操服を着ていた。足にガーゼが当たっている。 「どうしたの?」  麗は訊いた。  昨日から胸騒ぎがひどい。今日なんて仕事中に小銭を何回落としたことか。 「転んだ」  悟の返事はそれだけだった。  転んだにしては、ガーゼに滲んだ血の量がおかしいし、怪我が一か所だけなのに服が汚れて体操服に着替えたというのも無理が感じられる。それでも何となく言いたくない様子の悟を、麗は信じることにした。
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