10月1日(木)

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10月1日(木)

 本日、快晴。田舎の小山から見る都会の風景は、何だか色んな意味で眩しい。遠くを眺めれば赤い点滅、下を覗けば点滅信号。高々十数キロの物理的距離で、ここまで街の造形が変わるなんて不思議なものだ。でも今私は、そんな人工的な光の結晶を眺めにきたわけでもなく、ましてや都会と田舎の違いを悲観しにきたわけでもない。  今日は中秋の名月。そう、私は月を眺めに来たんだ。この住み慣れた山のテッペン付近にある小さな公園は隠れた絶景スポットであり、夜に人はまず居ない。麓に住む私にとっては、あそこはプライベートビーチみたいなもの。そこの木材感丸出しのベンチに座って今手に持っている月見バーガーを食べる。それが、ここ数年の私だけの恒例行事。去年までは毎年お父さんに「女の子が一人で危ない」と嫌な顔されていたけれど、今日は何故か「気を付けてな」と優しい顔をされてしまった。私が高校生になったから、かな?いずれにせよバーガーのセットを買ってきてくれるお父さんは優しい。  舗装された道路ながら、一歩一歩進む度に肺がつつかれたように刺激される。この歳で体力の衰えを感じていては先が思いやられるものの、かといって今更鍛える気にはならない。心臓の鼓動を増やせば増やすだけ、それこそ先を先にはできない気がするから。それよりも、両脇に生えている大森林が生み出す空気を肺一杯に取り込む方が健康には寄与すると信じてる。山育ちが空気を頼りにするなんて些か弱腰かもしれないけど、まあね、こうなっては仕方がない。  およそ四十分かかって(あくまで体感)、目的地である公園の入口まで何とかやってきた。去年は途中走る余裕があったからまだ良かったものの、流石に作られてから一時間弱経ったバーガーは冷めているだろう。ポテトは間違いなくシワシワだ。でも、それでも良い。この行事が今年も決行できることに、まず感謝しよう。……私なんか、お坊さんみたいな思考になってない?  人ひとり通るのがやっとの入口を進むと、一気に視界が開ける。獣道の先にある崖のようなこの小さなスポットは、正直私が公園と言ってるだけで実際は公園じゃない。ただポツンと一台、不器用なベンチがあるからそう決めつけているだけ。だからこそ人が来ることはないのだけど——。 「……えっ」  思わず、目を疑った。無意識に声を発したことさえ気付かない程度には、目の前の光景が信じられなかった。 私の特等席で、人が寝ている。私の背丈よりやや長いベンチに、収まっていない足を垂らして。逆光がその人物の輪郭しか映してくれないのだけれど、どうやら大人ではないらしい。  一歩、二歩……草の音が鳴らないように、静かに近づく。まさか死んでないよね?と一瞬変な想像を掻き立てられたものの、僅かに胸の収縮が確認できてホッと一息。更に近づくと、邪魔していた月が今度は優しく包む照明へと変わり、その人を薄っすら照らす。  ふと、一瞬だけ風向きが変わった。彼から私に流れていた冷たい空気が、逆流するように、私を彼の元に押すように吹き返した。秋の夜に吹く高地の風って、こんなに透き通っていたっけ。強くはないのに、何故だか脚が動く。もっと月の下に来いと言われているような気がしたのかもしれないし、ただ私がもっと近くに行ってみたかっただけかもしれない。  その時だった。あと三歩位の距離で、彼の鼻がピクッと動いたかと思えば間髪入れずそのまま勢いよく上半身を起こした。その動きが何処か本能的で、突然の出来事に私も本能的にびっくりして「わぁ!」という可愛くない声と共にお尻を地面に着いてしまう。連鎖的に(きっと私の声にびっくりして)彼も「うぉお!」と男の子っぽい驚き方でベンチから転げ落ちた。 「痛タタタ……」 「だ、大丈夫……?」  尻餅を着いといて言える台詞でもないけど、私は地面についた紙袋はそのままに、制服のスカートをはたき再びベンチに近づいた。 「何処か打ってない?」 「だ、大丈夫……ありがと——」    初めて、目と目が合う。彼の瞳を泳ぐ月が、私をまた吸い込もうとしているみたい。とても、綺麗だ。 「……立てる?」  右手を差し出すと、彼は「ありがと」と一瞬手を取ろうとして、再び引っ込め自力で立ち上がった。その後すぐ手をはたいていたから、どうやら手に付いた僅かな土を気にしたらしい。こんなところで寝転んでいる時点でちょっと怪しい人な気もしたけど、意外にも中身は紳士のようだ。 「君は、どうしてここに……?」  すぐさま、今まさに私がぶつけようとしていた質問を先にぶつけられてしまう。まあ、そりゃそうだろう。こんな迷所に夜一人で来るなんて、お互い変に思っているはず。 「えっと——」  私は、『答え』に困った。ここで月見バーガーを食べるのが慣例行事です、なんて説明をしたら彼の頭上には『?』が複数出現することだろう。あんまり深追いされるのはそれこそ困る。私は嘘をつくのが苦手なのだ。 「お月見に……」  一瞬で頭をフル回転させて絞り出した返答にしては完璧だった。嘘は言ってないし、というかこれが本来の目的。彼は「なるほど」と言って空を見上げる。反応を見るに、今日がお月見だとは知らないらしい。その証拠に、「確かに、綺麗だな」と呟いている。 「あの、あなたは?」  訊いた途端、彼は現実に戻ってきたかのように慌ててジャージのポケットからスマホを取り出す。 「ヤバ……今、何時か分かる?」  手元が光らないことから察するに、多分バッテリー切れ。タイミングの悪いことに今日に限って私もスマホを家に置いてきてしまった。いつもは持っているけど、今日この時間だけは、独りの時間を過ごすと決めていたから。確か家を出たのが十九時頃だったから——。 「多分、二十時まえくらいかな……」 「マジか!そりゃあ、マズい……」  言動とは裏腹に、何故かベンチに腰掛けた。これは、今更慌ててもって感じなのかな?彼は、「ちょっと、恥ずかしい話なんだけど」と前置きして続ける。 「部活終わって家帰ってそのまま調子乗ってここまで走ってきたら体力尽きてフラフラで知らぬ間にここで寝てた……って感じ?喉は乾いたし腹は減ったし……って、いや言っててだいぶダサいな」  はにかんだ笑顔が、私には眩しかった。この夜空の下だからなのか、全てが幻想的で情緒的で、彼の言動にかっこ悪さなんて微塵も感じない。 「あっ」 遅れて、私は中身を咀嚼した。何かできることがあるかと考えた時に、一つだけ、ある。 「よかったら、一緒に食べる?」 「え?」  一転して驚きに満ちた表情の彼を他所に、置きっぱなしにしていた紙袋を手に取り、まず中からMサイズの紙カップを取り出す。 「お月見のお供に、お父さんが買って来てくれたの」  紙のストローを通し、彼に差し出す。 「ホントに、いいの?」 「どうぞ。中身コーラだけど」 「……ありがとう」  ゴクっ、ゴクっと喉を通る音が鳴り、「プハー!」と、文字通り生き返った様子。それだけでもう、私は何処か満足していた。続けて、余韻に浸る彼の横に座り紙袋をトレイ代わりにポテトを広げた。本命の月見バーガーは半分に割き、私の分は紙ナプキンで包む。  とりあえずポテトを一本食べてみる……うん、やっぱり冷たい。でも不味くはないな。この空気と、夜空と、空腹と、懐かしさと……色々スパイスになる要素があるせいだろう。 「美味しい?」 「んー、私は美味しい」 「……んー!ホントだ美味い!」 「え、冷たくない?」 「フフッ、今美味しいって言ったじゃん」  本命の月見バーガーは、バンズにハンバーガーと卵とベーコンが挟まっていて、甘酸っぱいトマト風味のソースがかかっている。ベーコン割くのもあれだから彼に丸々あげたけど、それでも十分美味しい。 「これ、こんなに美味かったんだ」  彼は、小声でそう呟いた。まるで初めて食べたかのような反応。この時期一人一回は食べてるものだと思っていたけど、案外マイナーなのかな?  食べ終わると、彼は人が変わったように元気になった。表情に覇気がある、声に力が漲っている。さっきまでが文字通り瀕死だったみたい。そして、それ故に再び現実に戻されたようでもある。 「やべ、こんなのんびりしてる場合じゃないんだわ。こりゃあ帰ったら怒られるぞお……」 「ふふっ。気をつけてね」 「……あのさ、一ついいかな」 「うん?」  彼は少し間を空けて、再び口を開く。 「今日のお返しをしたいんだけど……このままさようならってのも、なんかカッコつかないっていうか」 「お返し……」  そんなこと考えてもいなかった。私は十分楽しかったし、今日のこの時間がある意味特別な体験としてのお返しみたいなもの。それに……今更新しい友人を作るのも、私のポリシーに反する。異性は、特に。  かと言って、じゃあ私が逆の立場だったら?恐らく同じ気持ちだろう。恩を売られっぱなしっていうのはスッキリしない。 「じゃあ——」  彼にとってはある種のおまじないになるかもしれない。私にとっては、ある意味……。 「来年の『この日』、この時間、またここで。今度は私、手ぶらで来るから」  全てが揃わないと、彼と会うことはないだろう。もしまた会うことがあれば、その時は受け入れよう。これは、小さな賭けだ。 「分かった!言ったからには絶対忘れないでくれよ?」 意外にも彼の返事はシンプルで、言い終わるとそのまま走って暗闇に紛れていった。獣道にバサバサと入って行く音を耳で感じながら、月を眺める。なんだか、不思議な感覚……私も現実に戻されたような、夢を見ていたような——。 「待った!」  草をかき分ける音がまた大きくなり、振り返ると僅かながら彼のシルエットが木々の中に浮かぶ。 「名前!俺は桜井夜空!君は!?」 「……美月。月島、美月!」 「美月!また、一年後!」    今度こそ、人の気配は無くなった。聴こえるのは、戦ぐ草木の音色。見えるのは、煌々と光る月。触れるのは、冷たい秋の風。その風が私の鼻を通り、肺を冷やす。穏やかじゃないのは私だけ。私は私を落ち着かせるために、残っているコーラを一口飲む。  気の抜けた微炭酸が、また、私を刺激した。
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