四月一日のフール

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 おれは飛び上がった。その勢いで椅子から転げ落ち、尻を打った。しかし痛がっている場合ではない。いったい誰だ? 慌てて見回すも、室内に人影はない。 「あらら、兄ちゃんすごいリアクションやな。大丈夫か」  再び声がした。テーブルの上からだ。おれは床に膝をついた姿勢で、天板に顔を出した。 「そろそろ保温にした方がええよ。焦げついてきよる」 「あ、ああ……」  これはいったいどういうことだ。言われるがままプレートのツマミをいじりながら、おれはわが目を疑った。それとも、おかしくなったのは頭の方か?  声が聞こえてくるのは、プレートの中央(センター)に陣取る、まさにそのたこ焼きからだったのである。 「まあ驚くのも無理あらへん」  たこ焼きは言った。言った……? 「何しゃべってるんだよ! そもそもどこからしゃべってるんだ?」 「おれかてようわからん」  たこ焼きはあっさり返してきた。 「しかし察するところ、タネに含まれる有機物に熱エネルギーが加えられる過程でグルテン構造内の空洞を出汁が流れるネットワークが形成され、それが偶然にも自意識を生み出したっちゅうところかな。まあ言うなれば、おれは食物的特異点(シンギュラリティ)を越えたんや」 「シンギュラリティだと……?」  そんなあほな。何でも『特異点』ってつけたら済むと思うなよ。 「まあ、とにかく座りー」と、たこ焼きはのんきなものである。 「ちなみに、おれ以外はふつうのたこ焼きやで。熱いうちに食べや」 「マジかよ」  おれは勧められるがまま、椅子に座りなおした。疑念の目を向けつつ、プレート端の一個をおそるおそるつまみ上げてみる。特に異変は見られない……それどころか、焼きたての香りがたいへん香ばしい。忘れていた空腹が突如よみがえり、おれは思い切って歯を立てた。 「ギャーッ!」 「う、うわああぁっ!」 「なーんてな、冗談や」  声をあててきやがった、なんて性格の悪いやつなんだ……! 大声を上げた拍子に、つまんでいたたこ焼きは口に入ってしまった。 「(あっふ)!」 「出来立てを美味しく食べてもらうのがたこ焼きの本望やで。ほら、ちゃんと味わって食べなはれ」  熱さと驚きで涙が出そうだ。だが、本日のたこ焼きは大成功だった。薄力粉に卵と出汁を加えて『うちの味』に仕上げたタネは焼き加減にも過不足なく、外はカリッと、中はふわふわに仕上がっている。そんな生地の中から、舌と歯で探り当てるタコの歯ごたえとワクワク感。  気づけばおれは、物言わぬ十七個のたこ焼きを夢中で食していた。
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