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異世界とスライム
僕は読書が好きだ。
子どもの頃から外で遊ぶよりも家で過ごす方が好きだったし、休日は家中の本を学習机の隣に並べて一気読みをするのが好きだった。高校生の今日まで、ありとあらゆるジャンルの本を読んできた。ミステリーも学園ものも恋愛ものも、読書に関しては雑食だと思う。
あれはいつからだろう。僕が中学生の頃だったか、ネットを中心に異世界転生ものが流行だした。死んだはずの主人公が異世界で活躍する冒険小説だ。
でも僕は、異世界ものはなんだか邪道だと思って手を出してこなかった。
小説も漫画も他に面白いものはたくさんあるし、別に異世界に限る必要はない。
ゲームの世界と現実世界が混合してしまった現代人が楽しむものだと思っていた。僕はゲームにのめり込んだり、ゲームのなかでも戦ったりはあまり好きではない。みんな異世界もの好きなんだなあ、なんて斜に構えていた。
でも、もしも、ほんの少しでも読んでいたら……僕の冒険は違ったものになったのかもしれない。
「遅刻する!」
大声で叫んだ僕はいってきますの挨拶もせずに家を飛び出した。
「気を付けてね!」
母さんの声が背中越しに聞こえた。
高校までは電車で2駅だ。学校は駅前にあるのだが、なにせ家から駅までが遠い。
僕は全力で走った。全ては寝坊したのが始まりだ。夜中までユーチューブを見ていた。最近はショート動画が流行っていて、どんどん流れてくるそれを見ているとあっという間に時間がたってしまう。
今思えば、ちゃんと母さんに行ってきますって言えばよかったと思う。
もしかしたらこれが最後になるかもしれないなんて、その時は思ってもいなかったから。
横断歩道の信号は青だった。こんなに急いでいても交通ルールは守らないといけない、と真面目が骨までしみ込んだ僕は思っていた。だから、きちんと確認して走った。
もしかしたらその信号が点滅しそうだったのかもしれない。
急いでいたのは僕だけではなかったのかもしれない。
視界の端からトラックが近づいてくる。
それがあまりにもゆっくりに見えてしまって、ああ、こんなことで僕の人生は終わるんだななんて暢気に考える暇さえあったのだ。
「……ここ、どこだ?」
気が付いた時には広い野原に一人だった。
そよそよと吹く風が心地よく、足元の草を揺らす。しかし、それはどう見ても現実世界のものではなくてスマホゲームの中にいるようだった。
「これって……あれか?」
どう考えても僕はあそこで死んだはずだ。それでもここに生きているということは、あの……あれだ。なんて言ったっけ……、ほら、今流行っているさあ……
「そうだ、転生だ」
生きているうちによく通っていた本屋の入り口にずらりと並ぶ本の表紙を思い出した。どれもこれも「転生」や「異世界」が題名になっていて、胸の大きい女の子が短いスカートをはいているイラスト。
そんな本が何冊も並んでいる光景をよく覚えている。
いやいや、あれは物語の中のことだ。きっと夢に違いない。夢だとわかってしまえばあとは覚めるだけだ。
「覚めろ!」
両手で頬をバチンと叩く。
なにもない野原にまぬけな音だけが響く。
これは、夢じゃないのか?
僕は絶望した。
「これから……どうしたらいいんだろう」
思わずつぶやいてしまったが、周りには何もない。こういう時大体、仲間とかができてパーティーを組んで冒険していくのが普通なのではないか。いや、読んだことがないから想像でしかない。僕の普通はゲームや漫画の知識しかないので、パーティーを組むのは今やっていたゲームの設定だったかもしれない。
とにかく、前に進まなくては。
僕は、ゆっくりと歩き出した。
しばらく歩くと、町が見えてきた。と言っても僕が住んでいたようなビルがあるような年ではなくて、遠くからでも閑散としているのが分かるくらいのレンガの小さな家が並んだ町だ。
入ってみると、道なりに店が並んでいる。漫画でよく見るような綺麗に並べられたりんごたち。何かよくわからない魚の干物。田舎町の商店街のような光景にきょろきょろと辺りを見回しながら歩いた。
「おっと」
大きな壁にぶつかったと思って鼻を抑える。
「よ、冒険者か?ちゃんと前見て歩かないと危ないぞ」
背の高いイケメンだった。冒険者って……いかにもそれっぽい呼び名だ。
「……すみません」
「素直に謝って偉いな!」
爽やかに笑われて、乱暴に頭を撫でられる。
「うわっ」
下を向けば自分の服装に目が行く。
気がつけば制服がシャツとズボンになっている。
それもいかにも安っぽい服装だ。初めのころだから一番レベルの低い服なのだろうか。
「おれはジャイロ!」
イケメンは握手を求めてきた。
僕は…、何と言えばいいのだろう。本名の日本名はこの世界に合わない気がした。とっさにクリスタンと答える。
「クリスタン?変な名前だな」
「ク…クリスって呼んでくれ」
クリスタンの略名がクリスであっているのか分からないが、そう言いながら僕たちは握手をした。握手をしながら僕は心のどこかで、覚悟を決めた。こうなりゃ生き抜くしかない。いつかこれが夢だと覚めてくれれば御の字だ。
この人が仲間になってくれるのかな?異世界ものは読んだことないが、こういうものは最初に会った人が仲間になってくれるのがセオリーだろう。
この世界に詳しそうだし、仲間になってくれるなら心強い。
「僕、まだ冒険に慣れてないんでいろいろ教えてくれると嬉しいです」
「おう!もちろん」
にっと笑ったジャイロが、僕の初めての仲間になった。
ジャイロと道なりに歩きながら会話する。どうやら彼はここに長いこといるようだ。
「そこそこ強くなったからな、最近は初心者冒険者の手助けをしてるんだ」
自信満々に言う彼は、ここでは敵を倒して金を手に入れ、生活していくことが基本だと教えてくれた。
「まずはスライム退治だな、なにか武器はあるか?」
「……ない」
だろうなとジャイロは笑い、
「じゃあ金は?」
「ない……」
「まあ、聞く前から分かってたけどな。じゃあ俺の刀を貸してやるよ」
弓使いもいるが適正がわからないんじゃ困るからな。とりあえず初心者は一番扱いやすい武器がいいよ、と言いながらジャイロは持っていた刀をくれた。
現実世界でも見たことはあったが、持ってみると思っていたよりも重い。
「太刀だから使いやすいと思うぜ」
鞘から少し出してみるとぎらりと光る刃。よく手入れされているのだろう、僕の顔が反射して映った。
ジャイロに残されたのは短刀一つだけだ。
「僕にこれを貸してくれるのは嬉しいけど……ジャイロはそれだけで大丈夫なの?」
「ああ」
短いが、輝きは先ほどのよりもするどい。
リーチが短いがそれだけで戦うことができるのか。
「俺は強いからな」
自信満々の彼の笑顔は、この後の戦いで証明されることになる。
町を抜けてしばらく歩いて行くと野原が広がっていた。そこにはうようよと何かがいる。
「スライムだ」
「え、あれが?」
僕が知っているスライムは理科の実験で作る手のひらサイズのものだ。しかし、目の前にいるのはそれの何倍もある生き物。きちんと目もついていて立体的でつやつやしていた。
ジャイロは短刀を抜き、堂々とスライムに近づいていく。彼の腰ほどの大きさのスライムは、
「ほっ」
鋭い一突きでその場から姿を消した。
後に残ったのは金貨が数枚。
「な、簡単だろ?」
「ああ」
僕も前に行き、手ごろなスライムを探した。さっきジャイロが倒したやつよりも2回りくらい小さいスライムを選び、えいやっと太刀を振り下ろした。
スライムという名前だから、ぷるぷるしたゼリーみたいなもんかと思っていたが、思っていたより弾力があって餅のようだ。
刀をさしても手応えがない。そのまま手を離すと、スライムに刀が刺さったまま担ってしまった。思わず現世の弾力性のあるマットレスを思い出した。
『物を落としてもこの力の吸収力!体の各点を支えます!』
現世では流し見ていた通信販売番組が、ふと脳内をよぎり懐かしく思う。
スライムは自分の体に剣が刺さっていることなんて気にしないかのように、のほほんと僕を見つめている。
「何してる、早く仕留めろよ」
ジャイロに言われて、わかってるよと言い訳をして、スライムに刺さった刀を再び手に取った。
「トゥルースリーパーみたいだな!」
と言いながら刀を抜く。
「何のことだ?」
と聞かれたが、説明してもわかってはもらえないだろうから無視した。
その瞬間、小さかったスライムがぐわんと震え、真っ赤になったかと思うとすごい勢いで大きくなった。僕の慎重よりも大きくなったスライムに腰を抜かしてしまう。
ぐわんと大きな口を開けて襲ってきた。
「うわあああ!」
「危ない!」
ジャイロが僕の前に飛び出してきた。
思わずつぶってしまった目を開いたときには、ジャイロが短刀でスライムを仕留めたあとだった。
「すごい……」
「慣れればこんなもんだよ」
スライムがいたところからお金がわいてきた。金と銀が何枚かずつ。
それをさっと拾って半分な、と渡される。
「ありがと。もしかして今のはこの地方のボスなの?」
「そんなわけないだろ、バカじゃねえのか」
鼻で笑われてしまった。どうやらスライムは一発で倒さないと巨大化するらしい。そんなことも知らないのかと言われたが、もちろん僕が知るはずもない。というか、これは異世界転生では普通のことなのか?だれか教えてほしい。
「さあ、どんどん行くぞ」
それからジャイロに連れられて何体かのスライムを倒した。
刀は上から刺すというよりも横に切り込みをいれるようにするといいとわかった。
お金はポケットに入りきらないくらいになっていた。
「これで武器も買えるだろう」
そう言われてスライムの生息地から町の方へ歩いていく。僕は着いて行くしかない。
町の中へ入って行ってたどり着いたのは裏路地にある武器屋だった。
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