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「アンタまた騙されたの?」
その一言が、武明の胸に突き刺さる。
「で?今回は幾ら貢いだのよ」
「貢いではいない。金に困ってたから貸しただけだ」
「だーかーら。父親の借金も嘘。母親の病気も嘘。苦学生って設定からしてぜーんぶ嘘だったんでしょ?それで?貸した金は返して貰ったの?」
「…いや」
「アンタさ、恋人を顔で選ぶのいい加減やめなさいよ」
「…分かってる」
昔から、自分が面食いだという自覚はある。
しかも、ちょっと面倒な子に惹かれてしまうのだ。
放っておけなくてあれこれ世話を焼き、最後には相手の裏切りで破局する。このパターンをずっと繰り返してきた。
原因は自分にある。
何でもかんでも許し与えてしまうせいで、いつしか都合のいいATMと化し、他に男を作られるのだ。
だが。
こんな自分にも、いつの日か奇跡が起こるかもしれない。
互いに深く想い合い、愛し愛され、この人となら一生添い遂げたいと思えるような、たったひとりの尊い誰かが目の前に現れるのだ。
「浮気だ不貞だなんだって、世の中修羅場で溢れかえってんのよ?人間なんて野生のオオカミ以下なんだからね。夢見る前に、男見る目を養いなさい」
仰る通り過ぎて、何も言い返せない。
バー『ララ・サラマ』のバックヤードを間仕切った細長いストックルームで、渋谷武明は小さな溜め息をついた。
長年の友人で、このバーのマスター、磯村隼人の指摘はいつも正しい。
そして現実はいつも厳しい。
「あーもうっ。アンタと二人だと狭いのよっ」
大柄な隼人が、これまた大柄な武明を睨む。
「知るかよ。レイアウト考えたのお前だろーが」
「アンタみたいな大男の酒屋が御用聞きに来るなんて想定に入ってないのっ」
隼人とは高校時代からの腐れ縁だ。
高校、大学と同じラグビー部。お互いゲイで、バリタチである。
学生時代は二人とも性癖をがっつり隠して生きていたが、同時期に同じ部活の後輩に片想いしていた。
それで互いに何となく察してしまい、いつの間にやらつるみ始めて、十数年が経つ。
「へぇ。うちのワイン、結構出てるな」
武明は隼人に頼み込み、先月販売を開始した自社初のオリジナルワインを掛け売りで置いて貰っている。
「安い割に、味は悪くないからね」
「お」
味に厳しい隼人には、珍しい褒め言葉だ。
「うちはお高くとまったバーじゃないし、客も若い子が多いじゃない?メニューにグラスワインを載せてみたら、ビールやカクテルより安くて美味しいって人気出ちゃって」
「そりゃ有難いな」
「がっつり補充しといてね」
「おう」
「ねぇ。たまには店で呑んでいけば?現地調査も仕事でしょ?出会いのチャンスも転がってる。一石二鳥じゃない」
「すまん。タクシー予約してあるから今日のところは帰る」
「何よつまんないわね。仕事抜きでいいからたまには呑みに来なさい。あんな奴引き摺ってても時間の無駄だからね?次に行きなさい、次に」
「…善処する」
武明が裏手の通用口から外へ出ると、ポツポツと雨粒が落ちてきた。
次の瞬間、ザアッと雨が降り始め、小走りで店の前へ回る。
軒下に滑り込むと、立て看板の脇に人がうずくまっていた。
微かに呻き声のようなものが聞こえる。
「…大丈夫ですか?」
静かに声を掛けると、ちょっと信じられない程自分好みの美しい顔が、武明をみつめ返した。
その瞳も睫毛も頬も、涙に濡れてキラキラと光っている。
見る間に涙の粒が目の淵から溢れ、次々に大粒の涙を溢す。
「どっか、具合悪い?」
武明が訊ねると、彼は首を横に振った。
「こんなとこに座り込んでたら濡れちまうぞ。立てるか?」
武明が肘を掴んで引き上げると、彼はフラつきながら立ち上がった。ずいぶん酒の匂いがする。
「店に入るか?」
「家、帰れるか?」
何を訊いても彼は首を横に振る。
泣いても泣いても涙が溢れ、嗚咽が漏れる。
余程辛いことでもあったのだろう。
泣きじゃくる姿をみていると、武明の胸までがしくしくと痛んだ。
予約していたタクシーが店の前に到着した。
一旦は一人で乗り込もうとしたのだが、どうしても泣いている彼を放っておけなくて、タクシーに乗せてしまった。
「家、どの辺だ?」
すると、彼はジーンズのポケットからくしゃくしゃになった葉書を取り出した。
結婚しました、と書かれた文面にハッとする。
彼の涙の理由がこれだとしたら…。
慌てて裏返すと、宛名に書かれた住所はここから電車で一駅ほどだ。案外近い。
運転手にこの住所を告げ、ひとまず向かってみることにした。
万が一、彼の自宅でなかったとしても、知り合いの家なら彼の身元が分かるかもしれない。
「ここか?」
青年を抱えて、ワンルームマンションの四階へ上がり、一号室の前にたどり着く。
葉書にある名前と、扉上のネームプレートに書かれた名前を確認する。
「おお、合ってるな。北川…サトシくんかな?トモくん?」
武明が訊ねると、彼はどちらにも首を横に振る。
「鍵、出せるか?」
彼は覚束ない手つきでポケットからキーケースを出した。
無事に開錠し、彼を抱えて部屋に入る。
ベッドまで連れて行き、階下の自販機で買ったペットボトルの水を手渡した。
オートロックがついているようなので、キーケースをテーブルの上に置いて、部屋を出た。
綺麗な子だったよな。
幾つぐらいだ?
あれからどうしているだろう。
美しい泣き顔がずっと頭から離れない。
ああ、まずい、まずいぞ。
完全に一目惚れだ。
-恋人を顔で選ぶの、いい加減やめなさいよ。
彼の顔を思い浮かべては、親友の言葉で我に返る。
別にどうこうするつもりはない。
もし彼がバーの常連客で、隼人が彼を知っていたなら、元気にしているか確認するだけだ。
そもそも、彼がバーの客かどうかも定かではないのだし。
そう自分に言い訳をして、次の週末、武明はバー『ララ・サラマ』へ向かった。
「へぇ。何それ、先週の話?大変だったわね。うちの前にいたんなら、うちのお客さんかも。あの日は事務処理やってて店に出てなかったから、バーテンくんに聞いてみるわ」
「わざわざ聞かなくてもいい」
「何でよ。アンタが店まで訊きに来るぐらいだもの。気になるんでしょ?」
「…」
「まぁいいわ。何呑む?」
「バーボン」
「ワインはいかが?」
「仕事で飽きるほど飲んでる。知ってるだろ」
「随分流行ってるんだな」
武明は感心しながら店内を見渡した。
テーブル席は満席、カウンター席も半数以上が埋まっている。
「でしょ?週末はいつもこんな感じ。若い子達がゲイのコミュニティで口コミしてくれてるみたいなの。リーズナブルな上にコワモテのマスターが常時目を光らせてるからネコちゃん達も安心して来れる店なんだって」
「ブッ」
「アタシのことは褒められてんだか貶されてんだか分かんないけどね」
「ママさーん。電話ー」
バックヤードから声が掛かると、隼人は眉を吊り上げた。
「ちょっと!ママじゃないっていつも言ってるでしょっ。マスターとお呼びっ」
隼人も忙しそうだし他に知り合いもいない。
手持ち無沙汰になりそろそろ帰ろうかと思案していたら、「隣いいですか?」と声を掛けられた。
何の気なしに「どうぞ」と答え、武明は息を呑んだ。
「はじめまして」
そう言って控えめに微笑んだ若い男性は、忘れもしない、雨の中で泣いていたあの美しい青年だった。
…はじめまして?
…俺のことを覚えていない、のか?
そうか。相当酔ってたもんな。
いや。武明の要らぬ節介を迷惑に思い、知らないふりをしている可能性もなくはない。
…などと考えていたら。
彼は、お互い素性を詮索しないという条件でセフレにならないか、と持ち掛けてきた。
それを聞いて確信した。
やはり彼は、武明のことを全く覚えていないのだ。
彼の突拍子もない申し出も、武明には臆病さの裏返しにしかみえなかった。
くしゃくしゃになった葉書を思い出す。
結婚しましたの一文で、あんなにも傷付いて泣いていたのだとしたら。
彼は恋愛で傷付くことを、極端に恐れているのではないか。
渡されたコースターの裏には、彼の電話番号と『智』というファーストネームが書いてある。
間違いない。
彼の名前は北川智だ。
サトシでも、トモでもないとしたら…。
「何て読むんだ?」
「さとり」
サトリ。
俺で…。
「俺でいいなら」
君を、抱かせてくれ。
「なぁにカッコつけてんのよ。ヤリたいだけでしょ?」
隼人が鼻で笑う。
「違う。俺があいつの糧になるならそれで…」
「ハイハイ。御託はいいから。で?ベッドで口説いてんの?」
「とんでもない。何かの拍子に俺があいつの素性知ってるってバレたら一巻の終わりなんだぞ。俺の顔は覚えてなくても、俺の声で酔ってた時の記憶が甦るかもしれない。だからあいつには極力なんも喋らないようにしてる」
「涙ぐましいわねぇ。どうしても切られたくないんだ」
「当たり前だ」
「メロメロじゃない」
「何とでも言え」
「せいぜいベッドで誠意を示すのね。惚れさせちゃえばこっちのものよ」
「簡単に言うなって」
結局。
勇気を振り絞って智に交際を申し込むまでに、武明は一年を要した。
そして見事に玉砕した。
これまでの恋愛と違うのは、それでも諦めなかった、正しくは諦められなかった、その一点に尽きる。
二度目のアタックで、智はやっと心を開いてくれた。
ストックルームでワインの在庫を数えていたら、隼人が意味ありげに流し目を寄越した。
「…何だよ」
「知ってる?智ちゃんてめちゃくちゃモテるのよぉ。一人でアンタ待ってる時も、他の客に声掛けられまくってるんだから。何で店の中まで迎えに来ないの?コイツは俺のもんだーってアピールしなさいよ」
「…やめとく」
「なんでよ」
店の常連の中に、智を抱いた男がいるらしい。
それも、複数。
「だからこそのアピールじゃないの。手ぇ出すなって、アピールよ、アピール」
「…無理だ」
過去に智を組み敷いた男がいる。智の体を貪った男が…。
そう考えただけで、嫉妬の炎がメラメラと燃え上がるのだ。
当人をみたら、自分がどうなるか分からない。
「何言ってんの。アンタこそ、どんだけ男をアンアン言わせてきたのよ。アンタのセックスが気持ち良過ぎて忘れられないって、別れた後ストーカーみたいになった子何人もいたじゃない」
「そんな訳ないだろ。あいつら全員他の男とも寝てたんだぞ」
「毎日ご馳走食べてたら、たまにジャンクフードも食べたくなるじゃない?」
「っ」
まさか。
智もそうなのだろうか。
「あのねぇ」
隼人は呆れたように肩をすくめた。
「悠然と構えてたらいいってもんじゃないのよ。たまには嫉妬もチラみせしないと、智ちゃんも不安になっちゃうわ」
「そんなもんか?」
「そうよぉ。アンタの元カレ共が他の男と寝てたのだって、半分はアンタの反応みるためでしょ」
「…意味が分からん」
「いいから。次は店の中まで迎えに来て、彼氏アピールしてあげて」
「アピールアピールうるせぇな」
「智ちゃん、不安でグラついてないかなぁ?誰かにコロッといったらどうする?チャンスあるなら狙っちゃおうかなぁ」
「おいっ」
ケタケタと隼人が笑う。
「冗談よ。アンタを待ってる間、ずーっとスマホ握ってニコニコしてるの。可愛いわよぉ」
そんな智を、武明はみたことがない。
ポカンとしていたら、隼人が武明を睨んだ。
「あーもー狭いっ。在庫チェック終わったんならとっとと出てよっ」
「…」
胸がむず痒くて、言葉も出て来ない。
そんな武明をじっとみつめて、良かったわね、と隼人はしみじみ呟いた。
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