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転校・出会い
「今日は、このクラスに転校生が来ます。仲良くしてくださいねー」
私立桐蓮高等学校2-B。
どこにでもある高校の、どこにでもある教室。
夏休み明け初日。
「まじで!?」
「俺今朝見た! 女子だったぜ」
「まじかよー。可愛い? ねぇセンセ、可愛いー?」
「男子うるさーい」
「なぁ園村、転校生だって!」
「──ふぅん」
「静かに! じゃあ、和泉さん、入ってくださーい」
和泉姫芽は、とても緊張しながら、教室のドアを開けた。
嫌いな癖っ毛も今日はいつもよりも時間をかけてアイロンをした。化粧だって、校則違反じゃない程度──睫毛を上げて、色付きリップも塗った──は、した。新しい制服だから、スカートの丈も長過ぎず短過ぎないように鏡の前で確認した。
今日で姫芽の高校の残り一年半が決まると言っていい重大な日だからこそ、頑張った。
ぺたぺたぺた。
上履きのゴムがワックスの効いた床で音を鳴らす。
姫芽は、先生から渡されたチョークで、黒板に名前を書いた。ぴんと張り詰めた静寂の中、かつかつと響く音だけがうるさい。それが姫芽の手から発している音だと思うと、余計に緊張する。文字が少し斜めになったのは、字が汚いからではないと思いたい。
姫芽はくるりと振り返って、できるだけ友好的に見えるように微笑んだ。特別可愛くないのは分かってるから、せめて愛嬌があるように見えるように。
「──和泉姫芽です。今日からよろしくお願いします!」
三十人よりも少し多いくらいの生徒が、姫芽を見ている。
ぺこりと礼をして、顔を上げる。瞬間、目があったのは、教室の真ん中辺りに座る、見たこともないくらい整った顔立ちの男子だった。
艶やかな黒髪黒目に、すっきりとした、しかし筋肉質な体格。座っていても他の男子よりも背が高いのが分かる。そして何より、明らかに高校二年生とは思えないほどの洗練された雰囲気。
都会的な印象のその男子は、姫芽を見て、立ち上がって、目を見開き──。
「──ひめ、様?」
ばたりと、気絶した。
「は、え?」
「きゃああああああああ!」
「園村くん! 大丈夫!?」
「おい櫂人、お前何の冗談……まじで気絶してんじゃん!」
クラスの皆が阿鼻叫喚の中、姫芽はぽかんとその場に立ちすくむことしかできなかった。
知らない男子が自分の名前を──それも下の名前に様付けで呼んだ。もしかしてどこかで会ったことがあるのかもしれないと考え、すぐに否定する。
あんなに綺麗な人、子供の頃でも近くにいたら絶対に忘れない。
明らかな不審な行動をとったにもかかわらず、クラスの男子は尊敬の、女子は恋慕か憧憬の感情を浮かべて園村櫂人と呼ばれた男子を心配しているから、たちが悪い。姫芽は自分の第一印象が最悪になったことに気付き、スカートの影でぎゅっと手を握った。
先生が慌てて櫂人の元に駆け寄って、声をかける。
「──そ、園村くん、園村くん? ……駄目ね、完全に意識がないわ。保険委員、先に保健室に行って、保健の先生を捕まえておいて。力に自信がある人、運ぶの手伝ってほしいんだけど」
「俺行けます」
「あ、俺も!」
十人近くが名乗り出たが、先生は特に体格がいい男子を二人選んで櫂人を運ばせることにしたようだ。櫂人は廊下に備え付けの担架に乗せられ、運ばれていく。
「それじゃ、後の人は全校集会に向かってください。園村くんのことは、先生達に任せて。朝のホームルームを終わります!」
先生はそれだけ言い残して、教室から走って出ていった。廊下を走ってはいけないのではなかったかと思ったが、これは緊急事態だから仕方ないだろう。
クラスの皆は体育館履きを持って、ざわざわと廊下に出ていく。彼等の会話は櫂人のことでもちきりだ。あの見た目だ。普段から目立つ男子なのだろう。
突然倒れた櫂人のことは心配していたたけれど、姫芽には、それよりももっと差し迫って困ることがあった。
先生は教室から出て行ってしまった。櫂人は、運動部の男子二人がかりで運ばれていった。どさくさに紛れて何人かの女子がついていったが、姫芽には関係ない。
「──……ええと、私の席、どこ?」
呟いてみても、誰も教えてはくれない。姫芽を気にしている人もいたが、遠巻きにされて近付いてきてはくれないようだ。
席が分からなかった姫芽は、とりあえず教室の隅に鞄を置いて、体育館に向かう人の波になんとなく紛れた。クラスの人と離れずにいたら、今日はどうにかなるだろう。
全てはあの、園村櫂人とかいうイケメンのせいだ。本当なら心配するところだが、転校初日の姫芽にはそこまでの心の余裕はない。
でも、次に会ったら、何故名前を知っていたのか、そして何故倒れたのか、絶対に直接聞いてやる、と思った。
次の日も、その次の日も、更にその次の日も、姫芽に友人ができることはなかった。
高校二年の夏休み明けという時期も悪い。この時期になると仲の良いグループは既にできていて、今更割って入れる雰囲気はない。それでも普通の転校生なら、きっと自然にどこかのグループが声をかけてきてくれただろう。
姫芽は普通の転校生だと自負している。普通でなかったのは、園村櫂人の方なのだ。それなのに櫂人が高熱を出して休んでいるせいで、姫芽への誤解は解けないままだ。
結局今日も姫芽は購買で買ったパンを持って、一人で中庭に逃げてきてしまった。
転校して五日、中庭の端の木陰に姫芽はすっかり馴染んでいる。まだ暑い九月に外は避けたかったが、仕方ない。姫芽も教室や食堂で独りきりは嫌で、トイレで食事はしたくなかったのだ。
「──……学校はまだ好きになれないけど、ここのパンは美味しいのよね」
スマホを取り出して、通知を確認する。前の学校の友人から、姫芽を心配する内容の連絡が来ていた。姫芽はそれに返事をしながら、買ってきたタマゴサンドを口に放り込む。
行儀は悪いが、誰に見られているわけでもないから良いだろう。家でやったら、きっとすぐに母親に叱られてしまう。
一人で食事をしているせいもあって、姫芽はあっという間にパンを食べ終えてしまった。
授業が始まるまではまだ時間がある。このままここでスマホを見ていようか、それとも校内を歩いて少しでも教室の位置を覚えるべきか。なんとなく考えているうちに、腰が重くなってくる。
姫芽がここ数日の間に学校で会話した内容といえば、必要事項と、櫂人との関係を探られるばかりだったのだ。当然、友人などできるわけがない。
それどころか有名人らしい櫂人のせいで、他のクラスから姫芽を見に来る生徒までいた。本当に良い迷惑だ。
そう思うと、無闇に校内をうろつく気にもなれない。
「君が、和泉姫芽ちゃん?」
がさりと音がして、姫芽しかいなかった場所に見知らぬ男子生徒がやってきた。茶色に染めた髪をワックスで遊ばせている、見るからに軽い印象の男子に、姫芽は僅かに身を引いた。
こうして姫芽に声をかけてくる場合、次の言葉は決まっているのだ。姫芽はびくりと肩を揺らして、男子生徒の目を睨むように見据えた。
「俺、飯島歩ってーんだけど。櫂人が──」
「私っ、あの人とはなんの関係もありません!」
反射で言葉が飛び出した。これまでクラスメイトや野次馬達に笑顔で対応していた姫芽にも、ついに限界がきたのだ。
この木陰なら誰にも邪魔されないと思っていたのに、わざわざやってきて、探りを入れられるとは思わなかった。
心に何の防御もしていなかった姫芽の頭の中は途端に真っ赤になって、瞳から反射のようにぽろりと涙が零れる。
最悪だ。初対面の男子の前で、泣いてしまうなんて信じられない。
それでもこれまで堪えていた涙は、一度溢れ出すと止まってはくれない。次から次に落ちていく雫を、持ち上げた両手で隠した。
「あ、あー……ごめん。ごめんなさい。そういうつもりじゃなかったんだけど」
歩が、気まずそうに目を逸らす。
「……そういう、つもりじゃな、かった、って……っ?」
嗚咽と共に問いかけるが、返事はない。代わりにがさがさと草をかき分けるような音がして、すぐに姫芽の頭に大きな手が乗った。男性的な硬さのあるその手は妙に心地良く、しっくりと馴染む。
まさかこの歩という男子が撫でているのかと思い、慌てて顔を上げると、そこにはまだ学校にいない筈の園村櫂人がいた。なにやら、困ったように笑っている。
あまりの衝撃に、姫芽の涙は一瞬で引っ込んだ。
ちなみに歩は、姫芽から離れた場所で降参を示すように両手を軽く挙げている。
「──……園村、くん? あの、何してるの?」
「申し訳ございません。つい癖で」
櫂人が、何事もなかったかのように姫芽の頭から手を離す。
姫芽は突然目の前に現れたイケメンに、どうして良いか分からなかった。
ここ数日、肩身が狭い思いをしたのは間違いなく櫂人のせいだ。だが、今朝も学校を休むほどの体調不良に見舞われていたというのは事実のようで、純粋に心配だった。
そう思うと、どことなくやつれたようにも見えてきてしまう。元々の櫂人の細さなど、姫芽が知る由もないのだが。
「べ、別に良いけど。園村くんは、今日も休みじゃなかったの?」
「今日は休みでしたが、ひめ様の様子が気になってしまいまして」
櫂人が、びしりと背筋を伸ばして言う。
「ちょ、ちょっと待って。どうして私の名前知ってるの? それに、何で敬語!?」
姫芽は何かがおかしいと思った。自己紹介をしたとき、櫂人は姫芽のことを知っている様子だった。しかし、確かに姫芽と櫂人は初対面のはず。一度会って忘れるような顔ではない。
しかし櫂人は嬉しそうに──それはもう嬉しそうに笑った。
「おお、これは。ひめ様のお名前は、姫芽様というのですね!」
「は?」
「私は、私が姫と仰ぐ貴女を姫様とお呼びしていただけでございます。それに姫芽様に気軽な言葉など、使えるわけがないではありませんか」
姫と仰ぐと言われても、姫芽には何が何やらさっぱりだ。これは、何かおかしなものでも食べたのか、それとも長過ぎる厨二病か。
困っている姫芽に、黙って話を聞いていた歩が口を開いた。
「な? こいつ、熱が下がってからずっと、姫芽ちゃんのことになるとこの調子で……正直俺にはどうしようもないから、本人にどうにかしてもらおうと思ってさー」
「本人って言われても……」
姫芽はちらりと櫂人に目を向ける。本当に、どこから見ても綺麗な人だ。そう、こうして直立不動で、気を付けの姿勢を崩さずにいても。
姫芽は歩に視線を戻して、問いかけた。
「あの、飯島くんは、園村くんとお友達なの?」
「俺? うん。小学校からずーっと一緒だよ」
小学校から一緒なら、それはほぼ幼なじみと言っていいだろう。姫芽は、歩が櫂人について詳しいに違いないと確信した。
姫芽にはまずどうしても確認しなければならないことがあったのだ。
「園村くんって、その……厨二病なの? 正直、こんなイケメンが厨二病ってすごい痛々しいんだけど」
「違えよ! あ、いや。これしか見てないとそう思うわな……いいか、櫂人はな。すげーモテるけど女に興味なさそうで、勉強も運動もできるけど鼻にかけてない、めっちゃ良いヤツなんだよ!」
歩が前のめりに反論する。
姫芽はその熱量に少し引いた。男友達に対しての弁解としては、少々行き過ぎな褒め言葉だ。
本人を前にしてこんなことを言う男子生徒を、これまでに姫芽は知らない。まして第一印象が『軽そう』だった歩に言われると、余計に違和感があった。
「べた惚れじゃん……」
姫芽はここにきて、比較的まともそうだと思っていた歩に対しても、変な人なのかもしれないという疑いを持った。
櫂人が照れたように苦笑する。
「歩、過大評価だって」
「あ、普通だ」
その態度は本当に普通の高校生で、姫芽は少しだけ安心する。どうやら櫂人は変な人だが、頭のおかしい人ではないらしい。
「俺には普通なんだ。でも、姫芽ちゃんの名前を出すと──」
「いくら歩でも、姫芽様を軽々しく呼ぶな」
「ほらねー?」
歩が呆れたようにひらひらと手を振った。
姫芽はこのままでは埒が明かないと悟った。現状を理解するには、まず櫂人の意見を聞くべきだろう。
「あ、あの。園村くん?」
「なんでしょうか、姫芽様」
「ちょっと話が見えないんだけど、最初から、詳しく教えてくれない? それと、敬語と様付けも、止めて欲しいなー、なんて。ほら、飯島くんみたいに、姫芽ちゃん、で。お願い!」
姫芽が精一杯優しく聞こえるようにと意識して出した声は、どこか上滑りだった。慣れないぶりっ子などするものではないらしい。
櫂人が眉間に皺を寄せ、それから仕方がないというように溜息を吐く。
「……それが、姫芽さ、ちゃんのご要望でしたら。善処するよ」
まだ違和感はあるが、大分ましになったように思う。櫂人の姿勢も直立不動から、僅かに崩したものに変わった。
とりあえず立ち話もなんだと、歩の提案で皆で地面に座ることにする。姫芽は最初から座っていたので、櫂人と歩が近くに腰を下ろした。
姫芽は少しでも冷静に話を聞きたいと、買っていたペットボトルのスポーツドリンクを一口飲んだ。額の汗を拭おうと腕を持ち上げると、櫂人が当然のようにタオルハンカチを差し出してくる。
あまりに自然に差し出されたため無意識に受け取ってしまった姫芽は、他人のハンカチを使う気になれず、なんとなく膝の上に置いた。使わずにすぐに返すのも失礼な気がしたのだ。
姫芽は折りを見て返そうと決め、櫂人に話すよう促した。櫂人が何かを思い出すように目を細める。
「あの日、姫芽ちゃんの姿を見た俺は、走馬灯のようなものを見て、高熱を出して倒れた」
「走馬灯!?」
それは死ぬ前に見るものではないか。驚き目を瞠った姫芽に、櫂人が頷く。
「ああ。それで、そこから三日間は熱が下がらなくて、記憶が次々に浮かんでは吸い込まれていくような感覚で過ごして……目覚めたとき、それが前世の記憶だったんだって理解した」
「──……前世の記憶?」
「俺は、前世ではある国の王女様の従者だったんだ」
姫芽には理解できない話になってきた。
どうやら櫂人によると、史実かファンタジーかは分からないが、その王女と従者がいる世界がどこかにあったということなのだろう。やっぱり厨二病じゃないかと疑いを濃くしながら、姫芽は黙って話を聞いた。
櫂人は気にせずに続けていく。
「その従者は護衛も兼ねていて……王女様に忠誠を誓っていた。その王女──セリーナ姫の魂が、姫芽ちゃんと同じなんだ」
「え」
魂って何だ。
姫芽にそんな記憶は一切ないし、これから思い出すつもりもない。まさか高熱を出して厨二病になるなんて話は聞いたことはなかったが、あり得ることなのだろうか。
姫芽がうーんと唸って首を傾げていると、右手を櫂人に取られ、姫芽は驚いて顔を上げた。
一度はしっかり座っていたはずの櫂人が、片膝をついて姫芽の右手をさりげなく捧げ持っている。その姿勢は、まるでお伽噺の絵本の挿絵のようだ。
「どうか私に、従者として、お側で御身を守らせていただきたい」
「はあ!?」
従者としてって何だ。御身を守るって、一体何からだ。
ぐるぐると回る思考が、姫芽の頭を熱くしていった。今の姫芽に分かることは、少なくとも普通に高校生としてこの日本で生きて行く上で、従者も護衛もいらないということだ。
「い、いやあの。護衛とか従者とか、いりませんから」
「じゃあ、どうやって姫芽ちゃんが身を守るっていうんだ!」
櫂人が、この世の終わりのように空を仰いだ。
「あのさー、櫂人。従者って、普通高校生はいらないんじゃないか? 日本平和だし」
歩が小さく溜息を吐く。
櫂人は姫芽の手を離さないまま、歩の方を向く。僅かに眉間に皺が寄って、眉が下がった。
「そ、それは」
櫂人が言葉を詰まらせ、姫芽の手を離す。自分が言っていることの無茶に気付いたようだ。つまり、前世を思い出したと言いつつ、現実世界の記憶や価値観はしっかり持っている。
歩は畳みかけるように続けた。
「逆に浮いちゃうって。それに姫芽ちゃんの場合、今問題なのは従者とか護衛とかよりも、友達がいない方だと思うわけよ」
今度は姫芽が言葉に詰まる番だった。
友達がいれば、こんなところで独りで昼食を食べたりしないだろうから、冷静になって考えれば誰にでも分かることだ。しかし今の姫芽は櫂人に無茶苦茶なことを言われて割と追い詰められている。
だから、余計に動揺してしまった。
「……な、なんで飯島くんがそんなこと知ってるのよ」
「俺、女の子の噂には結構詳しいんだよねー」
歩がにいっと口角を上げる。
櫂人はそれを聞いて、心底分からないというように首を傾げた。
「でも、何で友達ができないんだ? 姫芽ちゃんなら、簡単に作れそうだけど」
「そ……園村くんのせいでしょう!?」
姫芽はつい声を荒げてしまった。
クラスメイト達は姫芽と櫂人のことを様々な形で噂していた。噂の中には、姫芽がかつて櫂人を苛めていたとか、子分にしていたとか、あるいは姫芽がとんでもないお金持ちだとか、そういうものもあった。
どれを事実だと思っていたとしても、姫芽に進んで近寄りたいと思う人はいないだろう。
「お、俺?」
「そうよ! 園村くんが私の名前呼んで倒れたりするから、変な目で見られて……そういうの気にしない子まで、私に声掛けづらくなっちゃったんだから! だから、今日だって、こんなとこで独りでお昼食べて……」
話している内に、どんどん情けなくなってきた。
姫芽だって、知らない土地で、知り合いもいない中、どうにか溶け込もうと必死だったのだ。
一方で、姫芽の顔を見て突然倒れてしまった櫂人を心配していないわけでもなかった。だからこそ、素直に心配できない自分を嫌いになってしまいそうで、怖かった。
それでも友達ができない現状は、姫芽だけの力でどうにかすることもできなかったのだ。
寂しさと自己嫌悪という名前のその感情と、向き合う覚悟は姫芽にはなかった。
「それは悪かった。ごめん」
櫂人が姫芽の目を見て頭を下げた。
姫芽は、悲しくなってうな垂れる。謝られても、起こってしまった事実は消せないのだ。
「謝られたって今更──」
「──責任をとって、俺が姫芽ちゃんの友達になろう」
「はあ!?」
慌てて顔を上げると、櫂人は真面目な顔をして正面から姫芽を見ていた。
言葉を疑うにも、その瞳はあまりにまっすぐに姫芽に向けられている。そこにある輝きがあまりに透き通っていて、姫芽はつい否定の言葉を忘れてしまった。
その隙を突いたように、歩がはいっと勢いよく手を挙げる。
「あ、それいいねー。俺も俺もっ」
櫂人が歩をちらりと見て、何かを考えるように右手でこめかみを触る。それから、ゆっくりと息を吐いて、笑顔を浮かべた。
「歩は付き合いやすい人間だから、安心してくれ。これで、友達が二人できたな」
「そんな単純なこと……?」
姫芽は櫂人の輝かんばかりの笑みを引き攣った顔で見ていた。そんな姫芽に構わず、櫂人も歩も嬉しそうだ。
櫂人が握手の形で右手を差し出してくる。
「俺も、友達なら側にいても問題ないんだろう? 従者になれないなら仕方ない、友達で我慢する」
「そういう理由!?」
「あ、従者の方が良ければ、いつでも言ってくれ。前世の俺はその方が喜ぶだろうから」
「是非友達でお願いします」
姫芽は慌てて櫂人の右手を取って、握った。すぐに櫂人が握り返してくる。
友達になるのに握手をしたことなど、姫芽は過去に一度もない。そもそも友達は、なろうと言ってなるものでもなかったような気がする。
それでも、姫芽は心が僅かに暖かくなるのを感じていた。
「即答か」
櫂人が少しだけ残念そうに言う。どうやら、友達よりも従者の方が良かったようだ。
歩が、そんな櫂人を見て吹き出した。
「ははは、当たり前じゃん。なんか、今の櫂人もこれはこれで面白いかもー?」
「私は面白くないですけど!?」
姫芽にも友達はできたらしいが、内一人は従者希望で、前世の記憶とかよく分からないことを言っている。もう一人は、そんな状況にも笑うばかりだ。
そして、女友達はまだ一人もいない。
「まあよろしくねー」
「これからよろしく」
目の前では、櫂人と歩が笑顔を浮かべている。それを見ていると姫芽も毒気を抜かれてしまって、うっかり溜息を吐いて苦笑した。
櫂人が姫芽の右手を、握手の形からそっと掲げるように持ち替える。その甲に、そっと柔らかな唇が触れた。姫芽が止める隙もなかった。
気付いて慌てて手を払う。
「なんで流れるようにキスするの!?」
「いや……これは無意識で」
櫂人がすうっと目を逸らす。
「ここは日本だから! 園村くんだって分かってるでしょう?」
「……ああ」
返ってきた言葉は、心からの言葉というよりは、渋々というようなものだった。姫芽は仕方がないと首を振って、それからわざと厳しい表情で櫂人を見据える。
「それじゃあ、気軽にそういうボディタッチはしないで。次したら絶交だからね」
「絶……交……っ!?」
櫂人は本当にどうしていいか分からないというように、目を見張ってぴしりと固まった。
そんな櫂人の肩を、歩がばしばしと叩く。
「はは、姫芽ちゃん超面白いじゃんー」
歩の顔には、もう見事に櫂人と正反対の、満面の笑みが浮かんでいる。
姫芽は、色々と間違えてしまった予感をひしひしと感じながら、目の前の二人をどこか諦めたように眺めていた。
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