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【カインとセリーナ6】
◇ ◇ ◇
「──これに応戦しなければ、我が国は舐められたままである!」
「だが、戦争をして勝てる算段があるのか!?」
「姫様がいらっしゃるのに、戦など……!」
議場に悲鳴と怒声が降る。
セリーナの髪と共に届けられた手紙には、戦争をするか国境沿いの土地を指し出すか選べ、という趣旨のことが書かれていた。セリーナの生死については、触れられていなかった。
その一方的な手紙に怒りを覚えるのは当然のことだ。国としては、戦争に応じ、国土を守らなければならない。
しかしこの国は、あちらの国よりも武力が弱い。そして、セリーナがゲルハルトに嫁いだことで、人質としての効力を発揮している。
戦争に応じ敗北をしてしまえば、国は乗っ取られてしまうだろう。素直に国土の一部を差し出したところで、こういった脅迫は何度も繰り返されるに決まっている。
万一戦争に勝利したところで、セリーナの命はない。
「──……セリーナ姫は、ご無事でいらっしゃるのだろうか」
そう言った貴族は、カインの父親だった。
王太子の斜め後ろに護衛として立ちながら、カインは唇を噛み締めた。
セリーナの髪に付着していた血液が本人のものであるかは分からないが、少なくとも、あの美しい長髪はセリーナのものに間違いなかった。それは、誰より側でその髪を見続けてきたカインだからこそ断言できる。
そして、この国でもあちらの国でも、高貴な女性の美意識に大きな違いはない。つまり、長く豊かで美しい髪を持つことがステータスの一つである。
王太子であるゲルハルトの妻が自らそれを切り落とすなど、あり得ないことなのだ。
議場が、しんと水を打ったように静まった。
皆が思っていて、口にできずにいたことだった。
もし、もうセリーナの命がないのであれば、人質はいないことになる。
カインが両の拳を握り締めた、そのとき。ばたんと大きな音がして、入り口の大扉が開かれた。
「議会中に失礼いたします! シュナー帝国よりの使者が参りまして、至急陛下にお伝えしたいことがあると申しております。議会中と説明いたしましたが、より都合が良いと……いかがなさいますか」
本来、議会中に他国の使者をその場に入れることはない。シュナー帝国が例外なのだ。
シュナー帝国は、国王の姉が嫁いでいる国だ。大陸で最も栄えている大国であり、この国の友好国でもある。大国の使者が今すぐと言っているのであれば、それは本当に火急の用件なのだろう。
「通せ」
国王の一言で、議場に使者が入ってきた。
使者らしくシュナー帝国伝統の織物で作られた衣装だ。年齢は五十歳ほどだろうか。すっきりとした体躯に、優雅な物腰は、使者が一定以上の地位の者であることを示している。
「──久し振りだね。助けにきたよ」
その言葉に、国王の目が驚きに見開かれた。
多くの混乱があった議会が終わり、王太子執務室にはカインと王太子の二人きりになった。
「いや、まさか使者が皇帝本人だなんて、誰も思わないよね。お忍びだって言うけど、あれ、多分叔母上にせっつかれたんだろうな」
シュナー帝国からの使者は、なんと帝国の皇帝だった。
そして、親書が届けられて以降のこの国の状況をすべて把握しているといった風に、もし戦争をするのであれば、同盟を組み協力すると言ったのだ。
自国だけでは勝ち目はないが、シュナー帝国の協力があれば話は変わる。しかも皇帝の妻はこの国の国王の姉ただ一人で、大恋愛の末の結婚だった。今でも仲睦まじくしているというのは有名な話だ。
つまり、裏切られる心配もほぼないのだ。
これによって、議会では戦争賛成派の声が大きくなった。
「皇帝陛下は、信頼できるのでしょうか」
「ああ。理由も真っ当なものだったし、信頼して構わないだろう。しかし面白い方だと聞いてはいたが、まさか本人が来るなんて誰も思わないな」
シュナー帝国が協力を申し出た理由は二つ。
一つは、妻に頼まれたから。もう一つは、あの国の横暴をこれ以上見過ごせないからだ。
セリーナとゲルハルトが結婚して以降の三年間、この国への武力侵攻こそなかったものの、あの国は小国を次々と攻め国土を奪い、多くの国に敵を作っていた。それは現在大陸一の大国といわれているシュナー帝国にとっても、非常に迷惑な存在だろう。
交易にも支障が出るし、万一自国を脅かす勢力になる前に潰しておきたいというのも最もだ。
しかし、シュナー帝国は帝国でありながらも、基本的にどんな国にも友好的な顔を見せている。だからこそ、なんの理由もなく侵攻するわけにはいかない。
『皇帝の愛妻の母国の危機』は、非常に都合が良い理由になるのだ。
「──陛下は、シュナー帝国からのお話をお受けになるでしょうね」
「ああ。国のためには、それが一番良い」
カインは俯いた。仕方がないことだとは分かっていた。
こうなってしまっては、シュナー帝国からの申し出を断るわけにはいかない。どんな理由があれ、国王として抵抗せずに国土を渡すわけにもいかない。
道は、一つしかないのだ。
カインは顔を上げて、王太子をまっすぐに見た。
「……殿下。お願いがございます」
「言ってみろ」
こうして見ると、王太子はセリーナの兄なだけあって、セリーナとよく似ている。
意思の強そうな瞳に、すっきりとした輪郭。緊張したときに笑顔を浮かべる癖も、そっくりだ。
「退職させてください。私は姫様……セリーナ様を、見捨てられません」
生きているかも分からない。
あの血がセリーナのものであったとしたら、生きているのは奇跡だろう。そうでなくとも、髪を切られ、無事でいる保証はない。
「戦争が始まってからでは遅いのです。どうか、この場で私を解雇してください。そうしたら、すぐにセリーナ様をお救いしに行くことができます」
今は生かされていたとしても、戦争となれば殺される可能性が高くなる。無事に助け出したところで、セリーナに待っているのは『出戻り』のレッテルと、国のための新たな婚姻だ。
国に仕えている自分が、それに逆らうわけにはいかない。
しかしカインは、セリーナを助け出すことができたら、もう、その手を離すつもりはなかった。
王太子はカインの内心に気付いたのだろう。決心を確認するように細められた目が、じっとカインの瞳を覗き込んでくる。
やがて、王太子が深い溜息を吐いた。
「……分かった。だが、解雇するのはセリーナを救い出してからだ」
「殿下──」
「セリーナを救い出したら私宛に手紙を出しなさい。その手紙をもって、カインを解雇する。──それまでは、私の大切な従者だ。決して命を無駄にするような行動はしないこと。何かあれば、私の名前を出してでも生き残りなさい」
「──……ありがとうございます」
カインは溢れそうになる涙をぐっと堪え、深く一礼した。
王太子はたった今、カインとセリーナに駆け落ちの許可を出したのだ。
カインはすぐに自分の家に帰り、荷物を纏めた。使い慣れた剣に、動きやすい服。いくつかの国の硬貨と、数日分の保存食。それらを纏めて、愛馬に繋ぐ。
それからひらりと馬に飛び乗って、横腹を蹴った。
走り出した馬は、カインが住み慣れた街を、セリーナとの思い出がたくさん残る王城を、遥か彼方に置いて行く。
カインは、一度も振り返らなかった。
誰より会いたい人は、ここにはもういないのだ。
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