【カインとセリーナ7】

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【カインとセリーナ7】

   ◇ ◇ ◇  カインは商人の一団と取引し、荷馬車に紛れ込んで国境を越えた。人生で初めての不法入国だ。関所を過ぎてしばらくして、もう大丈夫だと言われてほっとした。  幌を少しずらして街を覗くと、そこには鮮やかな赤い屋根が並ぶ街があった。 「ここが、セリーナ様の嫁いだ国……」  買い物籠を抱えて急ぎ足で家へと向かう主婦、走り回る子供達と、建築中の工事現場から響く威勢の良い声。国力の高さを窺わせる、活気の良い下町だ。  民の暮らしは自国と似たようなものだと、カインは思う。  セリーナが嫁ぐと決まってから調べた情報からしても、生活技術と文化の発展に関しては程度に大きな差はないだろう。  商人達は街の端の目立たない場所で馬車を停め、カインを降ろした。カインは荷馬車を引かせていた馬の中から愛馬をそっと回収し、礼を言う。 「ありがとうございました。助かりました」  商人達のリーダーらしい男性が、カインの握手に応じて右手を重ねてくる。カインは道中の感謝の気持ちを込めてしっかりと握り返した。 「お兄さん、この先どうするんだ?」  カインは北西の方角に目を向けた。そこには何も見えないが、ずっと先には王都があるはずだ。その王城に、セリーナがいる。  セリーナがどんな扱いをされているか分からない現状、カインにできるのは少しでも早くセリーナの元へ行くことだけだ。 「まずは王都を目指すつもりです」 「はー、なかなか思い切るねえ」  商人達には、言えない部分だけぼかして事情を伝えていた。公式の商団は、どの国にも属していない。とはいえそれは表向きの話だ。どうしても出身国に対しては甘くなる。まして事情が『民に人気があった王女様』のことであればなおのことだ。 「もうあまり時間もないもので」  開戦まできっともうあまり日がない。カインも、多少の無理は承知している。  カインの表情を見て、リーダーの男性は諦めたように溜息を吐いた。 「それじゃ、道中気を付けてね」 「ありがとうございました」  カインはすぐに馬に鞍を付け、王都に向かって駆け出した。  それから馬を休ませながら数日。王都の隣町で一泊したカインは、内心首を傾げていた。 「おかしい……ここまで来て、姫様の噂を全く聞かないとは──」  もしもセリーナの髪が切られていたとしたら、必ず噂になるだろう。この国でのセリーナの立場は王妃なのだから。そしてセリーナは、自国では民に親しむ王女であったのだから。  しかし、その原因はその日の午後、王都の食堂で手にした新聞の号外によって知ることになる。  ──王妃セリーナ、内乱罪にて死罪に  その号外には、ひと月前にセリーナが王城内部にて国王ゲルハルトに反する派閥を形成したとして拘束され、今朝死罪が確定したと書かれていた。国王の慈悲のため一般には公開されないとしている。  罪人として拘束された王妃の噂話を表立ってする愚か者は確かにあまりいないだろう。まして、初対面の者に話すようなことではない。 「嘘、だろ……」  カインは新聞を握り締めた。  食堂の女将が、カインが見ている記事をちらりと覗く。 「ああ……王妃様もお可哀想にねえ。死罪を非公開にするなんて、普通無いことなんだ。きっと何かあるんだろうって、皆噂してるよ。今日はその話題で持ち切りさ」  この国は、生活用の通信技術は発達していない。おそらく軍事機密として秘匿されているのだ。だから、新聞の情報が王都から流出するには時間がかかる。国境付近の街では、一週間以上は差が出るだろう。 「そうですね。王族や貴族なんて、何を考えているか分かりません」 「本当にそうだよ。ああ、怖い怖い」  新聞によると、刑の執行は明日の早朝だということだった。  それならば、カインの方針は決まった。今夜中に、セリーナを王城から救い出せば良い。 「ごちそうさま」  カインは握りつぶしてしまった新聞を手で伸ばし、金額ぴったりの硬貨を置いて立ち上がった。店を出て、王城の周囲を探る。侵入経路と、馬を待たせておく場所を先に決めておかなければならない。  カインはまだ出入りの多い昼の内に使用人に紛れて王城内部を探り、セリーナが捕らえられているという牢の場所を把握した。それから、愛馬を王城付近の林に隠す。救い出したら、すぐにここから逃げる算段だ。  そうして日が暮れてから、カインはようやくセリーナがいるという地下牢へ向かった。  王城の敷地の奥にある、罪人用の塔。その地下は、本来貴人を入れておくような場所ではない。そこを指定したということは、それだけセリーナがゲルハルトから恨まれているということだろう。  ひっそりと静まり返ったその場所は、淡い明かりで照らされている。  カインは塔の入り口の鍵を開け、中に入った。内側から鍵を掛け直すことも忘れない。階段を下り、ようやく見つけた牢の鍵を静かに開ける。端の方に布が盛り上がって山になっていて、きっとそこにセリーナがいるのだろうと思った。  しかし、カインは呼びかけようとして布に触れて、その感触に驚く。 「──いない……?」  布の中にあったのは、粗末なクッションだけだった。それが丁度人に見えるくらいの大きさに積み上げられている。それでは、セリーナは一体どこにいるというのか。  カインが焦っていると、階段の上の方から足音が聞こえてきた。誰かがやってきたのだと悟ったカインは、クッションと布を元に戻して、牢の鍵を掛け直した。そして通路の奥にある樽の裏に身を隠す。  やってきたのは、一人の侍女だった。手には皿が乗ったトレーを持っている。皿の上には黒パンが置かれていた。おそらくセリーナの分だろう。  もしセリーナがこっそり脱獄したのであれば、この侍女に気付かれてしまう──そう考えたカインだったが、侍女は牢の前にやって来ると、その場に腰を下ろし、持ってきた黒パンを当然のようにむしゃむしゃと食べ始めた。  まさかの状況に呆気にとられていると、侍女がぽつりと独り言を漏らす。 「セリーナ様、お元気でいらっしゃるかしら」  カインはその言葉にセリーナへの情を感じ取り、はっとした。この侍女はセリーナの味方だったのだろう。 「詳しい話を聞かせてくれないか」  樽の影からカインが顔を出すと、侍女はびくりと身体を揺らして驚いて、それからカインの顔をまじまじと見た。 「──もしかして、カイン様……ですか?」 「私を知っているのか?」 「はい。その、セリーナ様から聞いておりまして」  それから、侍女はカインに事情をぽつぽつと語り始めた。  セリーナが嫁いだ翌日に、ゲルハルトは自国の子爵令嬢を側妃として迎えたらしい。  かねてから恋仲であった二人は、しかし子爵令嬢を正妃とすることは許さなかった当時の国王によって、なかなか結ばれることができなかった。側妃としようにも、正妃がいない状態で側妃を娶ることは、この国では許されていない。  そんなとき、講和条約を自国に有利な条件で結べることになり、ゲルハルトはセリーナを妻に望んだのだ。自国よりも小国とはいえ相手も王女であれば、国王も否とは言わない。そしてセリーナに正妃としての仕事をさせ、愛しい子爵令嬢は側妃として寵愛する──という魂胆だったという。  ゲルハルトに対して恋愛感情がなかったセリーナは、そんな条件も呑み込んで黙々と正妃としての仕事をこなしていた。  しかし、状況は側妃が男子を産んだことによって大きく変わる。  セリーナは嫁いで三年も経つにも拘らず子供ができないと、我が娘こそ正妃に相応しいと言う高位貴族達から正妃としての資質を疑われるようになっていた。そして待望の男子が側妃から産まれたことで、側妃の地位も向上し、セリーナがいらなくなったのだ。  廊下を歩くセリーナに勢い良く側妃がぶつかってきて側妃が転んだことで、セリーナが側妃に怪我をさせたと言われた。セリーナを庇った侍女は、ゲルハルトの意に反したとされた。  セリーナが投獄されたのは、そんな訳の分からない事情だったのだ。 「それでは、セリーナは──」 「セリーナ様は、こちらに入れられた翌日には、ご自身のみのお力で王城から脱出なさいました。このままここにいては、謂れの無い罪を着せられると……そう仰っておいででした」  セリーナは、自分の使用人の誰にも脱獄を背負わせることを拒んだと言う。確かにセリーナは、護身術の一環として縄脱けや鍵開けも学んでいたと、今更になって思い出す。  脱獄から数時間後、ゲルハルトがその事実に気付きすぐにこっそりと捜索隊を出したが、セリーナは見つからなかった。 「まさか王城から王妃が脱獄したなど、とても公開できることではありません。ですので、私はここで毎日セリーナ様の分のパンを食べる係なんです。……それも、今夜で終わりですが」  ひと月経っても見つからず、ついに捜索を諦めたゲルハルトは、明朝非公開でセリーナを死刑にするということにして、脱獄の事実ごと闇に葬るつもりだということだ。 「セリーナ様は生きていらっしゃいます。私も居場所は存じませんが、……カイン様に再会されることを、望んでいらっしゃるのは間違いないと思います」  カインは顔を上げた。  侍女が寂しげに微笑んで、言葉を続ける。 「以前、セリーナ様にお尋ねしたことがございます。『陛下に愛されず、お寂しい思いはされていませんか』と。そのとき、仰っていたのです。──『その方が都合が良いわ。だって、全てを許すのはカインにだけでありたいから』と」  カインは驚き、目を見張った。  それからすぐに立ち上がる。  セリーナは会いたいと言ってくれていた。ならばカインは、その願いを叶えるだけだ。 「ありがとう。……セリーナ様は、私が必ず見つけるから」  カインはそう言って、塔を出た。どこにいたって、必ず見つけ出してみせる。  カインの気持ちを知っているかのように、愛馬はいつも以上に速く街を駆け抜けてくれた。
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