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【カインとセリーナ2】
◇ ◇ ◇
カインが十二歳になったとき、将来が決まった。
カインには兄が二人、姉が一人、弟が一人いる。五人兄弟で、皆が剣術を習っていた。
しかしその日、カインの父親は家から騎士にするのは二人だけだと宣言した。そして、その二人に長兄と末の弟を指名したのだ。
長兄は兄弟の中で最も真面目で、身体が大きい。鍛えても筋肉が思うようにつかないカインにとって、ずっと憧れの対象だった。
末の弟は、剣の天才だと言われている。カインより二歳下であるにも拘らず、練習ではいつもカインと互角に戦うことができた。身体がまだ小さいことを考えると、その能力はどこまで伸びることか。
騎士として家を継ぐ長兄と、それを支える末の弟。弟には、長兄に万一のことがあったときのスペアの意味もある。
貴族が騎士となるための試験を受けるには、親を保証人としなければならない。カインが幼い頃から憧れ続けた騎士になるという夢が、消えた瞬間だった。
「──カイン。あんた、大丈夫?」
見るからに落ち込んでいたカインを励ましたのは、カインの唯一の姉だった。
「姉様は、これからどうするのですか?」
カインは、姉もまた、騎士を目指しているのだろうと思っていた。女性騎士は狭き門だが、自分達と共にいつも剣術の訓練をしていた姉だ。きっと、大きな夢があってのことだろう、と。
しかし、姉の言葉はカインの思ったようなものではなかった。
「私は婚活するわよ。お父様が、十八になるまでは猶予をくださるって言うから。それまでに、理想の旦那様を見つけてこないと。折角強くなったんだから、この剣術を活かせる相手が良いわね」
「そうですか……」
「あんたもいつまでも落ち込んでないで、将来のこと考えなさい。騎士以外にも仕事はたくさんあるんだから」
「はい、姉様」
カインは子供故の分かりやすい失望を顔いっぱいに広げ、逃げるように自室に戻った。
騎士以外と言われても、何を目指したら良いかなんて分からなかった。カインは今日までずっと、騎士に憧れて生きてきたのだ。
五人の子供の全員が騎士になるよりも、様々な道に進ませた方が家が栄えると考えてのことだったのだろうと、大人になった後でカインは理解した。しかしこのときのカインは、突然閉ざされた将来を悲嘆することしかできなかった。
カインが父親に王城に連れていかれたのは、それから一週間ほど経ったある日のことだった。
いつもよりも上等な服を着せられたカインは、複雑な表情をした父親に手を引かれて、入ったことがない王城の奥の方へと向かう。廊下の装飾が増えるにつれて、カインは不安と緊張に押しつぶされそうになっていった。
立ち止まった目の前には、重厚な扉。
明らかに高貴な人がいるであろうことが分かるその扉に、カインは息を呑む。
カインの父親が扉の前にいる騎士に来訪を告げると、騎士は室内に声をかける。
「失礼がないようにしなさい」
カインが、誰に、と聞き返すよりも早く、扉が開かれた。部屋の奥には見たことがないほど立派な椅子──たぶん玉座だ──があり、その隣にもう一つ小さな椅子が置かれている。
玉座には、この国の国民なら誰もが知っている国王が座っている。隣の椅子に、綺麗なドレスを着た少女がちょこんと礼儀正しく腰掛けていた。
「──突然呼び立ててしまったが、大丈夫だったか?」
国王が、カインの父親に問いかける。父親は膝を折って、騎士の礼をした。隣にいるカインも、慌てて深く頭を下げる。
「陛下のお召しでございますので。他の何にも替え難いものでございます」
「楽にして構わん。それで、その子がカインか」
「はい」
姿勢を戻した父親がちらりとカインに目を向けて頷く。
カインは自分の話題になったことに驚いた。連れてこられた理由はここにあったのだろう。しかし、国王なんて雲の上の人に目をかけられる理由には、なんの心当たりもない。
「カイン。君は私の娘と面識があるそうだね」
カインは国王の隣に座る少女を見た。
波打つふわふわのプラチナブロンドに、宝石のような赤い瞳。ぱちりと目が合うと、人形のように愛らしいその少女は柔らかく微笑んだ。
「こんにちは、カインさん。お久しぶりね」
「セリーナ……!?」
カインは驚きに目を見張った。
そこにいたのは、何年か前に訓練場で出会った女の子だったのだ。
それ以降訓練場で女の子を見かけることはなかったため、何年も前のことでも鮮明に覚えている。
「こら、カイン。王女殿下を呼び捨てとは、どういうことだ」
「今日のところは構いません。お願いをするのはこちらなのですから」
セリーナはカインの父親の説教をばっさりと切った。それから、立ち上がってカインの方に歩いてくる。まるで重さがないように錯覚させられる優雅な足取りだった。
カインの目の前で立ち止まったセリーナは、ドレスの裾を持ち上げ、淑女のように優雅な礼をした。
「セリーナと申します。以前は失礼いたしましたわ。どうぞ、お見知り置きを」
カインは慌てて挨拶を返す。
「カインと申します。本日は──」
挨拶の途中で、カインは言葉を止めた。
部屋の端に控えている騎士達のうちの一人が、突然飛び出してきたのだ。その手の中で銀色に輝いたのは、見間違いでなければ、短剣だ。その切っ先はセリーナに向いている。
「セリーナ様、こっち!」
カインは何かを考えるよりも早く、セリーナの手首を掴んで背中に庇った。それから、構わず突っ込んでくる騎士と向き合う。
カインは今武器を持っていない。ならば、まずは敵を無力化しなければならないだろう。相手は騎士か、騎士に紛れることができるだけの実力者だ。今のカインが正面から向かっていって、敵うとは思えなかった。
ならば、相手の武器を取り上げるのが最優先だ。
カインは男の刃から逃れ、生まれた隙に身体を滑り込ませた。手首を掴んで、力に逆らわずにくるりと捻ってやる。
次の瞬間床に落ちた短剣を、靴でカインの父親の方に蹴り飛ばした。
「何を……!?」
カインが体勢を立て直し、男に向き直る。互いに素手なら、カインが致命傷を受ける心配は減る。
次はどう攻めようかと考えた瞬間、男はそれまでの緊張を解き、苦笑しながらぱちぱちと手を打ち鳴らした。
「評判以上ですな。反応できれば充分と思っておりましたが、剣を取られるとは。流石、副隊長の秘蔵っ子です」
カインの背後で、父親がゆっくりと短剣を拾い上げる。
どうやら男は刺客ではなく、これまでのことも演技だったようだ。
状況についていけずに立ちすくむカインの手を、セリーナの手が取る。柔らかく、小さく、非力な手だ。
急に近付いた距離に、カインは僅かに頬を染めた。
セリーナは何もかもが自分とは違った。
白く透き通るような肌に、細い身体。カインに無意識に守らなければいけないと、強く思わせる。
セリーナはきらきらと輝く瞳で、カインの瞳を覗き込んだ。その目は期待に満ち溢れている。
「あなた……私の従者になってくださらない?」
「従者……」
カインは、言葉を繰り返した。
騎士の道を断たれたばかりのカインには、その言葉を上手く呑み込めない。
「そう。私の従者になって、私の世話をして、私を守って、ずっと一緒にいて欲しいの!」
セリーナの言葉に、カインは何も言えなかった。
それから何を話したのか、どう帰ってきたのか、まるで覚えていない。呆然としたまま食事を済ませ、寝台に入る。
そんな日を数日繰り返した。カインの頭の中は、セリーナのことでいっぱいだった。
カインがセリーナの従者になることを決心したのは、次の月の始めのことだった。
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