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何とかしたい
千影は職員室ではなく英語教諭の準備室にいることが多い。
「失礼します」と一声かけると、中から「どうぞ」という穏やかな声が返ってきた。
ゆっくりと扉を開けて室内に入ると、休憩をとっていたのかコーヒーの香りが部屋に漂っていた。準備室には千影の他に人はいないようだ。
「珍しいね。授業でわからないところでもあった?」
「あの、俺の後ろのこれについてなんですけど」
これ、と指さしたが灰色の影が見たらない。どうやら廊下にいるらしい。
あのモヤモヤした物体は千影の近くには寄らないことにしたようだ。朝の威圧が効いているのだろう。
悠人の後ろに今は何もいないが、千影は悠人が何を言いたいのか察してくれた。
「ああ、女の子いたよね。知り合い?」
響と全く同じことを聞いてきた。この独特なゆるさも同じである。
2人とも頭のネジが何本かゆるんでいるに違いない。
こんなよくわからない物体の知り合いがいてたまるか。
どうせなので、悠人は響を相手にした時と同じ質問をしてみた。千影が何と答えるのか純粋に興味があったのだ。
「可愛い子ですか?」
「いや、可愛くないと思うよ」
即答だった。
しかも「可愛い」ではなく「可愛くない」という回答ときた。微妙な表情をしていたが、一応「可愛い」と答えた響とは正反対だ。
あの灰色の影が聞いていたら可哀想だと思ったが、ここにはいないのでとりあえずは大丈夫だろう。よくわからない存在とはいえ、女の子が悲しむ姿は見たくない。
「音無は可愛いって言ってたんですけど」
「えぇ……ぐちゃぐちゃで、ほとんど原型をとどめてない顔だよ? どこに可愛い要素があるんだろう。あの子、面食いのはずなんだけどな」
「マジっすか」
ぐちゃぐちゃで、原型をとどめていない?
ひどい単語が聞こえてきた。
灰色のもやもやした何かだと思っていたが、本当の姿は悠人の目に見えているものよりも悲惨だった。
ギョロリとした目玉ごときで驚いてはいけなかったのかもしれない。見えたのが目玉だけで良かったと安心するべきだったのだ。
響も千影もそんなものを見たのに平然としている。やはり頭のネジが飛んで行ってしまっているのか。
「そうだよ。ミステリアスなタイプの美人とか好きじゃない? 日本史の久我先生とか」
千影はのん気に答える。
違う、そうじゃない。
先ほどの「マジっすか」は響が面食いという情報に反応したわけではない。そして今は響の好みのタイプを聞いている時ではない。しかも久我先生は男だ。ミステリアスな美形ではあるが。
「いや、そっちじゃなくて、ぐちゃぐちゃって方です。ホラーじゃないですか。何とかなりませんか」
悠人は縋る気持ちで千影に尋ねる。
そんなわけのわからないものが背中にいるのは嫌だ。何とかして自分の背後からいなくなって欲しい。
だが、そんな生徒の焦燥に気付いていないのか、目の前の教師はおっとりと答えた。
「いなくなるようにお願いしたら? 朝だっておとなしく廊下にいたし、聞いてくれるだろう」
あまりにも普通過ぎる回答だった。
笑顔で話す担任に「それは先生の圧が怖いからですよ」とも言えず、「そうですね……」とだけ言って準備室を出た。頭のネジがどこかへフライアウェイしている人間に何を聞いても無駄である。悠人は教室に戻ることにした。
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