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桜には香りはない。
私の桜には香りがある。
満開の桜を私は見上げた。
惜しげなく散る花びらが、まるで雪のように降るさまが好きだった。
温かな雪。私は上を向いて浴び続けていた。
そんな時間は長くは続けられない。私は足をもつれさせた。見上げていた桜が大きく揺れる。
思わず目を閉じる。身体が強張る。泥にまみれる覚悟をする。
そんな時。あの人。
迂闊な私の傍らにいてくれたあの人。いつから見てくれていたんだろう。
堕ちるはずの私の背に手をまわし、胸の中に守ってくれたあの人。かすかな汗をふくんだ甘い香り。
散れば散る程、絢爛になる空。
そして何も残らない空虚な空。
桜は実を結ばない。だけど。
あの人は言った。ひどく照れくさそうに。
人の心に実を結ぶのだ、と。
どれだけの花が散っていったのだろう。
あの人もその中にいる。
全てが散って、空虚なはずの空。
でも。
私の中に結んだ実は、芳醇な香りを湛えて、私の胸は苦しくなる。
いつもは地に足を着け、足元と正面を見据える。でも。今は。見上げる。
桜の花に香りはない。
私の中の桜には香りがある。
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