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 築五十年以上経ってると思われる部屋の一室は化粧の匂いが充満していた。みんな新商品が出ると試したくて仕方ないし、それがいいものであれば自慢せずにはいられない。最近はドラッグストアに売ってるプチプラのものだって超優秀なのだ。  ここではいつも七、八人の女の子が暮らしている。多い時は十人くらいになる時もあるけど、不思議とそれ以上に増えることはない。ほとんどが十四、五歳。私みたいに十八になる子は私の他にもう一人しかいなかった。  私はいつもと同じように古ぼけた文庫本を開いていた。何度も読んでるから今さら読まなくたって話は全部覚えている。 「(あん)、予約なしなんだ?」隣でSNSに夢中だった心春(こはる)が顔を上げて言った。 「うん、ない」 「だからって化粧くらいしときなよ」 「してるじゃん」  心春はじーっと私の顔を見つめた。「マスカラしてない」 「マスカラは」私は言い淀んだ。「時間が経つとボロボロになって直すの面倒だもん」  心春はすでに聞いていなかった。そばに置いていた鞄の中から、雑誌の付録に付いてたポーチを取り出す。 「これは平気だって」そう言って取り出した箱のフィルムを乱暴に剥がした。なんだ、心春も新しいの使いたかっただけじゃん。 「You Tube でさ、これがめっちゃいいって。でもちょっとお高いから、キッズ達には買えないヤツ」心春が声を潜めて悪戯っ子みたいにそう言った。大人から見れば十五も十八もそう変わらないように見えるだろう。だけどこの年齢のひとつは大きな違いだ。私と心春は十八歳。ここでは古株だし、ババアの域に入る。ここにいる子達はそんなことは言わないけど、客にとってはとてつもない違いになる。だから私達は若い子と同じことをしてるわけにはいかないのだ。客に言わせれば、肌の水分量さえ違うらしい。測ってもないのに。  ああ、やっぱいいわ。心春は私の睫毛に無理やりマスカラ液を乗せるとそう呟いた。いいかどうか分からないけど、なんだか睫毛が重い気がする。 「あ、美桜は行ってるんだ?」心春は私のそばに置いてある熊のぬいぐるみを見て気がついたようだ。 「ああ、うん」 「毎回杏に熊を預けていくよねえ」 「なんかね」差し出されるから仕方なく預かってるだけだけど。  美桜は他人とは話さない。ずっと熊のぬいぐるみと話している。唯一鮫島さんとは話すけど、それだって鮫島さんが十話して、美桜は一しか返さない。話したことがないから、美桜の歳が幾つなのかも分からない。十七とも二十一とも噂されていた。けど私達より上ってことはないから、十七か八なんだろうなって。美桜はフランス人形みたいな顔をしてるし、肌も陶器みたいにツルツルで白い。けど痩せっぽちで、腕にはリストカットの痕がびっしり残っていた。一度しか見たことはないけど、太腿にも幾つもリスカの痕があった。そんな美桜を周りのキッズ達は気味悪がった。それで意地悪のつもりで美桜の熊のぬいぐるみを隠したことがあった。その時美桜は狂ったように泣き叫んで、その意地悪を見た心春がぶち切れて怒鳴り散らかした。そして全員鮫島さんに怒られた。以来、なんとなくキッズ達には一線引かれている。それがあってから美桜とは特に仲良くはなかったが、仕事の時は美桜に熊のぬいぐるみを差し出されている。私は美桜のために怒鳴ったりした覚えはないんだけど。だったら心春に預けていけばいいのにって思う。 「この熊さあ、もし杏が仕事入ったらどうすんの?」 「鮫島(さめじま)さんに預ける」 「だったら最初から鮫島さんに預けりゃいいのに」心春はそう言って笑った。私もそう思う。
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