第2章 深い悲しみ・続3

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第2章 深い悲しみ・続3

さっきまで僕の後頭部を撫でていた左手は僕の右頬に添えられ、僕の唇を弄ぶように撫でていた右手は、左頬に添えられたと思ったのも一瞬に、最初の軽く付くだけのキスとは違う、唇だけで甘噛みするようなキスが何回も何回も考える事を忘れさせるくらい繰り返された。甘噛みされているのも一瞬と思うくらい舌先で下唇を触られ始め、かなえさんの舌先は次第に僕の口の中を犯していく。 触れてばかりに飽きたのか、僕の右手をかなえさんの左頬に添わせた。その顔は、捨てられた子犬のような寂しそうな悲しげな顔だった。「私のことは触ってくれないの?」 触らないんじゃない、触れない。今まで女子に触れたと言える経験は、幼稚園の頃の運動会で手を繋いだだけ。その経験以降ちゃんと触れたことすらないのに、こういう時どうしたらいいのかなんて分かるはずない。手の内側にはかなえさんの暖かくて柔らかい頬、外側には小さくて華奢なかなえさんの手が添えられている。その手が離されたら、その頬からも僕の手が離れていくのは目に見えている。この後の進め方も分からない。けどこのままで終わりたくない。「かなえさん、僕は本当に女の子に触れたことがないです。幼稚園の時に手を繋いだきりで、今こうして触れているのが初めてって言えるくらいです…」恥ずかしさでかなえさんの顔が見えない。右手ではかなえさんの頬に触れれているけど、その触れている顔は見れなくて下を向いてしまった。「僕はこの後どうしたらいいですか?何も拒否しません。何も知らない僕にこの世界の事を教えてください。」 僕の言葉の何かに引っかかったのか、左頬を触れていた僕の右手から右肩に落ちていた。かなえさんの顔はさっきまでの悪戯な笑みはなく、悲しみの中に小さな憤りが混ざっていた。 「「この世界のことを教えてください」って君はこっち側の人じゃないでしょ。普通から弾かれて堕ちた人が流れ着いただけの場所で君は生きられないよ」 声から伝わる僕に対しての強い失望感。雰囲気を壊した僕が悪いけど、かなえさんのことを知らずに傷つけた。ここの人たちほど傷ついていない僕が、安易にこの世界を知ろうとしたこと、それに怒っていた。 「もうお金いらないから今日は解散しよ。私はずっとこの辺にいるから、ほとぼり冷めただろうなって時にでも声かけて」 跨っていた僕の脚から降り、服を順番に着ていき帰り支度を始める。自身だけの身支度を終えると、僕は居ないのと同然のように部屋を後にした。両親からも見放され、この世界でも見放されたような、体の中に真っ暗な深い穴が開いた感覚。「普通から弾かれて堕ちた人たちの場所」そんな場所でも生きられず、普通から見放された僕が生きれる場所はどこにあるのだろう。かなえさんが言う「普通」は僕が孤立していた世界のことを言うのか、もっと僕が目を向けようとしなかった周りの人達が生きていた世界なのか。今日僕が見た世界は、江上とかなえさんが生きているこの世界、僕が弾かれた僕だけがいる世界、かつて江上が楽しそうに過ごしていた世界。この3つしか知らない。だけどその中に僕が生きていける世界はなかった。 ホテルに取り残された僕は、両親から見放された時と似た感情をかなえさんに向けてしまう。かなえさんが思うよりも、深い深い悲しみ。
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