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悲鳴をあげたかったのか、拒否したかったのか。何かをいおうとして不用意にひらきかけた口へさらに深く唇がのめり込む。
おもわず黒天狗の胸もとを押して離れようとした。だが、その手をつかみ取られ、押し倒されてしまった。大きな手で一括りにされた白夜の両手首は、頭上に掲げられている。重なり合った体のまわりに栗色と漆黒の髪が入り交じって広がった。
「んんっ」
強引な口づけは苦しさともどかしさ。そして体に熱をもたらす。
甘くほろ苦い酒気が鼻腔を塞ぎ、吐息と一緒に流れこむ。
両手首をつかむ手は大きく、酔っているためか熱かった。
(俺、初めてなのにっ!)
バタバタと足だけで抵抗してみせると、ふと交わった瞳が揶揄うように笑う。
けれどそれもすぐに閉ざされた。口づけに意識を集中させようとしているのだろうか。動転している隙に温かい舌が口内をつついた。
「――っ⁉」
逃げることも叶わず、白夜の舌はいとも簡単に絡め取られてしまう。
軽く吸って撫でるように動く。慣れないせいで唇の端から溢れた唾液があごを伝った。
今となっては驚きよりも羞恥が勝る。それなのに艶めかしく動く舌が体の奥底を刺激し、あたまの芯をふわふわとさせた。強引なのに、どこか優しく甘い口づけ。
重なり合う体温も、あたまを抱きしめる腕も、つながる唇や舌も。いつの間にか心地よくなってくる。白夜の体は飼い慣らされた猫のようにおとなしくなった。
それを悟ってか、薄らと笑った黒天狗は白夜の胸もとに手を滑らせた。
「んっ……!」
指先が胸の突起をかすめた時、くすぐったいような、それでいてピリッとした感覚が全身を駆け抜けた。口を離れた舌先は首筋をなぞりだす。生まれて初めて感じる刺激と、ぞくぞくと体をふるわす感覚に驚く。
体の奥で何かが疼きだし、襲いくる波を受け止めきれない。自分がどうなっているのかわからず、怖かった。
「待って! もうやめてっ」
悲鳴のような声をあげると、黒天狗はぴたりと動きを止めた。
はあはあと息を荒くする白夜を見下ろし、キョトンとした顔を浮かべてから、くくっと笑いをこぼす。
「おまえ、顔が真っ赤だぞ」
「なっ……! あ、当たり前だろ⁉ 急にこんなことされたら誰だって……」
体を起こした白夜は胸もとを閉じて叫ぶ。黒天狗の笑いは大きくなった。
「俺に喰われるのは気持ちがよかったか」
黒天狗は立てた片膝に肘を置いて頬杖をつくと、わずかに首を傾げてニヤリと笑う。意地の悪い笑みだ。それなのに端正な貌立ちに色気が混ざって直視できない。白夜はくるりを背を向け、上擦った声で叫んだ。
「はあっ⁉ いや、全然⁉」
背中越しにまた、くくく、と声がなる。過剰に反応するほど面白がらせてしまうらしい。それがまた恥ずかしかった。
「こんなことしたの初めてでビックリしただけだから!」
「そうかそうか。なら、これからゆっくりと教えてやろう。最後までできるように、な」
「さ、最後って⁉」
「みなまでいわせる気か?」
「いや、いい! 結構です!」
白夜の顔は茹で蛸のように真っ赤だ。顔だけじゃなく、髪の間からのぞく耳や首筋までも薄く色づいていた。黒天狗は笑いをこらえるのに必死だ。
「くくく、遠慮するな。なんならいますぐ教えてやってもいいが」
温かい吐息が耳朶をかすめ、ぞくりとしたものが背筋をはしる。かと思えば、ちゅっと首筋に口づけが落ちた。白夜はビクッと肩をふるわせ、片手を突きだして黒天狗のあたまを押しのけようとした。だがびくともしない。額を押されながらも、ちゅっちゅと口づけが降り注ぐ。白夜の顔は爆発間近だった。
「やめっ!」
「やめさせてみろ」
「こんのっ」
白夜は黒天狗のほうへ向きを変え、両手で肩を押して腹を蹴り飛ばそうとした。
けれど黒天狗の腹は硬く、まるで微動だにしない。逆に蹴り飛ばすほど白夜の体が後方に流れていく。トンと壁に背中が当たると、にじりよった黒天狗が唇が重なるほどの距離でニヤリと笑った。
「初心だな」
「……っ! 悪い⁉」
「いいや、可愛い」
「かわっ……⁉」
「そんなに抵抗されるとやりたくなるな」
「……っ!」
「冗談だ」
「なっ」
くくく、と笑って体を離した黒天狗は銚子を口に注いで酒を煽る。
白夜は羞恥のこもった顔でむにゅむにゅと唇を結び、黒天狗を凝視した。
(信じらんない。この性悪っ!)
こっちは心臓がバクバクしてるってのに、まるで何ごともなかったように酒を呑みだした黒天狗が小憎たらしい。しかし筋骨隆々というふうにも見えないのに、ずいぶんと体は鍛えてあるようだった。男らしい力強さが感じられ、不本意ながらも憧れを抱いてしまう。
白夜は自分の胸もとに視線を落とす。一応、男としての骨格を有してはいるものの、全体的に華奢な体つき。隆々とした筋肉なんて微塵の欠片もなくて、引き締まった体躯の黒天狗とは雲泥の差だった。
白夜は、はあっと肩を落とした。
「俺ももっと逞しくなりたい」
「おまえはそのままでいい」
「なんで?」
「可愛いからだろ」
「可愛いっていうな!」
憤慨すると、またくくくと笑い声がもれた。
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