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「もう大丈夫です」
「うん、よかった」
「あなたはわたしの恩人ですね」
いって、すらりと白夜の頬をなでる。あごのラインを沿う指先が唇に触れた。
「いつか、お礼をしなくては」
泣き笑い、白夜は首を横に振る。
「玉藻が生きてるだけでいい」
玉藻は嬉しそうに目を細めると、わんわんと泣き喚くハクたちを抱きしめ、すくりと立ち上がる。
「最近、百鬼夜行が頻回だったせいでしょう。ついに本格的に陰陽師たちが動き出しました。辻の入り口で待ち伏せされ、出合い頭に切られてしまったのです。甘くみていたわたしが悪いのですが、まさか霊刀まで持ち出してくるとは」
辻の入り口へ目を向け、玉藻が悔しそうにいう。
あやかしや鬼に物理的な攻撃は効かない。半妖の白夜ならともかく、基本的に彼らの体を構築しているものは妖気なのだ。殲滅させるためには対抗するだけの霊力が要る。霊刀のように貴重なものは当然数に限りがあるため、扱う人間も希だ。玉藻としても想定外のことだったのだろう。
「そうだったの……お館様は?」
「まずはあやかしを逃がせと仰って。活路をひらくため戦いに出向かれました」
「そんな……」
「わたしも一緒に戦うつもりだったのですが、お館様の命で側仕えの天狗に運び出されてしまって」
「じゃあ、お館様は今も?」
「戦っているでしょう。お館様のことですから心配はないと思いますが……」
玉藻は黒天狗の右腕だ。
その玉藻が不意を突かれたとはいえ、これだけの痛手を負ったとなれば黒天狗の怒りは計り知れない。気持ちはわかるが、玉藻の衰弱を目の当たりにしたばかりで恐怖は募る一方だ。白夜は一歩、足を踏みだした。
「俺、行ってくる」
「なりません!」
ぱしりと玉藻の手が腕をとらえる。
「あなたに何かあったらどうするのですか!」
「でも、ここでじっとしてられないよ!」
「お館様はきっと無事に戻ってきます。ですから……」
「嫌だ! 行ったら何か助けになれるかもしれない! ちょっとでもいいから力になりたいんだよ!」
「ですが!」
玉藻が腕に力をこめる。
振り向けば、悲痛な眼差しを向ける玉藻がいた。怒っているようで、諫めているようで。真剣な目には不安が見え隠れする。
さきほどの言葉からもわかる通り、白夜の身を案じているのだろう。
それは恩人としての敬愛かもしれないし、毎朝台所で肩を並べたことで生まれた母性愛に近しいものかもしれないし、決して白夜を同行させなかったお館様への配慮だったかもしれない。もしくはそのすべて。
全部わかった上で白夜は告げる。
「……玉藻、お願い」
真剣な眼が二人の間で交錯する。
しばし見つめ合い、先に折れたのは玉藻だった。
諦観したように溜め息をつき、口をひらいた。
「ならばわたしも同行します」
「え。ダメだよ。玉藻はまだ……」
「仕方ないでしょう。行くといって聞かないのですから」
「でも」
「手負いであっても、わたしはあなたより強いですからね。ですが、そうですね……」
玉藻はにっこりと笑みを浮かべる。
「もう少しだけ補充していきましょうか」
白夜の首にふわりと腕がまきついた。そしてやわらかな唇が重なる。
風に舞って金木犀の甘い香りが漂った。優しいようで強かに、玉藻が白夜を抱き寄せる。目をみはった白夜に滑らかな舌が押しこまれた。
「ん……」
長い睫毛の下で妖しく光る金色の眼が白夜をとらえる。絡まる舌はとろけそうなほど温かく、練熟とした動きをみせる。黒天狗とは違う、じっくりと味わうような口づけは、じんわりとあたまの芯をとかし体をふわふわとさせた。
「……っは」
玉藻はトロンとした白夜の顔を両手で包みこみ、柔和な面持ちでのぞき込む。
「では参りましょうか」
「……う、うん」
よほど活力が戻ったのか、今から戦場に戻ろうというのに声が弾んでいる。
軽やかな足取りで入り口に向かう玉藻の腰からは九本の尾がぶわりと広がった。
邪魔になるからと普段は隠しているんだけど、本来の姿を現した玉藻はとても神々しく、かつ美しかった。
「玉藻さま、嬉しそう」
「尻尾、ふりふりしてるう」
「いいなあ」
ハクたちが指をくわえる。
白夜は少々気恥ずかしさを感じつつ、苦笑をもらした。
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