231人が本棚に入れています
本棚に追加
/88ページ
百年の恋も冷める出会い
(綺麗な人……)
彼をひとめ見た瞬間、白夜は口をポカンとあけて魅入ってしまった。
人は彼を黒羽山の主、黒天狗を呼び、恐れ戦く。
昨今、都には災厄をもたらす数多のあやかしたちが時と闇の狭間に息を潜めていた。
人間に牙を剥く、見るも悍ましいものたち。
ある季節ある時間に彼らは群を成し、決まった場所に姿を現す。
たくさんの鬼が集うので百鬼夜行というらしい。
噂どおり先頭を行く牛車の後方に鬼がうじゃうじゃと列を成している。
彼らを統べる黒天狗は、よほど恐ろしい姿をしているのだと思っていたのに。
「おい、クソ餓鬼。いつまでそこに立っているつもりだ。通行の邪魔だろうが」
牛車の簾を持ち上げて苛立たしげに顔をだした黒天狗は、柳眉をひそめて酒の揺れる盃をクイッと唇に傾け、険悪な面差しで白夜を睨めつけた。
天狗の名がつくからには、鼻の長い赤ら顔だとばかり思っていたのに。
(鼻、普通だ……)
怒声を浴びながらも、そんなことに感心する。
くっきりとした目鼻立ちに端正な貌立ち。横柄な態度がやや気になるが、美丈夫というのは彼のようなものを指すのだろう。
(しかも体型よすぎじゃない?)
黒天狗は腰ほどまである長い黒髪を頭頂から半分とって玉が飾られた笄で結い留め、残りの髪を肩から流していた。そこへ狩衣とは違った、上下繋がった前開きの衣に革製の帯を締め、細身の袴を中に重ねる。都でよくみる狩衣はゆったりとした作りなので、体型などろくにわかったものではないのだが。
どこか異国情緒溢れる黒天狗の衣服は全体的に体に添っているため、絞られた腰つきや長い手足がよく見て取れた。
(いいなあ。どうやったらあんな体型になれるの)
その中でも一番目についたのは瞳の色。
彼の瞳は宝玉のような紫だった。
見目は人間でも闇夜で妖艶に輝く紫の眼が、それとは違うと物語る。
むしろ、その瞳こそが黒天狗の美貌を際立たせているともいえた。
風貌は何から何まで完璧。
都にいればさぞもてはやされただろうに、残念なことに酒を煽る仕草には飲んだくれオヤジに近い雰囲気があった。
「用があるならさっさと言え!」
(……でも短気だ)
ふたこと発しただけで百年の恋も冷める。
白夜は人知れず、理想と厳しい現実の差に打ちひしがれた。
短気なのはもとともとの気質なのか、酔っているからか。
でも冷静に考えてみると、黒天狗が苛立つのも無理はなかった。
なにせここはあやかしの通り道、あわわの辻のど真ん中。
白夜はそこに立ち塞がり、ぼんやりと立ち往生していたのだから。
これでは牛車も通れない。
(まあ、そうなるように立っていたんだけど)
だって素通りされては困るのだ。こちらには大事な用があるんだから。
憧れが見事に瓦解したところでようやく我に返った白夜は、ぐっとこぶしを握りしめると力一杯叫んだ。
「俺も黒羽山に連れて行ってください!」
「ならん」
一考する価値もない。そういわんばかりの即答だった。
白夜はムキになって言い募る。
「なんで!」
「おまえのような者を住まわせることはできん」
「だから、なんでだよ!」
黒天狗は面倒そうに顔をしかめる。
只人であるなら百鬼夜行とまみえた瞬間に牙を剥かれ、息絶えているはずだった。しかし多くの鬼に見留められながらも、いまだに白夜は無事である。
それはなぜか。
「俺だってあやかしだ!」
憤慨しながら言い放つと黒天狗は嘲笑を浮かべた。
「ふん、何があやかしだ。半人前だろうが」
「半人前ってどういうことだよ。こんなのついてたら立派なあやかしだろ!」
言って白夜は背後を指さす。
そこに、うねうねとした何かがあった。
濃い瘴気も相まって闇夜は一段と深みを増す。ゆえに目を凝らさなければ、よく見えない。けれどたしかにそれは、白夜の背後に存在していた。
黒い煙のような何かが闇の中でうごめいている。
左右に広がったり縦に伸びたり。かと思えば一握りほどの大きさに収束しては渦巻き、扇状に広がった。自由気ままに動くそれは、白夜の背を起点として姿を現している。
うねうねと動きまわる黒煙を一瞥した黒天狗は、ふんと鼻でせせら嗤ってみせた。
「ふん。妖気の制御もできんくせに何をいう」
「制御って……。俺だって困ってるんだよ。これ、全然いうこと聞いてくれなくて」
「だから半人前だというのだ。おまえ、もとは人間だな。しかも覚醒したばかりだろう」
白夜は瞠目する。
看破されたとおり白夜はもともと人間だった。羅生門近くの農村に住み、貧窮に苦しむ平民の一人だった。
課税による搾取と長年の日照りが飢えを生み、ただ生きるだけで体力と気力を摩耗する日々に身を置いた結果、三人いた家族はみな餓死してしまった。
一人となった白夜が朦朧とする意識で床に倒れこんだのは数日前。目覚めたのはつい先刻のことだ。
きっと、あの目覚めが白夜を変えた。
少し休むつもりだったのに、家族同様、あのまま死んでしまったのかもしれない。起きた時にはもう、この不気味な黒煙が背中から生えていたのだ。
「な……、なんで知って?」
「今宵は陰の気が満ちる。こういう時は新たな鬼が生まれるものだ。まあ、おまえは半妖だがな」
「――半妖?」
「おまえは半妖だ。あやかしであり、人間でもある」
最初のコメントを投稿しよう!