馬を食べる

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 大学卒業後、徹が食品メーカー『立花食品』に入社して六年になる。理系なので研究所を希望したが、院卒ではない徹はその道はすぐに諦めざるを得なかった。営業部に配属されて最初は気が乘らなかったが、性格が社交的なのが幸いし、水が合ったようだ。いつの間にか係長に昇格し、後輩からも一目置かれる存在になっていた。  よく考えたら、一日中研究所の建物の中に閉じ込められるより、毎日得意先を回ったり,新規にそれを開拓する仕事の方が変化があって楽しい。得意先で歓待されたり、飲みに誘われることは、満更嫌ではない。今ではこの営業の仕事にどっぷり漬かっていた。  徹は『紅丸ファーム』という新しい取引先を開拓したのだが、そこで入社二年目の霧島かおりと親しくなった。軽い気持ちで食事に誘ったら、すぐにオーケーをくれた。  徹はかおりが緊張しないように、大通りから引っ込んだところにある小さな割烹店を選び、奥のテーブル席を予約した。  彼女はよくしゃべった。地方出身で、絵本の翻訳に憧れて中堅の私立大学で英文学を専攻したが、希望した出版業界へは入社できず、今の会社に落ち着いた。それでも、絵本の翻訳をしたいという夢が忘れられず、今もコツコツと英語を勉強しているとのことだった。  徹が旧帝大卒というのを知ると、感嘆の声を上げ、聞いている徹が恥ずかしくなるほど賛辞を繰り返した。彼女にとって、徹の経歴は眩しいくらいの栄光の産物であるかのようだった。 「ねえ、徹さんって英語ペラペラなんでしょう。羨ましいなぁ」 「いやいや、それほどでもないよ」  徹は右手を振りながら、苦笑した。 「わたしなんか、一生懸命がんばってもTOEICが七百点に届かないの。いやになっちゃう。徹さんは何点なの?」  徹は不意を衝かれて答えに窮した。TOEICは就職試験前に一度受けただけだ。確か、六百点台の前半だったと記憶するが定かではない。見栄を張った。
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