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春
よく見かける大仏がいる。
いつもと一本違う道を歩いていたら見かけたのである。
台風一過の日には、ほうきで落ち葉を掃いていた。
目が合ったので、軽く頭を下げてみると、
「おはようございます」
と言う。大仏のわりに早口だ。
「おはようございます」
「いい天気ですな」
「ええ」
「気をつけていってらっしゃい」
戸惑う私に大仏らしく柔和な表情を浮かべた。
「いってきます」
そう言いながら手を合わせそうになる。いい1日になりそうである。
この間は、家具を運び出していた。
引越しかな? と思っていると、
「部屋の模様替えをしています」
首からタオルをかけていて、そのタオルで額の汗を拭いたりなんかしていて、大仏らしくない。
「模様替え、いいですね」
「好きなんですよ」
桐箪笥やちゃぶ台、本棚などが庭に運び出されていた。年季の入った黒光りする家具たちが気持ちよさそうに日光浴していた。
昨日は電車の中で見かけた。
山手線に乗ると、ひときわ座高の高い人がいると思ったら、大仏だった。
あの頭を見てビクリとした。
周囲の人々は、いつものラッシュ時らしく、顔をゆがめていた。
次の駅で腰の曲がった小柄な女性が乗ってきた。
目の前に座っている男は、さっきまでスマホを見ていたのに急に寝たふりをしている。
大仏はかすかな金属音を立てて振り返り素早く立ち上がった。
「どうぞ、おかけなさい」
大仏は一人にしては十分すぎるくらいの座席スペースを女性に提供した。
「ありがたや」
と言って女性は座った。
「ありがたや」
近くに立っていた男も促されて、そこに座った。
静かに微笑む様子もいかにもどこか大仏らしさを感じた。
どこに行くのだろうと気にしていると、3つ先の駅で下車していく。
右手には、不似合いな水玉模様の小さな傘を持っている。
跡をつけていくと、駅員と何か話している。
「忘れ物なのだがね、この傘。きっと持ち主が捜しているだろうから」
「ええ。外回りの、10両目のドアの横に、ええ、こう立てかけてあって」
駅員は大仏から傘を丁寧に受け取り、一呼吸置いてからサインを求められるが、
「いや、そんな大した者じゃないから」
などと言って、照れ笑いをする。
4月に入った。
最近見ないと思っていたら、公園でお花見をしていた。
「まぁまぁ、座りなさい」
大仏の方から声をかけてくれた。
相変わらず早口である。
いつの間にかプラスチックの透明のコップを持たされ、ビールを注がれていた。
ビールと泡が7:3で、注ぎ方もうまいなぁと感心していると、
「サクラに乾杯!」
大仏はひときわ大きな声で言い、コップを強く合わせた。
豪快に飲み干していく。
つまみをつまんでいるかと思ったら、今度はおにぎりとから揚げ、煮物にたくあんを入れたタッパーを広げた。
「あなたが作ったんですか?」
と訊くと、大仏は照れ笑いをした。
「から揚げとたくあんは、東口商店街の惣菜屋で買ってきました」
「おにぎり、おいしそうですね」
「食べてください。鮭とたらこと梅です。」
手にとると、おにぎりは三角と言うより、いびつな丸型をしている。
どこかの寺の説教で、丸はとてもよい形だと聴いたことを思い出した。
「おいしいですね。なつかしい味がします。」
「それはよかったです。いくつでもどうぞ」
大仏は梅のおにぎりを食べていた。
「おお、すっぱい」
と呟いたりしている。
「いつも紀州の蜂蜜漬けの梅干を食べていたんですがね、きらしてしまって。昨日慌てて近くのスーパーで捜したがなくって」
大仏は庶民的な生活をしているようだった。
いつの間にか、日本酒を注がれていた。
風が吹くと、はらはらとサクラが舞い降りてきた。
「浮かびましたね」
「いいことありますね」
花びら入りの酒を飲んだ。
酔いが回ってくると、大仏は声がどんどん大きくなってくる。
もとから早口なので、呂律が回らなくなるのも早いようだ。
「そろそろ、ですか」
桜の夜のライトアップが始まった。
「夜桜もきれいですね」
「まるで女性のようだと思いませんか?」
「女性?」
「ええ。昼間はかわいらしく見えるが、夜になると美しさにグッと磨きがかかって、時には怖さを感じさせる」
大仏が女性についてこんなことを考えているとは意外であった。
風が冷たくなってきた。
大仏が頭に手をやり、たじろぎ始めた。
「どうしました?」
「頭のでこぼこが、なくなってしまいまして」
私は笑いながら触ってみる。
大仏の頭はスルスルとしていて、確かになくなっていた。
「そろそろ、帰りませんか」
「そうですね」
「楽しかったです。また」
大仏はタッパーやビン、シートを手早く片付けて駅のほうに帰っていった。
翌週、東口商店街で大仏らしい姿を見つけたが、頭のでこぼこがなく、一回り小さく見えたので確信がもてなかった。
それきり、大仏とは会わなかった。
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