「何奇(がき)」

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 「こりゃ、一体なんだ?」 70年代、離島勤務を経験した元巡査の“K”は、目の前で食い散らかされた養鶏場の惨事を前にして、言葉を失う。 「巡査。60羽、全部喰われてます。文字通りの踊り喰い、骨も残さずです」 「狐か、野犬…隣の島から渡ってきたか?」 「それが…」 島で唯一の診療医が顔を曇らせる。 「目撃情報があります。とにかくこちらへ…」 彼の顔から、すぐに解決する代物でない事が察せられた。 案内された場所は、今まで嗅いだ事のないような、強烈な臭いの排泄物… それが、港とは反対側…崖に続く道のあちこちに散らばっている。 「垂れ流しか…」 「ええっ、そうなります。便の中に鳥の骨が混じってます。オマケに、近くに点在する民家では“そいつ等”に野菜や魚をとられたそうです」 「と言う事は、相手は人間か?」 「人間でしょうね。多分、でも…」 「?」 「齧られたそうです。怪我人が出ています」 「そいつ等に抵抗したからか?」 「いいえ、彼等にとっては、ただ、大きな食べ物に見えただけでしょう?抵抗が激しく、咀嚼できなかった。巡査、拳銃は?」 「持ってきている」 「では、向かいましょう。急いで」 医者が時計に目をやる。日が暮れ始めている事を気にしたようだが、排泄物とは別に、周囲を漂い始めた、強烈な臭いが連中の行き先を示している。 「向かう先は海か?」 Kの言葉を無視し、先を進む医者は一人、ぶつぶつと言葉を呟き続けている。 「オイ、何を考えてる?」 「多量の食事と排泄のペースが異常なんだ…養鶏場前の海岸では、砂や貝殻、流木、魚の骨を齧った後が…恐らく、喰って、すぐに出し、また喰う。常時飢餓状態の疾患…いや、違うな。これは…」 うすら寒さを覚えているうちに、崖の下…海流の留場になっている地点から、外国の言葉が聞こえてきた。Kはゆっくりとホルスターからニューナンブを抜き、手近の岩場に足をかけ、様子を見ようとし… 同時に響いたエンジンの駆動音を耳にするや、弾かれたように、銃を構えて飛び出した。 「動くな…きさ…」 その光景は50年経った今でも、克明に思い出せる。 全身が疱瘡と垢で覆われた裸の人間…ザンバラ髪と充血した目、その手と足、首には鎖枷がつけられ、引き元には、自動小銃を構えた男が小型ボートの上でこちらを見ていた。 「これは、医者の考えだが、人体実験、または試作兵器、戦術実験だと言ってた。自国の犯罪者?政治犯達の効率利用…極限まで飢えさせ、痛めつけ、 興奮剤や薬剤を投与し、人間じゃない者に変えた後に、他国へ送り込む。 効果が望めれば、それで良し。失敗しても、もう見た目からしても、何処の国かもわからない。完璧な異邦人として処理される。 今回は栄養失調の度合いが強く、食欲にしか特価できなかったと言う点で、失敗…早期の回収を行ったと言うケースだ。昔も今も、うちの国は、他国に対して強く出れない。効果を試す場としては、最適だ」 当然の事ではあるが、自動小銃を持った相手と戦う訓練など受けた事もなく、また、上記に挙げた事項が邪魔し、Kと医者は向こうの乗船を黙って見ている事しかできなかった。 ただ、船が発進する際に振り返った一人が、縋るように放った言葉は今でも覚えている。恐らく、既に訪れているであろう飢餓感に、乾いた皮膚を絞り、拙いKの国の言葉で彼は 「ハラガヘッタ…」 と言った…(終)
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