買い物客 鈴木沙緒莉

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買い物客 鈴木沙緒莉

「この辺りってめちゃくちゃ田舎ってわけではないと思うんですが、開発が進んでるわけでもないので、買い物をするところに困るんですよね」  スーパーやコンビニはあるけど、服を買ったり遊びに行けるような場所がないってことでしょうか? 「そうそう! そうなんですよ。ちょっと買い物したいなって思ったら、電車で三十分ほど出ないと駄目なんですよね。まあ、かなり遠いわけでもないんだけど、ちょっと不便だなと。まあ、贅沢な悩みかもしれませんが」  あの、近くにショッピングモールがあると思うんですが、そこには行かれないんですか? 「あそこは……前はよく行ってたんですが、最近はもう行ってません」  もしよろしければ行かなくなった理由を教えていただけませんか? 入っているテナントが好みではなくなったんでしょうか? 「いやいや、テナント数は多いし品揃えもあるから、そういうのに特に不満はないんです。でも、正直言ってあそこに行くのが怖いんです」  あのショッピングモールに行くのが怖いということですか? 「はい。あ、おかしいと思いますよね? でも、怖いんです、あのショッピングモールが。なので多分もう二度と行くことはないと思います」  買い物に行かれた時に何かあったんですか? 「三ヶ月ぐらい前だったと思います。うちの子、五歳の男の子なんですけど、子どもと夕方に買い物に行ったんですよ、二人で。二人で買い物に行くことはよくあったんですが、その日はうちの子なんだか機嫌が悪くて、手を繋いで歩いていても、急に立ち止まったり、帰りたいってぐずってたんですよね」  普段はそんなことはないのに、その日は機嫌が悪かったということですか? 「そうですね、いつもはそんなことないんです。でも、その日はショッピングモールに着いたあたりからですね、機嫌が悪くなって『はやくかえろ』って言って帰りたそうにしていました」  帰りたい理由は何か言ってましたか? 「特に言ってなかったと思います。ただただ、早く帰りたいみたいでした。それで、こんなこともあるのかなと思いながら、『まだ来たばっかりでしょう』とか『早く買い物を済ませて帰ろうね』とか言って、なだめながら買い物をしていました。でも、それがいけなかったのかもしれません」  そう言いますと? 「スタッフさん専用の出入り口の近くを通った時です。そこにはトリックアートがあったので、『地面に絵が描いてあるねー』って話しかけたら、何故かうちの子は絵じゃなくて何もない天井を見つめて立ち止まったんです。何を見ているかはわからなかったんですが、何かそこにいるものをぼんやりと見つめている、そんな顔をしていました」  天井からポップや、ポスターは下がっていませんでしたか? 「ありませんでした。私も何を見ているのか気になって、子どもが気になりそうなものを探したんですが、本当に何もなくて、それでなんだか怖くなって『早く行こうねー』って手を引いたんです。そしたら……」  そしたら? 「急にぐっと強い力で子どもから手を引っ張られたんです。いや、違うな。私は右手で子どもの左手を握っていたんです。そしたら私が繋いでいない方の手、子どもの右手を目に見えない何かがすごい力で引っ張っていたんです」  お子さんが引っ張ったのではなく、何かに引っ張られていたんですか? 「はい、明らかに私と反対の方向に何かが引っ張っていて、うちの子の腕はピンと左右に伸びていました」  お子さんの手を引っ張る相手の姿は見えましたか? 「見えませんでした。でも、私が驚いていたら、うちの子はぐいぐい床に向かって、下に下に引っ張られだしたんです。私、もうどうしたらいいかわからなくて、でも手を離しちゃいけないと思って必死に引っ張ったんです。だけど、このままじゃうちの子も腕が痛いはずだと気づいて、思わず『やめてよ!』って叫んだんです。そしたら、すっと引っ張る力がなくなったので、私は大慌てで子どもを連れて帰りました」  お子さんは引っ張られていた時、どんなご様子でしたか? 「ぼんやりしていました。驚いた様子も、引っ張られて痛がる様子もありませんでした。周りに誰かがいたら助けを求められたんですが、その時は誰もいなくて、だから私もすごく怖かったのをよく覚えています」  そんなことがあったら、足が遠のきますね。次また同じようなことがあったらと思うと…… 「そうなんです。あれから何度か周りの人に同じような体験をした人がいないか、それとなく聞いたことがあるんですが、周りには一人もいませんでした。だから、もう遭遇することはないのかなと思う反面、でも、やっぱりすごく怖いんです。もし、あの時手を繋いでいなかったらとか考えちゃうと……」  想像するだけで怖いですね。そうだ、ぼんやりしていたということは、お子さんはその時のことは何も覚えてらっしゃらないんでしょうか? 「うちの子、家に帰ってもしばらくぼんやりとしてたんですが、時間が経つと正気に戻るというか、意識がはっきりした感じになって、それから大泣きしたんです。それで、私、泣き止むまで抱っこして落ち着かせてから、何があったのか聞いたんです。そしたらあの子泣きじゃくりながら言ったんです。『おてて』って」  おてて、手のことでしょうか? 「はい、そうみたいです。たくさんの小さな手がすごい力で掴んできて引っ張られた、そんなことを言っていました。そんなショッピングモール、また買い物に行こうと思えますか?」
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