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提示した可能性を見事に否定され、幸守はぐうの音も出ない。左門寺はそんな彼に「君が惚れた女を妙だと言ったことは謝ろう」と少し茶化して言った。
「俺は惚れてないぞ」
「嘘はつくなよ。君は嘘が苦手なんだから」
こういう言い合いをした場合、“人間観察”という能力についてまさに超人的である左門寺に幸守が勝つことはできない。だから彼はすぐに諦めて、「はいはい。じゃあ惚れてるってことでいいよ」と言った。これから先、また出会えるわけがない女性に恋心を抱くなんて、この歳であるわけがない。しかし、彼の心はたしかに奪われていたのだ。偶然出会ってしまった、その女性に______。
ハイツベイカーに戻り、暖炉の居間で飲み直す左門寺と幸守。晩酌のアテにどうぞと、使用人の波戸奏子が簡単に幾つかの料理を部屋まで運んでくれた。こんな夜中だというのに、わざわざ申し訳ない。と、幸守は彼女に言った。
「いいえ、そんなのいいんですよ。先生方にはお世話になってますからね。それに、今日は左門寺先生の誕生日に、幸守先生の最新作の発売日と、めでたい尽くしですから」
波戸はそう言って、顔をくしゃっとした笑顔を浮かべる。左門寺は「この歳になってしまっては、誕生日はあまり喜べないもんですね」と波戸に言った。
「そうですねぇ。私の知り合いも、歳を取っていくとホールケーキの上の多くなっていく蝋燭が憎たらしくなるって」
「たしかに、僕も20代の頃とはまた違う老いを感じ始めるのかと思うと怖いですよ」
「お前も怖いものなんてあるのか?」幸守は彼の発言を聞き、二人の話を遮ってそう聞いたのである。すると、左門寺は幸守の方を見て、「そりゃあ僕だって人間だからね」と答えた。
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