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次の日の昼休み、私は読み終えた『蜘蛛の糸』を返しに再び図書室に向かった。 扉を開けると、上杉くんは既に来ていて中央の机に肘をついて本を読んでいた。 「今日はカウンターじゃないの?」 「今日は代理じゃない」 「昨日、宿題無事に出したよ」 「……」 上杉くんは無言で目を伏せ、(かす)かに頷いた。 「あ、この本、読んだよ。昨日あらすじ教えてもらったから読みやすかった」 正直言うと、昨晩、家に持ち帰った『蜘蛛の糸』を読んだ時、私は上杉くんが聴かせてくれた(そして丸写しした)あらすじの的確さに改めて驚いたのだった。 一体どれだけの人が、過去に読んだ作品の骨子(こっし)をあんなにピタリと過不足なく伝えられるだろう?しかもあれほど急遽、短時間で。 「…あんなに本詳しいなら、図書委員やればいいのに」 「委員になったら、貸し出し返却の作業とか棚の整理とかで自分の読書時間削られる」 「じゃあ…、昨日、私のせいでいっぱい時間削っちゃったね」 「別に、あんなの何でもない」 そう言ってから、上杉くんはこちらに目を向けて「今日は何か借りんの?」と尋ねた。 相変わらず素っ気ない、でも邪険ではなく、どこか安心できる自然な言い方だ。 「うん、何かいい本あれば借りようかな?上杉くんは何読んでるの?」 私が尋ねると、彼は読みかけの本を片手で持ち上げて表紙をこっちに向けてくれた。 「え…、漢字ムズっ。何て読むの?」 「檸檬(れもん)」 「レモン…って、漢字があるんだ」 「メロンもパイナップルもある」 「そうなんだー。漢字得意なんだね」 「全然。読めるけど、全く書けない」 「漢字テストは?」 「死ぬ程ヤバい」 そう言って上杉くんはちょっと悪戯(いたずら)っぽい目をこちらに向けた。ごくごく(わず)かにだけど、口角が上がっているようにも見える。 2月の昼休み。外はまだ凍えるように寒いけれど、窓からは燦々(さんさん)と明るい光が降り注いでいる。 その光の粒たちが、上杉くんの黒い瞳に反射してキラキラと弾けるように踊っている。 なんて綺麗なんだろう――― 私はその輝きに吸い込まれて、一瞬見とれてしまった。 「…私なんか、漢字読むのも苦手なんだけど。言葉がやさしめで私にも大丈夫そうな本ってあるかな?」 「ジャンルは?」 「うーん、妖精とか小人(こびと)とか。そーゆうの好き」 「じゃあ、こっち」 本棚に向かった上杉くんについていくと、昨日と同じように一切の迷いも躊躇(ちゅうちょ)もなく数冊の本を引き出してくれた。 そんな風にして、私はそれまで縁の遠かった図書室に毎日足繫く通うようになった。 昼休み、図書室の扉を開けば、テーブルに肘を付き本を読む上杉くんの姿が目に入る。 私は上杉くんの隣に座り、あーだこーだとお喋りを始める。もちろん、周りに人がいる時は小声で(ささや)く。 「ねー、この本、半分くらい読んだよ」 「ねー、泥棒とか探偵とかのお話も読んでみたいんだけど、おすすめある?」 「ねー、また感想文の宿題出たよ。どの本選ぼうかな?」 「ねー、あらすじ書いたけどコレでいいと思う?」
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