21人が本棚に入れています
本棚に追加
内見が終わってから、私はあのアパートを急いで調べた。ボロボロで昔ながらのアパートだ。郵便受けが一か所にまとまっていて、ご丁寧に名前まで書いてある。今時名前を書くのなんてお年寄りくらいだろう。
六部屋中、二つしか使われていないらしい。しかも一つは大家だったはずだ。大家はかなり高齢で、ちょっと見学したいんですけどと言えばあっさり入れてくれた。
あの時私が住んでいた部屋。家具はほぼなくなっていてベッドも撤去されていた。そして、ベッドがあった場所を見て息が止まりそうになった。床を、修復した跡。
「あの、これは?」
どくどくと、心臓が早くなる。まさか、そんな。これって。
「あー。いつだったかなあ、住んでた人が引っ越して。部屋の中掃除してたら穴開いてたから修理したんだよ」
つまり。あの時見たのは、幽霊でもなんでもなく。空き巣なのか変質者なのかわからない、下の階の奴が穴をあけていただけだ。私が覗き込んだ時、丁度目があっただけだったんだ。
さすがに私が住んでいた当時、下に誰が住んでいたのか聞き出すことはできなかった。アパートを出て、早足で歩く。いや、そんなはず。けど、どう考えても。
はあ、はあ、と息があがる。だめだ、逃げるな。思い出せ、あの時の顔。そむけるな、忘れようとするな!
あの時の顔は。
どう見ても。
ぎょろりとした大きな目。血走った眼は、あれは驚いていたからだ。私と目があって。
あの顔は、短い髪型は、男だったじゃないか!
「江藤さん!」
肩を激しく揺さぶられ、私ははっとした。目の前にいたのは、私服の朝比奈さんだった。周囲には数名人が集まり、遠くから救急車の音がする。朝比奈さんがレジ袋をひっくり返して中身を落とすと、袋を私の口にあてる。
「ゆっくり、自分の吐いた息を吸ってください。慌てないで。過呼吸です、自分の息を吸ってくださいね」
言われた通り、ゆっくりと呼吸をする。彼はずっと私の背中を撫でてくれていて。私はだんだん落ち着いてきた。
「たまたま通りかかったら、人だかりができていて。あなたが呼吸困難になっていたんです。返事はしなくていいですからね、ゆっくり息をして」
心地よい彼の声。救急車が到着し、私は病院へ運ばれた。
最初のコメントを投稿しよう!