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5
翌日になっても花びらは部屋を好き勝手に舞っていた。
真穂が床を歩くたびに足に絡みついてきたり、飲んでいるお茶の中に落ちてきてたり、なかなかうっとうしい。
けれど、花びらのおかげで部屋が華やかになった。
「ちょっと出かけてくるね」
夜。出掛ける前に玄関先で試しに花びらに話し掛けてみる。
花びらは応えるかのように、床からぴょんと飛び跳ねた。
真穂は花びらがかわいく見えてきて、ほんのちょっと心が癒された。
部屋を出て、晩御飯を食べるために、大学の近くにある中華料理屋へ行った。
「あれ、真穂ちゃん?」
カウンターに座る真穂に話しかけてきたのは、侑志の友人である森岡だった。
「侑志は一緒じゃないの?」
「先輩は今旅行中です。聞いてませんか?」
「そうなんだ。あいつ全然自分の話しないからなあ」
のんびりと言いながら、森岡が真穂の隣に座る。
「真穂ちゃんは行かなくて良かったの?」
「先輩の邪魔はしたくないので」
「邪魔って。そんなに遠慮することないでしょ。俺ですら一緒に行ったことあるのに」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がして、真穂は固まる。
てっきり侑志は一人旅が好きで、誰とも旅行には行きたくないのだと思っていた。
「誘われなかった? 侑志から」
「いいえまったく」
「今度は真穂ちゃんから誘ってみなよ。たぶん連れて行ってくれるよ」
「そうですね」
答えながら、そんなことがあり得るのだろうかと思う。
大盛りのチャーハンを機械的に口に運び、森岡に別れを告げ、店を出る。
頭がふわふわして、考えがまとまらない。
部屋に戻り、電気をつけると、歓迎するかのように花びらが舞った。
「君らは元気でいいね……」
花びらの上に寝転がると、舞い上がった花びらがはらはらと落ちてくる。
今の花びらはなぐさめてくれているみたいだった。
「先輩はなんで私と付き合ってくれてるんだろう……」
小さく呟くと、今まで堪えていた疑問が一気に湧いてきた。
一緒にいて気楽だから?
うるさく連絡したりしないから?
考えてみてもよくわからない。
真穂だってベタベタ四六時中くっついていたいわけじゃない。
連絡だってたまにでいい。
旅行だって別に連れて行ってくれなくていい。
けれど。
「こんなに会えないのはちょっときつい……」
前に友達が言った「もっと大切にしてくれる人の方がいいんじゃない?」という言葉を思い出す。
やっぱりその方がいいのだろうか。
連絡を密に取り合って、色んなところへ二人で行って、ずっと一緒にいてくれるような人。
そんな人と恋人になった方が幸せ?
想像してみたけれど、やっぱり会いたいのは侑志だけだった。
気を抜いたら涙が出そうになって、真穂は起き上がった。
ベランダの窓を開け、夜空を見上げる。
柔らかい風が吹いていた。
自分がこんなことくらいで参る人間だとは、恋をするまで知らなかった。
もっとたくましい方だと思っていた。
風が強くなる。
ざわっと何かがうごめく気配がした。
部屋の中を振り返る。
「わっ」
花びらたちがいっせいに窓の方めがけて飛んできて、窓の外へ出ていった。
(何だったの……)
真穂はあっけにとられる。
夜空に飛び出した花びらたちは、あっという間に風に流され見えなくなった。
静寂ののち、ひとひらだけが、真穂の手のひらに落ちてくる。
真穂はそれをそっと握り込んだ。
「……君だけ置いていかれちゃったんだね」
まるで自分みたいだと思った。
窓を閉める。
やっぱり侑志の顔が見たい。
桜が咲いているうちに。
真穂はスマホを取って、深呼吸しながら、電話を掛けた。
すぐに侑志の声がして、真穂は何でもないようなふりをして「こんばんは」と言った。
「何?」
「いえ、あの、先輩今どこにいますか?」
「えーっとT県」
「明日はどこに行きます?」
「秘境駅にでも行こうかと思ってるけど」
「なんて駅ですか」
「えっと──」
侑志が言った駅名を覚えて軽く挨拶して電話を切った。
侑志は真穂からの電話に終始戸惑っているようだった。
ふうと息を吐き、花びらを握り締める。これから、もっと彼を困らせることになるかもしれない。
それでも、真穂は止まることなどできなかった。
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