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それはまるでこの窓から時折見える、桜の花びらを含んだ一陣の風のように清々しく暖かだった。
すべてはケイスケに向けられていた。一点集中の若々しい愛情。またそれは暖かな中にひやりとする何かを抱えてもいる。名前を呼ばれたときの痛みを伴う表情。一歩間違えば手を切るかもしれないようなギリギリの愛情を、私は誰かにぶつけたことがあっただろうか。
今、この短い時間でケイスケに全力でぶつかっていた彼女が、結には好もしく思えた。そしてあの、ケイスケのさらりと受け入れるような軽やかさも。
カタ、と間近で音がして振り向くと、ケイスケが立っていて、結のテーブルに焦げ茶色のクッキーを運んできたところだった。
「これ、うるさくしたお詫びです。今の箱に一緒に入ってたので、よかったら。」
そう言ってから慌てて、
「もちろん、こっちは賞味期限は大丈夫です。」
と付け足した。結は胸の前で小さく手を振ってみせた。
「そんな、彼女の気持ちをもらっちゃ悪いわ。」
それからあの子とのことをちょっと茶化してやろうかと考えて、結局違うことを言った。
「あなたって、結構喋るのね。」
ケイスケは目を丸くして自分の鼻を指さしてみせた。
「嫌ですねぇ、プライベートを垣間見られたみたいで。あいつは幼馴染みの妹で。うるさいばっかりで困ります。」
そう言いながら首を振り振りカウンターへと戻っていく。結は微笑ましい気持ちで彼の後ろ姿をしばらくじっと眺めてから、クッキーに手を伸ばした。ココア味の生地に松の実が練り込まれていた。甘さと渋さ。
さっきの女の子はきっと甘さ八十パーセントぐらい。今の私はおそらく渋さの方がだいぶ勝っている。
結はカプチーノの最後の一口を口に含む。窓の向こうの通りでは相変わらず桜が渦を巻きながら滞留している。その時またふいに向かいのケーキ屋のドアが開き、さっきの女の子が出てきた。
もうエプロンも外しているので帰るところだろう。彼女が視線を上げる。結は虚を突かれた。厳しい目だ、と思う。刺すような目だった。でも射貫かれているのは他者ではなかった。
彼女の鋭さは自分自身に向けられているようだった。店に戻っていったのとは全くと言っていいほど異なる眼差しで、ケーキ屋の女の子はレンガ模様の段差を降り、赤い自転車でこの四角く切り取られた枠から飛び出していった。
猫も、いつの間にかいなくなっている。
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