桜舞う午後

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〈 香乃 〉  扉がしっかりと閉まるのを背中で聞いてから、香乃はほおっと息を吐いた。胸の真ん中から全身に後悔が駆け抜ける。  ・・・どうしてあんなにテンション上がっちゃうんだ?  今日は落ち着いていくぞ、と心に決めていたのに、アキナのあの顔を見た途端、決意など吹っ飛んでしまう。自分の心を自分でコントロールできないなんてどうかしてる。  言った言葉も考えていたのと全然違うし、順番もめちゃめちゃになった。アタシ、何て言った? 頭から順を追って思い出す。アキナの返してきた言葉もそのままなぞってみる。  笑ってくれなかったことが重くのしかかる。アキナはあまり笑わない。たいていほのかな笑みを顔に浮かべてはいるけれど、人の言葉にどっと笑ったりはしない。特にアタシに対しては。  でも、と香乃はしおれた心をしゃんとさせようと努める。あ、おい、香乃、という呼びかけが救いのように立ちのぼる。  名前を呼んでくれた。名字ではなく、はっきり香乃、と呼んだ。少し前まで「吉田の妹」だったことを思えばすごい進歩だ。  それに、と香乃はガラスの向こう、さっきまでモンブランのクリームを舐めながら灰色がかった白猫がうずくまっていた辺りを見やる。  マロンをマロンと呼んでくれた。アタシが名付けた名前で、マロンをマロンと呼んでくれたじゃないか。
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