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第11話 子供の母親
子供が産まれる数ヶ月前、アンリエッタは代わりになる子供を探し始める。
出来れば、縁もゆかりもない子供ではなくて、男爵家に縁のある私生児を引き取りたい。
それは男爵家への血筋に対する愛情ではない。
男爵家の私生児を産んだ女性に対する酷い仕打ちも知っていたので、女性と取り引きがしやすいことが一つ。
前世の記憶では、アンリエッタがいつか殺してしまうかもしれない子供。憎むべき男爵家の血筋以外に考えられない。
けれどアンリエッタとて、産まれたばかりの見知らぬ赤子に罪がないことくらいは分かっている。
避けられない嵐に対策を練るしかない苦渋の決断だった。
同じ時期に生まれる子供を座がしていた時、男爵家の妾が子供を産んで捨てられたと噂を耳にする。
「私の耳に入ってきたということは、生まれてから数ヶ月は経っているだろうか?」
なるべく急いで子供の母親に会わなければいけない。
子供を殺してしまうかもしれないとは言えないけれど、事情を説明して、子供を取り替えなければ。
子供の母親の名前はイネス。
イネスは平民の出で、コッポラ男爵の従兄弟ギヨームの妾となり贅沢に暮らしていた。
けれど元から遊び人のギヨームは、子供の出来た女を娼館に売り飛ばして小遣い稼ぎをしていると聞いたことがある。
子供を生んだ母親もその話しを聞いてか、子供が産まれる前に逃げ出して、今も上手く隠れているのが、母親のイネスである。
逃げるにもお金や手助けが必要で、ギヨームの雇った侍女が、イネスを逃がして匿っていた。
モリーが話を聞いたのは、ギヨームの雇った侍女の知り合いからという又聞きだった。
◇◆◇
屋敷の屋根裏に、イネスが生んで数ヶ月の子供と、隠れ住む粗末な部屋がある。
アンリエッタはイネスを世話している侍女の紹介で、屋根裏のある屋敷を訪ねる。
「フェラガモテ子爵の妻アンリエッタと申します」
「子爵夫人が何故┅┅その髪はまさか、嫌だ。あたしはどこにも行かない。ギヨーム様のことは忘れるから」
イネスはギヨームに見付かり、子供と一緒に娼館に売られると勘違いしているようだ。
それも、アンリエッタの男爵家ゆかりの髪色を見たせいて、自分を捕まえに来たと思っている。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
イネスの悲鳴のような声に赤子が泣き出してしまう。
「イネス様、落ち着いて下さい。赤ちゃんが驚いてしまいますよ」
アンリエッタは、モリーに子供の子守りを頼んだ。
「イネス様の辛いお立場は私にもよく分かります」
「あんたのような子爵夫人に、あたしの何が分かるって言うんだい」
イネスは憎しみを込めた声を出して、アンリエッタを睨み付けた。
「私もコッポラ家の私生児で、母を亡くして、しいたげられて生きてきました」
「あんたのような貴婦人が?」
イネスは信じられないというように、アンリエッタを上から下まで観察した。
「私はコッポラ家の命令で、子爵家と婚姻を結びました」
「なんだ、結局幸せなんじゃないか。あたしとは違うよ」
「そうですね。子爵家ではよくして頂いてます。でもコッポラ男爵家が、子爵家と私のお腹の子を狙っているのです」
「┅┅」
イネスはようやくアンリエッタが、自分に用事があり訪ねてきたのだと理解する。
「イネス様をギヨーム卿から隠して、子供を守ることも可能です」
「どうやって」
イネスは既に、アンリエッタが提示する条件を今か今かと待っている。
「イネス様に別の戸籍と、侍女と暮らせる部屋に、そして仕事も与えます。子供は子爵家で預かって侍従として育てます」
「侍従って、まだ赤ん坊だよ」
イネスは自分の赤子に何かされるのではと不安を感じ取っている。
アンリエッタがイネスと子供の世話をしようとする理由が分からない。
理由なきお世話は、イネスに取ってギヨームと同じ罠のように感じてしまう。
「実は理由があります」
やはり、そうだとイネスは心の中で、覚悟を決める。
「私は今、子供を妊娠しています」
「あんたも子供を?」
一度は覚悟を決めたつもりのイネスだが、ますます混乱してきた。
「コッポラ男爵家は、侍女を送り付けて私とこの子たちを引き離そうとするはずです」
アンリエッタは手でさすりながら、お腹を見つめている。
「それで、あたしの子供をどう利用するつもりなんだい」
「身代わりです」
「何だって。結局、コッポラ家に渡すってことじゃないか」
イネスは、怒りで自分の髪をかきむしった。
「コッポラ家から乳母はやって来ますが、コッポラ男爵家に連れて行くことはありません。子爵家の子供ですから」
「だったら何で」
「私は自分の子供を自分の手で育てたいのです。そしてあなたは娼館に連れて行こうとするギヨームから子供を守りたいのではありませんか」
アンリエッタの言う通りだった。
今の生活が長く続くはずもないことは、イネスが一番よく理解している。
「この子を男爵家に連れていかせないと約束出来るのかい」
イネスはそれだけは譲れないとはっきりと口にした。
「お約束します。そして、この子を、新しい戸籍のあなたが産んだ子にして欲しいのです」
アンリエッタは自分のお腹をさすりながら提案した。
「あんたが産んだ子を?」
「はい。魔法契約書もご用意したので、ご確認をお願い致します」
アンリエッタは、イネスに作成してきた魔法契約書を広げて見せる。
【魔法契約書による厳正な約束
イネスは死んだ者とする。
新しい戸籍名は、フィリッパ。
侍女と共に暮らせる部屋を用意する。
子供を交換するが、実際の親権は変わらない。
イネス(フィリッパ)の子を男爵家には渡さない。
イネス(フィリッパ)は、アンリエッタの子供の仮親として戸籍を登録する。
男爵家に連絡を取らない。
裏切りには大きな代償が伴う】
イネス(フィリッパ)は、今の生活以上の不安はないと、進んでサインをした。
「子爵家の子供が生まれて名前が付いたら、契約書に名前を付け加えるわ。名前が契約を強くしてくれるから」
「あたしはいつ、新しい部屋に移れるんだい」
イネスは自分の産んだ子と引き離されることを理解しているんだろうか?
アンリエッタは不安になり確認することにした。
「イネス様、新しい家に移り仕事が始まったら、なかなかお子さんに会えなくなりますが大丈夫ですか」
「この子のせいでギヨームに捨てられたんだ。いるもんか」
アンリエッタはイネスが強がりを言ってるのではないかと思った。
「この子たちの為に手放すのですね」
お腹にいるまだ会えぬ子でさえ愛おしいのに、生んで目の前にいる子供を憎い母親がいるはずがない。
「イネス様とこの子が、幸せになれるように手を尽くします」
アンリエッタはイネスの手を握り、約束をする。
「あたしより、あんたが母親になってくれる方がマシに決まってる。あたしは自分の生活で手一杯なんだ」
きっと嘘ではないだろう。
でもそれだけじゃないはず。
「分かりました。近い内に会いに来ます。子供と別れの準備をしてください」
モリーは、今日連れ帰った方がいいと言ったが、アンリエッタは親子に別れの時間を与えたかった。
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